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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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11月23日の勤労感謝の日に、『ムーブ』という男性アナウンサーがセクハラ(強姦?)したTV局で放送されている番組に、言論右翼の代表格的存在の鈴木邦夫が出ていた。昨今の日本の右傾化について嘆いていた。そして、それに対する正確な分析が紹介されていた。

主な論旨は以下である。

最近の若者の多くに右翼的な発言が見られる、その底流として大きい国家と自分を重ね合わせて、自分たちがまるで強くなったかのような錯覚が得られる脆弱な若者がいる。そして、日本という国家が攻撃されれば、まるで自分たちが攻撃(否定)されたように感じる。だから、感情的に中国や韓国に反発して、それがナショナリズムの高揚に繋がっている。

自分たちの愛国心を認めるべきだと声高に叫んでいながら、彼ら中韓の愛国心は一向に認めたがらない。そもそも、彼らには何の信念もなく、ただ感情で右に走っているだけ。本来の右翼は在日とか関係なく、差別したりはしない。今のように、ただ在日だから中国・韓国だからと言う理由だけで、人種差別をしたりはしなかった。ただ感情のはけ口として、彼らに敵意を向けているに過ぎない。

それに付け込もうとしているのが、自民党や日本政府、警察と言った公権力であることを気づいていない。例えば、最近、自民党や創価学会が憲法改正や教育基本法改正を必死になっていることが好例である。馬鹿な世論が熱にほだされている内に、さっさと改正してしまおうというのである。国民の行動や言論を縛るための共謀罪なども好例。

要は、今の右翼的な言動をしている国民は「短絡的な只の馬鹿」ということが言いたいわけですね。早稲田大学を卒業し、長年言論右翼として従事し続けてきた人間は、やはり言うことが違う。右翼は右翼でも、馬鹿とは一緒にされたくないのでしょう。

また最近では、それに押されて(自分には迎合しているだけにしか見えないが…)保守系論客(評論家や教授)と呼ばれている只の馬鹿がたくさん出てきているとも言っていた。まさしくその通り。そして普通ならビビって、なかなかこういう批評なり批判はTVで言えない。流行に乗ってるだけの浅い人間には無理だろう。何せおまんまに食いっぱぐれるわけだからw

(注意:一日経った後で書いたことなので、少し記憶が曖昧。間違っている部分があるかも知れないが、そこはご愛敬)


ちなみに、その回の出演者は宮崎哲也、橋本徹、歯並びが悪いおっさんである。その同じ言論右翼(右翼評論家)である宮崎哲也が、何故同じ鋭い分析ができなかったのかと考えると、彼の頭の悪さが如実に表されている。

例えば中国の愛国心教育は反日教育であるとチャチャを入れていたが、では中韓に反発して生まれた日本のナショナリズム(愛国心)も、それと何ら変わらないのだろうと言う話。

+ + + + +


彼らの愛国心を認めてはならないのだと言うのであれば、当然こちらの愛国心も認めてはならない道理になる。もし同じ低品質な愛国心を日本だけに認めるべきだと宣うのであれば、それこそエゴ・利己的な塊が発出しただけで説得力がないし、結果的に彼らが歩んだ道を日本が歩むことになるだけだ。宮崎も、只の迎合馬鹿だったのか知らん。そういえば、最近は良く「サヨクサヨク」と壊れたレコードのように、醜いリズムを奏でている。

また政府や自民党が付け込む云々というのは、全くの同意。憲法は政府や公権力を縛るためのものであると知らない国民も多数いるという世論調査があるぐらい。では何を縛るのかと問われたら「国民」と大多数が答えたというのだから、驚きである。自民党や創価学会が、これを絶好のチャンスであると考えないはずがない。だからこそ、国民が目覚める前に、一気に教育基本法改正などを畳みかけてしまおうと、彼ら自民党・公明党政治家は必死になられているのだ。

ただ大きい国家と自分を重ね合わせているのだとしたら、何故、アメリカには反発しないのだろうと素朴な疑問を持ってしまう。在日米軍が戦後何十年と駐留し続けている。小泉政権時代には、米軍ヘリが大学構内へ墜落し、それに日本は何の捜査もできずにいた。ょぅι゛ょがレイプされたりもしている。それにも関わらず、ネットでは中韓と比べて、何の批判運動も展開されない。

米軍を移転させるためだけの費用に何兆円もの血税が恐喝されようとしていても、「いや日本の国防のためには必要だ。お前、さては国賊だな( ̄ー ̄)ニヤリ」と訳の分からん論理を展開。ましてや産経新聞なんて酷い。PAC3搬入を拒んだ市民団体を「日本の国防を邪魔するな」などと非難しておきながら、酔いどれ中川の核武装論議の時には、「核武装論議を拒む人間は、アメリカの軍事力を信用しすぎだ」というようなことを宣う始末。軍事力をもっと強化させたい日本政府や自民党に媚びるのは勝手だが、これでは単なるパシリがやることである。

そもそもアメリカを批判すれば売国奴で、中韓を批判すれば愛国者という発想が、論理的に間違っている。

あー、日本政府と自民党は「アメリカの犬」だから、それと重ね合わせている自分たちも「アメリカの犬」になろうという訳か。米軍再編や米軍基地を批判する人間は、その日本政府と自民党に批判することに繋がり、ひいてはその日本政府と自民党に自分を重ね合わせているメルヘンティックな彼らが批判されたことになってしまう。そして、泣きべそを掻いてしまう。

つまり、何とか自分のプライドやアイデンティティー(自己同一性)を保とうとしようと、日本政府や自民党を直接的に擁護したり、日本政府や自民党を批判する対象を一斉に数の力を用いて、非難の応酬を畳みかける訳です。そして、自民党と真っ先に対峙する野党第一党である民主党に対して、「民主党だから駄目云々」としか言えないような輩が圧倒的に多いのか。その答えは自ずと見えてきますね。何故、小泉政権時代(特に後半)に自民党を民主党が、いや野党全体が批判してこれなかったのかも、これ以上何も言わなくてもご理解していただけるでしょう。


これは『虐め』の構造と酷似している。大多数に媚びて、その中に入れば、自分たちには権力が得られたかのように錯覚を得る。そして、個々人では極めて脆弱な存在であっても、少数に対して偉そうな態度を取ることが出来る。しかしながら、その絶対的多数に入っていても、いつ自分が少数にはぶれるかビクビクしながら生きなければいけない。だから、その不安を解消するために、紛らわすために少数を虐める。またそれを大多数の結束を高めるための、一種の方法論や踏み絵として用いるようになる。「彼らを虐めなければ、俺らの仲間とは違う」という具合に。そして、常識的に誰がそれを見ても間違っている行為にも関わらず、全く理にかなっている道理であるかのように正当化するようになる。

「何が正義で何が悪であるか」ということを全く考えずに、「多数が正義で少数が悪」という前提で全ての物事を判断している。つまり思考停止状態に陥っているから、少数に自分が陥ってしまえば、それは「仕方がないことだ」と諦めてしまう。ついこの間、フジテレビで教育を取り上げた番組があった。そこで小学生に虐め問題を語らせていた。その大半が虐められた経験もあるし、虐めた経験もある小学生だった。彼らはしきりに、「虐められても仕方がない。虐められたら諦める」と言っていた。まさしく、日本全国小学生化が始まっていると言っても良いかもしれない。

また彼らは「自分が死んでも、また生き返るからいいよ」と宣っていた。この幼稚園児でも考えそうにない死生観が蔓延していることに、尚更驚いた。南京大虐殺は歴史的に存在しないと宣っている右翼と思わずダブった。人の生き死にを現実として捉えられていない。物事をリアルで捉えているようで、実際には物事を何もリアルに捉えられていない。あくまで表層だけしか見ていない。ホント、TVの世界。物事を深く理解したり、考えたりすることができない環境にあるのかも知れない。


そして、11月22日だったか衆院特別委員会で、安部晋三は「結果平等主義」を批判していた。日教組を暗に批判したかったのだろう。産経新聞で、元首相の森が来夏の参院選対策でそれを取り上げると、喜々として話していたことがある。

「徒競走で横一列に全員を並べて、一緒にゴールをするなんて馬鹿げている」
「それぞれ違っていてこそ、個性だ」

ただ、その『違い』を今まさに平らにしようとしているのは、どこのどいつだという話。どれだけ過去の偉人を知っているか、またそれを学び取ろうとしているかその態度で、個々人の愛国心を評価しようとしているのは、どこのどいつだという話。最初から一緒の思想を学びましょう、結果的に個々人の違が出ることは許しません、特定の思想や考えや基準以外は全て認めませんと、委員会での発言と相反する行動をしようとしているのはどこのどいつだという話。

そもそも、そういう結果平等主義は、保護者の願いを教師の泣く泣くの判断で叶えてあげた結果である。しかし、安部晋三は、その保護者の願いを叶える教育作りに邁進しているのではなかったのか知らん。また安部はノリで発言し、大嘘をついたのだろうか。全く手に負えない糞餓鬼だ…( -д-) 、ペッ。

こういう結果平等主義は小学校以前の、保育園や幼稚園の段階で既に蔓延している。例えば、学芸会。桃太郎のお芝居をしましょう、となれば、まず誰が主役の桃太郎になるか揉める。だから、全員桃太郎役をやりましょうという結論になり、桃を割ったら、何十人も桃太郎が…なんてことが。まあ、ょぅι゛ょがたくさん桃から出てきたらこの上なく嬉しいですけどねw

安部晋三が提唱している「結果平等主義的愛国心」に、最初に述べた短絡右翼も同調している。それに反対する人間達のことを『売国奴』や『左翼』などとお得意の思考停止のレッテルを貼り、蔑んで、喜々としてはしゃいでいる。自分たちが持ち合わせる思想を持っている人間は、誰も認めないという訳だ。ファシズム・全体主義・創価学会となんら性質的には変わらない。オウム信者らと変わらない。


こう見てくると、何だかその結果平等主義を求める保護者と、クラスで虐めを実行する生徒と、国家に同調するだけしか能のない短絡右翼の底流には、「みんな一緒でないと不安」という精神構造があるように思えてくる。

①大多数に属することに生き甲斐や安心感を感じる。
②極端に自分を批判されることを恐れて生きているからストレスがたまる。
③その捌け口として弱者や少数マイナーを見つけて、攻撃する。
④その攻撃が一種の共鳴感や連帯感、また正当化の手段として用いられる。
⑤大多数の中にいると暴論を暴論と批判できず、いつしか暴論を暴論と思えなる。
⑥それを平気でその暴論を他者へ押しつけるようになる。
⑦最終的に、自分の都合の悪い情報には耳を塞ぎ、その情報を信じないばかりか、一方的に貶す。

③④と⑤⑥は大体同じような内容ですが…

短絡右翼の場合、特にリアル右翼団体を非難し、まるで自分たちは正常な人間であるかのように宣っていることが好例でしょう。つまり、自分たちは偏った人間などではなく、「大多数に属している人間」であると主張しているのだ。これは初期段階の①に属する傾向だと言える。また自分たちが右翼(排他的人種差別)思想を持っていると思われると、必ず左翼でなくても中道からも批判される。「攻撃される左翼が一方的に悪いんだ」と非難し続け、自らの思想や行動の正当化を図る。これが④に当たります。⑦も典型的。ここに書くのも憚られるほど、周知の事実で、痛々しい。

具体的に、それらが三者の場合、具体的に何を表しているか皆まで言わない。何故なら、面倒くさい(・∀・)スンスンスーン♪

そして、その更に底流には、「勝ち組・負け組」といった社会がぐらぐらに不安定になってしまった『格差社会』がある。賃金や身分や生活に極端にまで差が付くと、何とかお互いがお互いの距離感や高低差のバランスを取ろうとするようになる。その結果が、それらという訳です。言うまでもなく、一番下の底流には『ファシズム・全体主義』という思想が、マグマのようにグツグツ音を立てて沸騰している。


つまり、この記事のタイトルのように「結果平等主義=虐め=昨今の究極的な右翼思想=ファシズム全体主義」ということですわ。単純に「結果平等主義=ファシズム全体主義」だけなら、誰しもが容易に想像できるが、その極左的な主義思想の間には、昨今の『日本の右傾化や保守化』が巧妙に介在している事実は見過ごせないと思います。そして、その『日本の右傾化』が始まる前提や根柢に、学校内・クラス内の虐めが一般化しすぎている背景がある。

んで、こんなことを言い出したら、必ず「だからこそ、安部ちゃんの教育基本法改正をしないとねw」と短絡右翼が巧妙に話に入ってくる。で、必ず自分は「改正して何が変わるんですか?」と聞くんですよ。そしたら論点をずらすか、それ以降レスが貰えずスルーされたりする訳です。基本的に、彼らは権力(自民党や日本政府)に飼い慣らされている犬。

まるでパブロフの犬状態。北朝鮮や中国の話題が出てくると、「チョン」や「支那」などと条件反射的にレスをして、在日の話題が出てくると、「日本から出て行け!」や「国へ帰れ!」や「血税泥棒」などと同じく条件反射t(ry。教育の話題が出てくると、今のように改正支持を訴えかけたり、同意を求めるようなレスをする。そして、自分に反論する人間には必ず「左翼」や「売国奴」や「チョン」などとお得意のレッテルを貼り、勝手に優越感に入られる。

右翼的な思想や発言をしている人間が、みんながみんな馬鹿だとは言わないけど、大半は思考停止されている。知識や議論という部分では、知的でまともな右翼に依存している部分が多々ある。最近はそれにも限界が出てきてるのではないかと思うほど、思考停止状態が上の方にまで酷くなってきている。犬以下の人間で生きてて恥ずかしくないのかと。まあ犬の人生も悪いことだとは言わないが、それを一般化されちゃうと困る。ほとんどの人間は君らのように犬には成り下がりたくはないんですよ…。


でも最後に、その短絡的な右翼の特集の間に、レンタルお姉さん(引きこもり)の特集を挟むのは恣意的な編集だったことは言っておかないと…w

短絡右翼の中には、何の社会経験もしていないが、時間だけは有り余っている中高生や大学生や主婦、フリーターも多く含まれているだろうから、やはりこの点に関しては批判や誹りがあってしかるべきである。何故なら、彼ら無能な右翼が自分たちの意見とは違う人間に対して頻繁に行うレッテル貼りと何ら変わらないからである。しかも、「ニート=引きこもり」というレッテル貼りもしていたのだから手に負えない。少数を多数で虐げる構造は(ry。

そもそも外にも出られない人間が、生きる活力すらない人間が、ああいう過激なことを毎日言ってるとは思えない。感情という表情が乏しく、無表情と言ってすらいい。もしその人間達に日本中が躍らされ、騒いでいたのだとしたら、日本のメディアや国民も実にレベルが低いと言わざるを得ないし、その放送を認めてしまうと言うことは、暗に自分たちが能なしであると自ら認めたに等しい。

むしろ大企業は積極的にそういう人材を雇用していくべきだろう。2ちゃんねる対策用にw
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