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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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安部晋三が提唱する「教育再生会議」が、つい先日鳴り物入りで始まった。

主に「学力向上」と「規範意識の再生」を重点的に掲げている。具体的には、全ての子供に高い学力と規範意識を身につけさせる機会を、国や自治体が保証するという内容を謳っている。つまり、大雑把(おおざっぱ)に言ってしまえば、「公教育の再生」な訳ですね。

そして10月30日、衆議院「教育基本法」特別委員会質疑が始まった。

当然の如く、「必修科目・未履修高校生問題」が野党の槍玉に挙げられた。「学習指導要領を破る」ということは、「規範意識」の放擲を意味している。しかしながら、それは同時に「学力向上」という正の側面も生み出している。安部が掲げている目標なり理想は、相反している要素が潜在的に含まれているのではないかと思ってしまう。

生徒自身がいくら知らなかったとは言え、少なくとも、その「規範意識」の放擲の恩恵は被っている。その「規範意識」を守らせる意識を芽生えさせようと思えば、自分の目標の大学合格処か、高校卒業すら危ぶまれる事実。それは彼らの現在の高い(多分)学力は、規範意識の放擲がなければ、確保できなかった事実を示している。そして、規範意識を遵守させれば、その高いとされる学力が低くなってしまう恐れが高いことも意味している。

もし、生徒達が「学力は低くならない」のだと強弁を張るつもりなのであれば、安部が主張しているような特例措置は全く必要がないことになる。安部は文科相の伊吹に対して、この未履修問題児達を早急に救う手立てを考えてやれと宣っている。

ただこれからの授業時間数減をもたらした「ゆとり教育」のあり方、大学受験のあり方、学習指導要領のあり方、この3点を同時並行的に処置していかなければならない。早急に救う手立てを考えてやれ、とは安部が将来的に日本の教育をどうしたいかを、元々考え切れていなかった証拠。ただノリで宣っていただけだったのだろうかとさえ疑いたくなる。

+ + + + +


こういう一時的な措置を取った所で、根本的な問題は解決されないまま放置される。日本の教育が慢性的に抱えてきた病巣と言っても過言ではない。絆創膏を貼った程度で、傷が見えなくなりこそするだろうが、根本的には治癒されない。そもそも、こういう一時的な措置は不平等の温床とすらなりうる可能性がある。

エリート達が偉い大学へ行くために、規範を守らず、勉強のためなら何でもしている。だったら、下位高校の生徒達もできるだけ普通の大学へ行けるように、一年生時から受験に必要な2科目か3科目のみを集中的に勉強させるなんてことも、今後起きうる。何故、上の言うことを聞かなければならないんだと暴動さえ起きかねない。「だったら、俺はダンスがしたい」「いや、私はメークが勉強したい」と次々言いだして、本来学ぶべき英語や国語や歴史が蔑ろにだってされかねないし、その正当性を政府や文科省がお墨付きを与えてしまう。今回、無意味な一時的措置を執ってしまうことで、誰もそれを非難や咎めることも出来ないのだ。

必修科目(生徒全員が学ぶべき教科)とは言いつつ、自分が行きたい学校へ入学するためには必要ではない科目なのだ。何を以てして、必修(学ぶべき)と定義づけているのか全く分からなくもなる。それを黙認してしまう。結果、自分たち政府や文科省の存在すら否定してしまうことに繋がる。

あくまで安部が気にしているのは、外交的・政治的に利用しようと画策している『愛国心』のみであることが訝しくて堪らない。「21世紀に則した教育を…うんたら」とは宣うだけで、具体的には今の日本の教育は何が問題で、どんな処置を行わなければならないか、そのために『愛国心教育』が今の日本に必要である、というプロセスは聞こえてこない。結論ありきである。まるで『愛国心』は、癌や糖尿病にでも何にでも効く「漢方」であるかのように喧伝している嘘くさい業者である。

それはつまり、安部は何も考え切れていないことを意味しているのではなかろうか。やはり『愛国心』だけに勃起していると、周りは見えなくなるのだろうか。男が勃起をしたら、射精して、欲望を吐き出すことしか頭になくなるのだ。とにかく、この怒張した暴れん坊息子を収めること、抜くことしか頭にない。今の場合、安部は『愛国心』で勃起してしまった以上、『愛国心』で抜くしかない。だから、他のもっとより現実な問題へ目がいかない。とにかくそれで抜くことしか頭にない。アッキーよりもアイコクシンみたいなw



そもそも、先述したが安部晋三は「教育再生会議」で、学生達の「学力向上」を打ち出している。安部が選んだ首相補佐官の一人山谷えり子なども、今月18日の初会合で「学力向上の具体的な支援策を優先的にやる必要がある」と述べている。本格的に、本腰を入れているように感じる。

では、今回の学歴偏重主義の学校が執った措置。政府や文科省にとって必修科目(生徒が学ぶべき義務がある教科)の時間を削り、他の生徒自身にとって必要な時間を増やしたことは何か問題なのだろうか。必修科目を勉強しないという代償を払い、他の科目を勉強する時間が増えた。それが結果的に、学力と呼ばれるモノを向上させた。そして、生徒自身が望む難関大学と呼ばれる所へ無事合格した。保護者も望んでいた教育だった。大学へ合格するために生徒達の学力を向上させようとした結果が、あれである。その殆どが公立高校(特に予備校が少ない東北以北)であった。別に誹りを受ける必要はないのではないか。彼らは安部晋三が望む「学力の向上」を実現させた。むしろ安部の信条からすれば、褒め称えて然るべきであろう。

しかし、安部に信任された文科省の伊吹は、それを由々しき問題だと学校らを批判している。つまり、大学へ合格させるために必要な学力が、安部が求めている・考えている学力でないとするなら、安部が宣っている学力とは、一体どんな『学力』なのだろうか。ましてや、主張を変えたのか、30日の特別委員会では、「学校側が率先的に規範を破るようなことをしては駄目だ」と宣う始末。



また、「教育再生会議」などで外部評価を含めた『学校評価制度』の導入を謳っている。しかし、外部評価を導入すれば、今回問題となったような学校が、必然的にランクの高い学校として世間から評価されてしまう。何故なら、大学合格こそが保護者の念願であり、生徒自身もそれを目的で高校に入学している。まさか、今時「人間力の形成」や「就職のために」という生徒はさして多くないであろう。

別にこれは保護者なりが選ぶ結果なのだろうから、100%間違ってるとは断罪できない。ただ保護者や親の気持ちとしては、世間のモラルから逸脱しても、自分の子供には良い大学へ入学して、勝ち組になって欲しい、少なくとも、負け組なんかには落ちぶれないで欲しいと考えるのは仕方がない。だから、世間から見ればねじ曲がった要求を出してくる保護者は少なくない。また「保護者が選んだ学校なのだから、政府はここの教育方針に介入できない」と言い出されたら、政府や文科省・教育委員会は口を出せない。保護者に評価させる権利を与えることは、保護者にそれなりの地位や権力を与えると言うことだ。保護者が「こうせんかい」と言えば、公僕である教師やその上の教育委員会は逆らえない。逆らえるのだとするなら、何故、保護者に対して「評価」という武器を与えるのか分からなくなってしまう。

つまり、今回元凶の一つともなった上記のような保護者・親が蔓延することになる。安部が理想として掲げる「教育」を実現するためには、「諸刃の剣」となることは明白ではないのか。

「規範意識の再生」を掲げる安部としては、この『学校評価制度』を導入することで、今以上に難しい状況に陥りはしないのだろうか。そうすると安部晋三の政治信念や理念に共感を抱く有権者や団体としては、自己実現できない総理大臣に対して幻滅することは否定できない。そして、求心力も低下することは間違いない。

既に、日本の教育は既に歪(いびつ)。しかし、首相である安部には具体的な施策がない。いまいち、ここでもやはり何をしたいのかが見えてこない。



そういえば、30日の特別委員会で、民主党の野田が「安部内閣がアベコベだったら困るんですよ」と宣っていたらしい。 これを聞いたとき、かなりガックリした。俺が3・4日前、2chでレスした内容と全く同じだったからだ。 あんなポマードデブと俺は同レベルかよ_| ̄|○

まあ誰でも思いつきそうな下らない駄洒落だけど、ソフトバンクモバイルが番号ポータビリティ契約が、2日連続で停止されたことに関して、メディアが一斉に「予想外」を連発してるよりかはましかw





そして、この未履修問題を見ていると、つくづく思う。

有名な私立中学や高校に入学できたのも、何も生徒が優秀だからではなく、ただ親が金持ちであり、そこに入学させるために、金を注ぎ込んでくれたおかげである。自分の子供に、受験対策に費やせるために「必要な時間」を“プラス”してあげることができた。それが結果的に功を奏しただけなのだ。

同じように、有名な大学に入学できたのも、何も優秀だからではなく、ただ受験に不必要な授業を無くしてくれたおかげで、自分に必要な教科だけを重点的に勉強することができた。中高の場合とは異なり、今度は自分の生徒に、「受験対策のために「不必要な時間」を“マイナス”してあげることができた。それが今回も、結果的に功を奏しただけなのだ。

もちろん、それが全部が全部、粗悪品だとは言わないし、実力が全くない人間ばかりだとも思わない。ただ裏にはそういう不平等極まりないカラクリがあった。これは明白な事実である。フリーターの親を持った子供が、果たして、おべべ綺麗にした私立小学校なり中学校なりに通えるだろうか。高い確率で不可能であろう。

他者を全く引き付けないほど、かなり優秀な人間は、全体の内、絶対に何%かはそもそもいるだろう。だが、それに仲間入りしている殆ど大半は、不正に…とまでは言いすぎだが、正攻法の手段を用いずに、仲間入りしている。たかだか、そこに居る人間が発揮できる実力も高々知れている。

特別扱いされなければ、かなり優秀な人間と同レベルの実力発揮できないということだ。それが幼い餓鬼の頃から、常態化してしまっている。しかしながら、金や地位を利用するなどして、特別扱いを受けていれば、人並み以上の実力を発揮できる人間が大半だろう。

では、何を持ってして、彼らのことを優秀だの、エリートだのと褒めそやすことが出来るのか、正直な気持ちを述べさせて貰えるなら、「疑問」で仕方がない。もし仮に、数科目だけ優秀であれば、将来的にも優秀な企業戦士になれるのであれば、体育や音楽など科目は一切廃止し、全生徒に対してその数科目を徹底的に教え込めば良いという話になる。

昔と今は違うので、そういう人間を下から上までの世代を、一概に一緒くたにまとめることは難しいかも知れない。ただ少なくとも現在生まれつつある、最近ここ10年や15年近くに生まれたそれは、しみったれていることは間違いない。
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