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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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また軍人に関する飛んでもないニュースについて書かなければいけない。

アフガニスタンに派遣されているドイツ連邦軍の兵士が、殺害された地元住民とおぼしき頭蓋骨を手にして、笑顔でポーズしている写真が独逸の新聞で大々的に報道された。25日付の「ビルト」という大衆紙がすっぱ抜いた。頭蓋骨を車体の前部に掲げたり、頭蓋骨と一緒に兵士がわいせつなポーズを取ったりしてた模様。

報道によると、国際治安支援部隊として派遣された兵士が2003年ごろ撮影したものらしく、独逸軍兵士に蹂躙・弄ばれた頭蓋骨は、旧ソ連がアフガン侵攻の際に死亡した兵士の可能性もあるという。

独逸は9月末に、アフガニスタン派遣を1年間延長を承認した。今回と同じような目に余る行為は続くのである。

そして日本でも10月27日、改正テロ対策特別法が参議院本会議で可決され、アフガニスタンの自衛隊派遣が1年間も延長されることが決定した。もちろん公明党(創価学会員)もそれに賛成した。余程、血の臭いに飢えておられるようだ。彼らの変態性癖を満たしてあげるために、200億円もの血税が注ぎ込まれる。
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15日、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』で、自民党の酩酊政調会長こと中川昭一が「日本でも核武装容認すべきだ」と、そのための議論を活性化させるべきだと宣った。軽く笑わせてくれた。

しかし、歴代内閣が堅持してきた『非核三原則』は同時に堅持すべきであり、核兵器を持つべしという前提で議論しているのではないと強調。核兵器を持つつもりがないのであれば、何故『非核三原則』を放擲するための議論を進めるのか。どうして、良い大人がこんなトンチンカンなことを宣うのだろう。思考が混濁しているとしか思えない。どうやら、今日も軽く酩酊しておられるようだった。


日本がもし核武装すれば、当然近隣諸国である韓国や台湾も核武装する。北朝鮮の核の脅威に晒されているのは、日本だけではない。何故、日本だけが核武装を許されて、韓国や台湾などが保有できないのか。その明確な理由は誰にも説明できない。もし台湾が核武装すれば、中国との関係はまた緊迫した状態になるに違いない。こうなれば、北朝鮮の核実験・核武装云々どころではない。日本にとって、より顕著でより遙かに現実的な脅威となりうる。日本経済に与える影響も計り知れない。

世界や国連の潮流は、核不拡散の動きであることは間違いない。もし日本が核武装を容認してしまえば、その流れに逆行することになる。日本がその流れに逆行すれば、他の国もそれに追随することは間違いない。経済という武器がない発展途上国が発言力を保持するためには、北朝鮮のように核武装をしたがっている国は様々あるだろう。
今月9日、弾道ミサイル迎撃を可能とする最新型パトリオットミサイル「PAC3」を載せた輸送船が、沖縄県に到着した。しかし、嘉手納基地への配備に反対する市民団体ら約150人が、陸揚げされる天願桟橋で座り込むなどしていて陸揚げできない状態が続いているらしい。

奇しくも、翌日の10日には(随分前から囁かれていたことだが)北朝鮮が核実験を実施した。

2ちゃんねるでは、上記の反対運動を持ち出して、「平和ボケの市民団体市ね」「こんなテロリストどもは、日本の敵なんだからさっさと逮捕してしまえ」など悪態をついている。「日本を守る存在は全て反対なわけだな」と暴論も甚だしいレスも目立った。こういう時期だから、ある程度致し方ない面もあるとは言え、少し悪辣ではある。
昨日15日、オウム真理教(現・アーレフ)の麻原彰晃こと松本智津夫の死刑が確定した。麻原の弁護団は控訴趣意書の提出が意図的にか、単なる事務的なミスかは知らないが遅れた。なんだかんだあって(新聞とかネットで調べた方が早い)、今年3月27日、高裁は控訴を棄却した。弁護団は最高裁に特別抗告の申し立て。しかし、昨日9月15日、最高裁は麻原には訴訟能力があると認定した高裁の鑑定書は信用たるということで、その特別抗告を棄却。で、麻原しぼーんと。

当然の結果なんだろう。しかし、松本が何も話さなかったことが残念である。それを淡々と何年も続けさせたことを考えると、弁護士も検察官も裁判官も何だかグズグズだった。1審の段階、裁判のかなりの当初から、麻原はあの調子だったはずだ。何故、周りは子供をネグレクトをする親のように、麻原を放置し続けたのか。メディアも罪が重い。

よく何年も時間が掛かりすぎだと非難があるが、自分はそうは全く思わない。事件の数、つまり被害者の数が多いからだ。しかも、その被害者の多くは重度な後遺症に苦しんでいる。脳障害であったり、精神的トラウマであったり。裁判を更に迅速に進めるため、確か地下鉄サリン事件の死亡していない被害者は含まれていないはず。麻原は27人を殺害した殺人罪の罪でしか問われていないのだ。殺害された27人の数十倍の被害者は、「裁判の迅速化」という名目のためになおざりにされた。裁判にすら行けない、救われない被害者が多数生まれた。

裁判とは被害者の声を加害者や社会に訴える、伝える場ではないのか。重大な事件、特に事件の数や被害者数が多い場合は、なおさら裁判に時間を掛けていい。「迅速化」という名目のために、泣くような被害者が生まれてしまっては、それこそ本末転倒である。

しかし、この数年が中身が伴った、被害者が報われるような裁判が行われたとは当然思わない。この努力は麻原自身が行うべきだったし、何より弁護士・検察官・裁判官が怠った罪は極めて重い。だからといって、「裁判の迅速化」が全てではないし、それをことさら追求すべきことではない。

もう少ししたら、一般市民が司法・裁判に参加する「裁判官制度」が始まる。そのために、「裁判の迅速化」が絶対命題であるかのように、法務省などはやっきになっている。ブタエモンの裁判などが好例だ。麻原の裁判を見ていたら、まだ拙速すぎやしないかと疑問が芽生える。「迅速化」が被害者を救えたのだろうか。
「松本のカリスマ性があったから、引き起こされた事件」
などと上祐はTVで、自分たちが起こした事件に対して振り返っていた。逆に言えば、麻原を「カリスマ的である」と称賛しているようにしか聞こえない。もしかしたら、彼らの中で箱の発言を聞いて、「麻原は、過去『神』だった」と思いこめる信者もいるかもしれない。上祐は新しい教団を作りたいとも宣っているが、基本的にオウムの『教義』を捨てていない。彼らの心や脳みその中では、まだ麻原が深く根付き、今も生々しく生き続けている。

その証拠に、彼らは今も苦しみ生き続けている被害者に対して、完全な賠償や謝罪がほとんど進んでいない。いくら口先で「死刑は妥当だ」「私たちは間違っていた。麻原も間違っていた」と言っても説得力が帯びてこない。結局は、麻原を信奉し、自分たちが救われたいだけなのだ。


じゃあ、今も苦しみ生き続けている被害者はどうなっているのか?と疑問にも持たれる方も多いだろう。オウムが誠意ある態度や行動を取っていない間、その被害者は行政や国から何らかの公的支援を受けているのだろう…と思い込んだ方は大間違い。国は苦しみ生き続けている被害者に対して、全く公的な支援は行っていない。放置し続けているのだ。国がオウムの財産を差し押さえればいいではないかと思った方もいるかも知れないが、それもやっていない。正確にはそんな財産がオウムにはないと言った方がいいのかも知れない。

被害者の中には、中毒患者やかなり重い後遺症の人間に対して、精神的トラウマを抱えてる人間も多い。そういう被害者に対して、医療的な支援などが全く公的に行われていないことは由々しき大問題だ。じゃあ、被害者は一体どうすればいいのだ?オウムに対して、逆テロを起こせとでも言うのか?そこはオウムがすべき賠償の代わりに国が肩代わりし、被害者を救う。そして、その分をオウムから国が取ればいい。これが誰が見ても正常な形である。オウムのテロの被害者など、『弱者』の中の『弱者』である。国が救わなければ、誰が救うというのだ。

オウムをさらさら擁護するつもりはないが、政府は何をトロトロやっているのか?銀行に対しては即座に公的資金を投入するのに、今も苦しむ被害者には何らの公的な支援も行わないとは、我が日本国政府は『非人道的』にも程がある。中国政府も真っ青である。

こんな国が国民に対して「愛国心を持て」と冗談をブチかましている。巫山戯た話だ。弱者を救えないくせに、全く何様だ。事件が起きて何年もの間、国はこういう弱者を放置しているのだ?当然、オウム(現・アーレフ)は誹(そし)りを免れない。しかし、日本国政府もその誹りは免れない。我が日本国政府もオウムのテロの加担者と断罪する。

我が日本国政府は、散々「テロとの戦い」で日本国民の命を守ると宣っておきながら、日本で起きてしまった世界初の化学テロの被害者を救わないのだ。いや、救おうとすらしていない。日本国政府は「現在進行形」で国民の命を見殺しにしようとしている。

これから先、日本国民がテロの危険に晒されたとき、こんな国が自分たちの命を守ってくれるのか、またテロの被害から救ってくれるのか、甚だ疑わしい。我が日本国政府は、なんと「詭弁の塊」の糞であろう。オウムのテロの悲しみが今だ止むことがないのは、我が政府がその一端を担っている。
今日12日の産経新聞で古森が「民主主義定着がテロを減らす」と書いていた。アメリカ政府の対テロ戦争の長期戦略として、効果的な民主主義を定着させることで、その民主主義が浄化装置のようにテロのイデオロギーを中和するというのだ。

しかし、イギリスで起きたテロの実行犯はイギリス生まれのパキスタン系イギリス人だった。イギリスという民主主義が十分に定着した国で醸成された人間が起こしたのだ。「民主主義定着がテロを減らせる」という主張は、幻想も甚だしい。民主主義という思想は、テロの前では無力なのだ。常識的に考えていただきたい。民主主義が「犯罪」を減らすか?「殺人」と言った「重大犯罪」を減らすか?また「自殺」を減らすことが出来るのか?また犯罪の究極体とも言うべき「戦争」をなくせるか?
もちろん、答えは否。できるわけがないのだ。どうやっても。

常にそういった背景には、『貧困』や『恨み』がある。
彼らはイギリス社会で「イスラム系だから」と言う理由だけで、不当な差別を受けていた。他のイギリス人と同じように生まれ、育っているのに、イスラムの血が流れているというだけで、就職ができなかったりしたわけだ。そして、『貧しい生活』を虐げられていた。ましてや、テロリストの中には、アメリカとの戦争で自分の家族が殺されたことが切っ掛けで、テロリストになる人間も多い。民主主義という思想で、その『貧困』や『恨み』の何を浄化できるというのだ。その根源を作っているのは、アメリカ自身なのだ。

古森はこの記事の中で「テロ犯の側は個人が自由に動けるオープンな民主主義社会でこそ無差別殺戮を断行しやすい。だが目的は民主主義の文明社会の否定にある。」と書いている。だがちょっと待ってくれ。民主主義社会でなくても、社会主義社会であっても、個人は自由に動ける。北朝鮮のような閉鎖的で独裁国家的社会であっても、今や民衆は好き勝手に動いている。もちろん程度こそ差はあれ、軍隊のように個人が街中を整然と一列に仲良く歩いている国などどこにあるというのか。

しかも民主主義社会の大黒柱と自負しているアメリカが、イラクの民家や街中の民衆に向けて、砲弾やミサイルをぶち込んでいるのだ。この言動とは相反する矛楯的な行為を誰が説明してくれよう。アメリカこそが「民主主義の文明社会の否定」を実行しているのだ。この国が「民主主義定着」を叫んでいるのだ。この国が定着させようとしている民主主義とは一体、どういう民主主義なのか甚だ疑問である。こんな腐った国が作り上げた「人工的な民主主義」に、その国民がついていくはずもない。

他国をグチャグチャにかき混ぜておきながら、その国民同士が化学反応を起こして、ポンッと爆発したら大騒ぎする。この国は駄目だと断罪する。そして、さらにグチャグチャにかき混ぜる。またポンッと爆発する。この国は救いようがないと断罪する。そして(ry。何と無責任で愚かな民主主義であろう。


テロ容疑者の人権擁護や、テロ組織と繋がっているかも知れない人間に対する通信傍受なども、テロ抑止のためには当然の如く容認されるべきだとも書いている。民主主義の根幹を守るために、民主主義の一部分を犠牲にしなければならないというのだ。しかし、そのことが返ってテロリズムを助長しているのだ。無実なイスラム系・イスラム人を逮捕しては、釈放の繰り返し。それをイスラム過激派やそれに支持しているイスラム系はどう感じるかは明白である。しかもそのことをテロリズムを肯定することに利用されている側面もある。

ただ単にアメリカが唱えている民主主義など、「イスラム社会への仇討ち・嫌がらせ」でしかないのだ。これではテロが減るはずもない。アメリカが民主主義という刀を収め、イスラム社会に土下座をすることが最も効果的なテロ抑止の手段である。それが勝負に負けて、試合に勝つと言うことだ。手段を選ばずに立ち向かってきているテロに対して、手段など細かに選んでいて対テロ戦争に勝利を収めることなど出来るはずがない。
イギリスで航空機爆破テロ未遂事件が先日あった。2ちゃんねるで遭遇した自殺願望を抱いてた奴を思い出した。小泉改革の賜物で、低所得者が急増した。その結果、自殺志願者・自殺者が増え続けている。名前も知らない其奴と遭遇したのも、ある意味必然的なことだったのかも知れない。「小泉改革は相当な成果が上がっている」という相当な確信を得ることも出来た

そして、何故其奴のことが想起されたかというと、「死にたい。でもタダで死ぬつもりはない。俺が死ぬときは、9.11のような大事件を起こしてやる。みんな道連れだ」と空恐ろしいことをのたまわっていた。しかし、もちろん自分は「そりゃそうだ」と思わずうなずいてしまった。誰だって苦しみを味わったままで、『犬死に』するなんてお断りだ。どうせ自分が最後に死ぬ時ぐらい、世間の注目様を集めたいもんだし、せめて世間様に対して何か残したいもんだ。一人で死ぬのも寂しいもんだ。練炭などを使って、計画的に集まって自殺している人間が多いのがその証左だろう。ましてや、誰も自分を救ってくれない軽薄な社会や人間に対して、その道連れすることの何を躊躇することがあろう。こういうアルカイダよろしくの自殺志願者が増え続けてるのも、やはり困窮しきった日本国では仕方ないことなのである。そして、いざ実行されても誰も文句を言えない時代に突入してしまった。極めて残念なことではあるが。もちろん日本国内でそんな事件を聞いたことがないので、まだ其奴は死んでいないはずである。

しかしながら、大した武器を持ち込めない状態で、一人で飛行機をハイジャックするというのは難しいのではないだろうか。爆発物を検知できる機械が日本の殆どの空港に整備されているというニュースも聞いた。練炭を使って集団自殺をするなど、日本人は特有の協調意識がある。乗客の殆どを自殺願望を持った人間で埋め尽くし、羽田発→○○原子力発電逝きの集団旅行でも企画すれば、大した武器などを持ち込まずとも可能かも知れない。やってやれないことはないかもしれないw

個人的には、『電車』の方がより確実で安全な方法でないんだろうかと思った。厳重な手荷物検査をされる訳ではないから、飛行機よりは比較的やりやすいはず。また日本人にとっては、飛行機よりも電車の方が身近な足として定着している。それが標的にされると言うことは、やはり大きなインパクトが残せる。また一家の大黒柱的な男性も多いだろう。生活がままならなく家庭が増える。一人が死ぬだけで多数の人間が苦しむ。

例えば、電車が走行中に運転手をナイフで脅して、速度超過させるだけでかなり大規模の事故を引き起こせる。カーブに差し掛かったり、前方にいる車両にぶつかりさえすれば、あとは一番先頭にいる自分は即死である。ましてや、車両も死体もグッチョングッチョンで、事故と片付けられる可能性もあるんだから、これほど綺麗な自殺はない。確か、電車の速度を自動的に制御するATS(?)は、JR西日本では未だにほとんどの路線で整備されていないはずだったから(ry。

そもそもインパクトがあるという理由だけで、飛行機や電車を狙うというのもいささか短絡的である。幼稚園・保育園・小学校など身近で、確実な場所が色々ありそうなものである。社会の希望であり、未来である子供が、そこにはいっぱい詰まっている。それが突如と理由無く失われれば、社会は酷く落胆し、生きる希望や活力も失われる。やはり数が多ければ、9.11のと同じぐらいインパクトは残せるであろう。

その希望を人々から無理矢理奪えば、「私は何という罪深いことをしてしまったのだろう」と計り知れない罪悪感が芽生え、それが今の曖昧な自殺願望を、もっとハッキリとした形にしてくれるだろう。いっそ他人を殺すことが、自分が死ぬことなのである。自分を殺したいなら、いっそ他人を殺してしまった方が楽なのである。また日本には死者に鞭を打つという習慣はなく、逮捕される前に、自殺してしまえばいいのである。世間に見にくい自分の死体が晒されることはない。まさしく一石二鳥とはこのことである。被害者給付金制度も充実してきているため、社会があとは面倒を見てくれるので残された被害者家族について何の心配も要らない。

また病院には風前の灯火の方々がたくさんおられる。その方々達から苦しみを解放してあげる。これは解釈しようによっては、一種の神の施し解釈できなくもない。世の中には、『安楽死』というものが存在する。人の命を奪ってあげることが、一種『正義』なのである。自分が死ぬときには、何か社会に貢献してから自殺したいと思う方もいるかも知れない。その時こそ、この施しがあるのではなかろうか。そして、一緒に静かに天に召されなさい。

一生に一度しかない『死』を無駄にしないためにも、誰もがやったことのないようなインパクトのある自殺をプロデュースしなければならない。一世一代の大花火を打ち上げなければ損だ。ましてや複数の志願者と実行するとなれば、色んな多様性や可能性も生まれてくる。どういう死に方であれ、誰かの手を煩わせることになるんだし、あれこれ他人の迷惑を考えること自体無意味である。当然、道連れは多い方がいいに決まっている。何も残らない自殺よりも、何か社会に意味を残せる殉教的な行為をする方がマシであることは間違いない。
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