『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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トリニダードトバゴ戦の時とは違って、ワンタッチの華麗なパス回しが全然見られなかった。一人一人ボールを持ってる時間が多かった。日本人は個人技に関しては極めて下手な部類に属する。相手選手を抜いたり交わしたりできる選手は皆無。ボールをキープできる選手も皆無。いくら格下相手と言っても、やっぱりボールをつなげなきゃ確実に勝てない。それでフリーキックやコーナーキックなどセットプレーで決める。これが日本流のサッカーだろう。それが全く実現されてなかった最悪の試合と言っても良かった。
ピッチ上にいるときは、ほとんどがオフボール。ボールをどこに行ったらもらいやすくなるか、ボールを持っている味方選手がパスしやすくなるか、その後、どう展開していくか、もっともっともっと考えながら、もっともっともっともっと動く必要がある。
この試合、パスが全く繋がってなかったと言うことは、何も考えずにサッカーしてたと言う証左である。日本人は子供の頃から、一人でリフティングをしたりと、集団の中でサッカーのレベルを高めていくことしていない。だから、基本的に味方選手と自分の関係を考えることが極めて苦手。相手がどう動けば、また自分がどう動いた方が、ゴールを決めやすくなるか、相手からボールを取りやすくなるか、といったチームがどうやれば確実に、また楽に勝てるかを考えない。あくまで自分のパスが、シュートが曲がるか、強く打てるか、そういうことばかりしか考えてない。しかも普通は、ボールが止まってる訳でもない、相手も動いてる状況で、そんな練習ばかりしてるのだから無意味といっていい。だから、視野も狭いし、全体のピッチ状況を俯瞰することも苦手。
要は、日本人は子供の頃から『静』のサッカーしかしてない。サッカーというのは『動』なんだよ。ゲームのサッカーように『静』ではない。みんな動いてる、自分も動いてる、ボールも動いてる。そういうのを全部把握できなきゃ、サッカーは始まらないんだよ。まあハッキリ言ってしまえば、「日本人は頭が悪い」。この一言に尽きる。
今日の試合は動き出しも極めて遅かった。動きが少ない状態から、こうシュッと飛び出す。そういう加速度的な動きをしないと、相手に動きを読まれて潰される。だらだらだらだら動いてちゃ駄目なんだよ。
日本人は身長だけじゃなくて、体躯的に世界と比べて劣っている部分が大きい。世界の選手に当たりで潰される光景を何度目にしていることであろう。だからなおさら相手に触れられないような、華麗な動き出しが必要になってくるんだよ。日本人は戦後何十年かで、日本経済をトップレベルにまで引き上げた優秀な民族である。それがこんな様では「情けない」の一言である。やはり「日本人は頭が悪い」。
前回の試合で華麗なパス回しをやっていたと言っても、パスの精度や、パスボールの速度は世界から比べるとやはり目に見えて劣っている。日本サッカーは何度も言わなくても、もろもろ全体的にやっぱり世界レベルにはほど遠い。欧州では、ワールドカップの人気よりも、各国リーグのトップチームがしのぎを削り合うチャンピオンズリーグの方が人気な理由も頷ける。日本や、その他アジアチームが出てるような大会では興ざめしてしまうのは当たり前だ。イエメン相手に、しかもホームの試合で、この点差・試合内容では先が激しく思いやられる( ´Д`) <はぁー
あと釣男がブラジルから父親を呼んでいたみたいで、やたら張り切っていた。それが良い方向に働いていたかどうか分からないけど、勇猛果敢に攻め上がっていた。点を決めてほしかった。というか、再三のチャンスがあったんだから、決めろハゲ。格下相手にどんだけ外してんだ馬鹿…。1点でもお前が決めてたら、どんだけゲーム運びが楽になってたか分からない。
ピッチ上にいるときは、ほとんどがオフボール。ボールをどこに行ったらもらいやすくなるか、ボールを持っている味方選手がパスしやすくなるか、その後、どう展開していくか、もっともっともっと考えながら、もっともっともっともっと動く必要がある。
この試合、パスが全く繋がってなかったと言うことは、何も考えずにサッカーしてたと言う証左である。日本人は子供の頃から、一人でリフティングをしたりと、集団の中でサッカーのレベルを高めていくことしていない。だから、基本的に味方選手と自分の関係を考えることが極めて苦手。相手がどう動けば、また自分がどう動いた方が、ゴールを決めやすくなるか、相手からボールを取りやすくなるか、といったチームがどうやれば確実に、また楽に勝てるかを考えない。あくまで自分のパスが、シュートが曲がるか、強く打てるか、そういうことばかりしか考えてない。しかも普通は、ボールが止まってる訳でもない、相手も動いてる状況で、そんな練習ばかりしてるのだから無意味といっていい。だから、視野も狭いし、全体のピッチ状況を俯瞰することも苦手。
要は、日本人は子供の頃から『静』のサッカーしかしてない。サッカーというのは『動』なんだよ。ゲームのサッカーように『静』ではない。みんな動いてる、自分も動いてる、ボールも動いてる。そういうのを全部把握できなきゃ、サッカーは始まらないんだよ。まあハッキリ言ってしまえば、「日本人は頭が悪い」。この一言に尽きる。
今日の試合は動き出しも極めて遅かった。動きが少ない状態から、こうシュッと飛び出す。そういう加速度的な動きをしないと、相手に動きを読まれて潰される。だらだらだらだら動いてちゃ駄目なんだよ。
日本人は身長だけじゃなくて、体躯的に世界と比べて劣っている部分が大きい。世界の選手に当たりで潰される光景を何度目にしていることであろう。だからなおさら相手に触れられないような、華麗な動き出しが必要になってくるんだよ。日本人は戦後何十年かで、日本経済をトップレベルにまで引き上げた優秀な民族である。それがこんな様では「情けない」の一言である。やはり「日本人は頭が悪い」。
前回の試合で華麗なパス回しをやっていたと言っても、パスの精度や、パスボールの速度は世界から比べるとやはり目に見えて劣っている。日本サッカーは何度も言わなくても、もろもろ全体的にやっぱり世界レベルにはほど遠い。欧州では、ワールドカップの人気よりも、各国リーグのトップチームがしのぎを削り合うチャンピオンズリーグの方が人気な理由も頷ける。日本や、その他アジアチームが出てるような大会では興ざめしてしまうのは当たり前だ。イエメン相手に、しかもホームの試合で、この点差・試合内容では先が激しく思いやられる( ´Д`) <はぁー
あと釣男がブラジルから父親を呼んでいたみたいで、やたら張り切っていた。それが良い方向に働いていたかどうか分からないけど、勇猛果敢に攻め上がっていた。点を決めてほしかった。というか、再三のチャンスがあったんだから、決めろハゲ。格下相手にどんだけ外してんだ馬鹿…。1点でもお前が決めてたら、どんだけゲーム運びが楽になってたか分からない。
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北方領土・歯舞諸島の貝殻島付近で日本の漁船(第1吉進丸)がロシアの警備艇に拿捕された。そして、乗組員である盛田光広さんが「頭部に銃弾」を受け、殺害された。なんと35歳という若さである。
『愛国者』は今こそ立ち上がらなければならない。同じ大和民族である日本人が無惨にも殺害されたのだ。盛田さんの妻や母親の涙を見たか?突然、愛していた夫、息子の命が奪われたのだ。その心中、察するにあまりある。心の中、頭の中でハッキリとした『殺意』が、ふつふつと涌いてきたであろう。でなければ、誠の『愛国者』ではないと断言する。今こそ、『愛国者』の力を見せてやるときである。大人しく黙ってはいけない!死んで『神』になるのは、今しかない。今の時期を見逃してしまえば、『神』になれる機会は今後いつ訪れるか分からない。今、『神』になるのだ!
ただ加藤の家を襲撃したゴミのようにはなるな。確実に死ね。死ななければ『神』にはなれないのだ。『神』にならなければ誠の『愛国者』などではない。ただの人。いやそれ以下の『売国奴』『ゴミ』『ブタ』『家畜』である。『死』ななければ、ただの『犯罪者』として後世まで罵られ続けられるだけだ。生きて虜囚の辱めにあうな。『死』んでこそ『愛国者』である。己の「忠誠・忠心」を国家に示すのは今しかないである!!!!!
そして、露西亜を征伐するのだ!徹底的に、報復をするのだ!日本国としての意地を見せてやれ!!!戦え!!!!!
『愛国者』は今こそ立ち上がらなければならない。同じ大和民族である日本人が無惨にも殺害されたのだ。盛田さんの妻や母親の涙を見たか?突然、愛していた夫、息子の命が奪われたのだ。その心中、察するにあまりある。心の中、頭の中でハッキリとした『殺意』が、ふつふつと涌いてきたであろう。でなければ、誠の『愛国者』ではないと断言する。今こそ、『愛国者』の力を見せてやるときである。大人しく黙ってはいけない!死んで『神』になるのは、今しかない。今の時期を見逃してしまえば、『神』になれる機会は今後いつ訪れるか分からない。今、『神』になるのだ!
ただ加藤の家を襲撃したゴミのようにはなるな。確実に死ね。死ななければ『神』にはなれないのだ。『神』にならなければ誠の『愛国者』などではない。ただの人。いやそれ以下の『売国奴』『ゴミ』『ブタ』『家畜』である。『死』ななければ、ただの『犯罪者』として後世まで罵られ続けられるだけだ。生きて虜囚の辱めにあうな。『死』んでこそ『愛国者』である。己の「忠誠・忠心」を国家に示すのは今しかないである!!!!!
そして、露西亜を征伐するのだ!徹底的に、報復をするのだ!日本国としての意地を見せてやれ!!!戦え!!!!!
加藤紘一の事務所兼自宅が全焼させられた。
そしてその放火犯である男は割腹自殺を図ったそうである。
こいつこそ男の中の男である。
『死』んで『神』になろうとしたのだ。
『死』んでこそ『神』になるのだ。
『死』ななければ『神』になれないのだ。
『死』んで『神』になるのだ。
『神』『神』『神』『神』『神』『神』
『神』になるために死ぬのだ!!
ただ死ぬだけでは『神』にはなれない!
そう『道連れ』だ!!!ただ死ぬだけでは『神』にはなれない!
敵を『道連れ』にしななければ、死んでも意味がない!
確実に敵を『道連れ』にしてから、最後に自分を確実に死に至らしめるのだ!
『神』だ!さあ、みなのもの『神』になるのだ!『神』になるために死ぬのだ!
凡俗な自分たちができることは何か?
『死』ぬことだけである。
『死』ななければ誰もが『神』になれないのだ!!!!
さあ!さあ!さあ!さあ!さあ!さあ!
喜び勇んで『死』のうぞ!!!!!!!
『神』になるのだ!!!!!!!!!!
『死』こそ『神』である!!!!!!!
『殺人』こそ『神』である!!!!!!
『神』になってこそ、誠の『愛国者』である!!!!!
『死』んでこそ『価値』があるのだ!!!!!!!!
忘れる無かれ!!!!!!!!!!!!
しかしながら、この男は誰も『死』に至らしめていないのである。
97歳の加藤の母親は散歩に出てて助かったそうである。
ましてや自分すら『死』に損ねているのである。実に無様である(゚∀゚ )アヒャヒャ
だとしたら、この男はゴミ以外の何者でもない。クズ以下の糞である。
生きて虜囚の辱めを受けた糞である。あのゴミは『神』になりきれず、腐りきったただの『犯罪者』にしかなれなかった。
もし生きて帰ってきたとしたら、奴は一生残りの人生を糞尿を食い続けるべきである。
このゴミ似非右翼に末代まで続く永遠の苦痛の地獄が訪れることを願ってやまない。
そしてその放火犯である男は割腹自殺を図ったそうである。
こいつこそ男の中の男である。
『死』んで『神』になろうとしたのだ。
『死』んでこそ『神』になるのだ。
『死』ななければ『神』になれないのだ。
『死』んで『神』になるのだ。
『神』『神』『神』『神』『神』『神』
『神』になるために死ぬのだ!!
ただ死ぬだけでは『神』にはなれない!
そう『道連れ』だ!!!ただ死ぬだけでは『神』にはなれない!
敵を『道連れ』にしななければ、死んでも意味がない!
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凡俗な自分たちができることは何か?
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『死』ななければ誰もが『神』になれないのだ!!!!
さあ!さあ!さあ!さあ!さあ!さあ!
喜び勇んで『死』のうぞ!!!!!!!
『神』になるのだ!!!!!!!!!!
『死』こそ『神』である!!!!!!!
『殺人』こそ『神』である!!!!!!
『神』になってこそ、誠の『愛国者』である!!!!!
『死』んでこそ『価値』があるのだ!!!!!!!!
忘れる無かれ!!!!!!!!!!!!
しかしながら、この男は誰も『死』に至らしめていないのである。
97歳の加藤の母親は散歩に出てて助かったそうである。
ましてや自分すら『死』に損ねているのである。実に無様である(゚∀゚ )アヒャヒャ
だとしたら、この男はゴミ以外の何者でもない。クズ以下の糞である。
生きて虜囚の辱めを受けた糞である。あのゴミは『神』になりきれず、腐りきったただの『犯罪者』にしかなれなかった。
もし生きて帰ってきたとしたら、奴は一生残りの人生を糞尿を食い続けるべきである。
このゴミ似非右翼に末代まで続く永遠の苦痛の地獄が訪れることを願ってやまない。
無様な天皇、小泉に惨敗!!!
[ 天皇・靖国 ]
小泉靖国参拝キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
やはりというべきか、彼の小泉さんは参拝されましたねw 「あの人が、この人が言ったから、止めるというのはおかしいですね」と、さすがかねてから天皇を『あの人』扱い、『鼻くそ』扱いしていたお方は違う。天皇の発言には何の影響力もない。何故なら、天皇はただの人。日本にとって、世界にとってただの鼻くそと言って、憚らなかったのだ。現にそうなのであるがw 何故なら、小泉が靖国参拝をしたではないか。鼻くその御心を踏みつぶしたのである。蹂躙したのである。小泉は、鼻くそ天皇に勝利したのである。小泉は日本のヒーローなのである。悪の大王に勝利したのである。是非とも、安部にも天皇を成敗するためにも、靖国参拝を続けてほしいものであるw
その後、また彼の小泉は面白い一芸を国民・カメラの前で披露してくださった。全国戦没者追悼式に出席し、何と式辞を述べるときに『天皇』に一礼をしたのである。これほど滑稽な光景はないだろう。『鼻くそ』に対して、一礼をしているのである。『鼻くそ』としか認識してい相手に対して、一礼をしているのである。さもそれに敬意を払っているかのように一礼をしたのである。常人の人間ならば、こんなことはできないはずである。一礼する前に、プッと吹き出してしまう。真顔で一礼など出来るはずがない。やはりここが小泉の強みなのである。
しかも、式辞の中では「国民を代表して、中国や韓国の方々に哀悼の意を表明します。」と述べたのである。これが「中国韓国に対して参拝するなと言われる義理はない」と強弁している人間の口から出たのである。「いつ参拝しても抗議されるから、俺様は8月15日に参拝するのだ!!ガハハ」と強弁している人間の口から出ているのである。靖国神社に毎年参拝している、そして現に今日も参拝した人間の口から出ている言葉なのである。笑うしかないであろうw。
「いつ参拝しても同じように批判されるんだから、8月15日に参拝してもいいでしょう」とは、「どこを殴っても同じように相手が怒るんだから、どこを殴ってもいいでしょう」と言ってるようなもんである。相手にとってこの問題は、どこを殴られても『急所』なのである。それを分かって小泉は参拝し、殴り続けているのである。さすが国民を苦しめ続けている人間がやることはどこか趣がある。言っていることとやっていることが真逆なのである。「中韓には誠の心から謝罪し、反省している」と言いつつ(ry、「国民には痛みを耐えて頑張ってほしい。さすれば、幸せな生活が待っている」と言いつつ(ryである。
「二度と国民をあのように苦しみを味合わせたくないから参拝してる」という、この面白い言い分もまさしくホラ吹き小泉ならではである。日本国内で超低所得者層が激増し、国民の殆どは困窮しきり、苦しみ続けている現実があるのだ。だが、一向に何も着手しないのである。外交に関しても内政に関しても同じである。
中曽根のおいぼれも面白いことを言っていた。「総理大臣は天皇が参拝されるように努力すべきだ」。靖国公式参拝の火種を作った人間の口からついて出たのである。しかも結果的に何も出来なかった無能なおいぼれが言うのである。小泉と負けず劣らずである。
やはり腐りきった低能自民党に政権を預けている限り、靖国問題で何の進展もないという確信が得られた。最初から靖国を解決しようという意思がない政党なのである。戦没者を誠の心から慰霊しよう意思がないのである。政権維持のために戦没者遺族を利用することしか眼中にないのである。2006年8月15日の今日、まさに今日、もはや自民党は全く動くことが出来ない『死に体』であるということを小泉が明らかにしてくださった。
やはりというべきか、彼の小泉さんは参拝されましたねw 「あの人が、この人が言ったから、止めるというのはおかしいですね」と、さすがかねてから天皇を『あの人』扱い、『鼻くそ』扱いしていたお方は違う。天皇の発言には何の影響力もない。何故なら、天皇はただの人。日本にとって、世界にとってただの鼻くそと言って、憚らなかったのだ。現にそうなのであるがw 何故なら、小泉が靖国参拝をしたではないか。鼻くその御心を踏みつぶしたのである。蹂躙したのである。小泉は、鼻くそ天皇に勝利したのである。小泉は日本のヒーローなのである。悪の大王に勝利したのである。是非とも、安部にも天皇を成敗するためにも、靖国参拝を続けてほしいものであるw
その後、また彼の小泉は面白い一芸を国民・カメラの前で披露してくださった。全国戦没者追悼式に出席し、何と式辞を述べるときに『天皇』に一礼をしたのである。これほど滑稽な光景はないだろう。『鼻くそ』に対して、一礼をしているのである。『鼻くそ』としか認識してい相手に対して、一礼をしているのである。さもそれに敬意を払っているかのように一礼をしたのである。常人の人間ならば、こんなことはできないはずである。一礼する前に、プッと吹き出してしまう。真顔で一礼など出来るはずがない。やはりここが小泉の強みなのである。
しかも、式辞の中では「国民を代表して、中国や韓国の方々に哀悼の意を表明します。」と述べたのである。これが「中国韓国に対して参拝するなと言われる義理はない」と強弁している人間の口から出たのである。「いつ参拝しても抗議されるから、俺様は8月15日に参拝するのだ!!ガハハ」と強弁している人間の口から出ているのである。靖国神社に毎年参拝している、そして現に今日も参拝した人間の口から出ている言葉なのである。笑うしかないであろうw。
「いつ参拝しても同じように批判されるんだから、8月15日に参拝してもいいでしょう」とは、「どこを殴っても同じように相手が怒るんだから、どこを殴ってもいいでしょう」と言ってるようなもんである。相手にとってこの問題は、どこを殴られても『急所』なのである。それを分かって小泉は参拝し、殴り続けているのである。さすが国民を苦しめ続けている人間がやることはどこか趣がある。言っていることとやっていることが真逆なのである。「中韓には誠の心から謝罪し、反省している」と言いつつ(ry、「国民には痛みを耐えて頑張ってほしい。さすれば、幸せな生活が待っている」と言いつつ(ryである。
「二度と国民をあのように苦しみを味合わせたくないから参拝してる」という、この面白い言い分もまさしくホラ吹き小泉ならではである。日本国内で超低所得者層が激増し、国民の殆どは困窮しきり、苦しみ続けている現実があるのだ。だが、一向に何も着手しないのである。外交に関しても内政に関しても同じである。
中曽根のおいぼれも面白いことを言っていた。「総理大臣は天皇が参拝されるように努力すべきだ」。靖国公式参拝の火種を作った人間の口からついて出たのである。しかも結果的に何も出来なかった無能なおいぼれが言うのである。小泉と負けず劣らずである。
やはり腐りきった低能自民党に政権を預けている限り、靖国問題で何の進展もないという確信が得られた。最初から靖国を解決しようという意思がない政党なのである。戦没者を誠の心から慰霊しよう意思がないのである。政権維持のために戦没者遺族を利用することしか眼中にないのである。2006年8月15日の今日、まさに今日、もはや自民党は全く動くことが出来ない『死に体』であるということを小泉が明らかにしてくださった。
麻生は靖国神社を特殊法人「国立追悼施設靖国社」(仮称)に改編し、国家管理の追悼施設にするべきだと提案している。そのためには靖国神社を解散させ、特殊法人化するためには、非宗教法人化しなければならない。国が関与するとなれば、神道色・宗教色を全て取り去る必要性も出てくる。憲法の政教分離に反するからである。つまり、靖国神社から神社の象徴である鳥居や、賽銭箱やみくじを文明の利器である重機でぶち壊せということである。無茶な話である。靖国神社からそういう宗教性を取り払ってしまったら、『神社』とはおよそ言い難い存在になってしまう。カレーライスからカレーのルーを取り去ったら、ただの白米である。これをカレーライスとして出されたら、誰だって怒り狂う。同じようにトンカツから豚肉を抜き去り、それをトンカツとして出されたら(ry。
過去既に、靖国神社の非宗教法人化・国立追悼墓地化は5回国会でお流れになっている。常に、「神道性」「非宗教化」が争点となるからである。麻生は5回も失恋した相手に、もう一度告白しようとしているのである。健気である。ヲタクの鑑である。成就するはずもない恋を何時までも引きずるなんて、何と可愛らしいことか。恋は人間の永遠のテーマである
また麻生は、全国に散在している護国神社を靖国社の支部に置こうというのである。麻生は日本から神社を殲滅させ、「二礼二拍手一礼」の正式作法など、神道の宗教的文化・伝統は衰退させようというのか。こういう壊し屋的な所行は、民主党の小沢にでも任しておけばいいのである。
それならば、いっそ無宗教の米国のアーリントン墓地のような国立追悼墓地を作ってしまった方がいいという流れになってしまう。しかし、無宗教の国立追悼墓地を作ったとしても、今まで国立追悼墓地の代替的存在の役割を担ってきた靖国神社は残ったままである。靖国神社側がいい顔をするはずがない。靖国神社は国内唯一の戦没者追悼の地としての自負がある。政府が日章旗以外に、別のナショナルフラッグを作ろうと画策しているのと同義である。そう靖国神社は不快感を示されるかも知れない。国の犠牲になった戦没者は傍迷惑な話である。すやすやと眠っているところを、こっちで眠りなさいと叩き起こされるようなものである。また仮に作ったとしても、靖国神社に内閣総理大臣や主要閣僚が参拝してしまったら、何のために血税を費やし、無宗教の国立追悼墓地を作ったか分からない。常に、そういう危険性ははらみ続ける訳である。
そもそも我が日本に敗戦を迎えた8月15日に、政治家や現役・退役軍人などが一堂に会し、国家として彼らを弔おうとしないことが不自然なのである。国の犠牲になって戦死したのである。最後の最後まで、国が面倒見なくてどうする。戦死者に対する慰霊行事を、国家として毎年開催しなければならない。国家のために犠牲になることが格好いい、素晴らしいというんであれば、国が全身全霊をかけて弔わなければ説得力がない。
彼の小泉や安部のように「個人の信条で参拝しているのだから、他国が口を出すべきではない」と主張しておきながら、いざ記者に参拝するかどうか尋ねられたら、毎回「適切に判断します」と逃げている輩を許してはいけない。ましてや、小泉は公約として8月15日に参拝すると公言していたのである。個人の信条として参拝しているのなら、ハッキリ英霊の方々に対して「私は参拝させていただく」と答える義務がある。ハッキリ参拝しないと断言している谷垣の方が、余程男らしいし、意思がぶれていない。小泉は中韓に対抗している意思を国民に見せつけているため、靖国神社に参拝しているに過ぎない。
また政治家が戦死者を弔う、弔わないということを、個人の宗教観や意思にゆだねると言うことは、当然弔わない政治家も出てくるということである。国の犠牲になった人間に対して誠意を見せない政治家は信頼におけない。国民に国家の犠牲になれとはいささか無謀である。パフォーマンスとして政治利用されないためにも、やはり天皇や総理が追悼するための慰霊行事を国家としてやるべきである。様々な宗教観など全く抜きにして、政治家は無条件で国の犠牲となった戦死者を弔い、その腐った頭を下げる義務がある。その場所として、国立追悼墓地を利用するべきなのかも知れない。
靖国神社は階級に関係なく、『平等に』合祀しているというが、合祀するかどうか靖国神社が自主的に選別しているのである。いや厚生省が戦犯遺族に遺品を遊就館に対して寄与することを依頼していたことから、昔から国家の関与もあったのかも知れない。合祀対象は、あくまで「国のために犠牲になった、戦死した」軍人しか合祀しないのである。戦死した軍人を、無条件で戦死した日本の軍人を祀ってはいない。この神社のどこが『平等』というのであろう。
朝鮮戦争で亡くなった軍人は祀られていない。戊辰戦争で亡くなった戦死者は官軍側しか祀られていない。無条件で日本の戦没者を祀らないのである。一方では、軍人ではないA級戦犯や戦死してないA級戦犯を祀っているのである。靖国神社の中では、「国のために死ぬことが全て」なのである。そして合祀するもしないも、全て靖国神社側の意思なのである。遺族の感情などお構いなしなのである。その上、一度合祀してしまえば、分祀することは不可能なのである。これほどたちの悪い食い逃げ犯はいない。「食べてしまったものは胃で消化されてしまいました。返せないものを返しようがありません。だから謝罪もしません。グダグダ言わずもう諦めなさい。」と開き直ってるのである。この神社に死者の慰霊や鎮魂など語る資格がどこにあるというのだ。
そして一番無難な解決法であるA級戦犯分祀案ですら、反対してるアフォな自民党議員が大勢いる。「A級戦犯の方々を分祀してしまったら、東京裁判史観を日本の国家が認めたことになる」というのだ。こいつらの頭の中には、最初から過去の大戦で亡くなられた大勢の英霊達の苦しみや、慰霊する気持ちなどこれっぽちも毛頭ないのだ。自分の思想や主張をごり押ししたいがために、靖国神社を政治的に利用しているに過ぎない。全く酷い話である。過去に亡くなられた霊魂の苦しみも分からない政治家が、現在苦しんでいる国民の気持ちなど分かりうるはずもない。ましてや、靖国問題をどう解決したらいいのかを全く考えていないというのだから救いようがない。
ここまで来たら、出口のない迷路・ディレンマの巣窟に迷い込んだも同然である。国民からしたら、アフォな政治家達に無理矢理その迷い込まされたと言っていい。全く傍迷惑な話である。自民党が政権政党を頑なにまでに握りしめている限り、靖国に関する全般的な問題に解決できはしないと断言できる。そもそもまともに取り組むことすら不可能であろう。目の前に広がった票田しか興味はないのである。小泉を筆頭に、英霊の慰霊など全く眼中にないのである。小泉など神と仏の違いすらも理解できていない。
靖国神社は『国の犠牲になることが美徳である』と国民に吹聴し、それを煽るために利用される極めて政治的な神社でしかない。既に死者を弔うという根本的な目的とはかけはなれた存在である。かつての政治家がした飛んでもない過ちに対して悔いて、恥じて、心底から戦没者を慰霊するために参拝している政治家など皆無である。今、靖国神社に参拝している政治家に碌な政治家ではない。こういう『自民党』政治家に、靖国神社の「政治的にあくどい部分」を除去することは絶対に不可能である。
過去既に、靖国神社の非宗教法人化・国立追悼墓地化は5回国会でお流れになっている。常に、「神道性」「非宗教化」が争点となるからである。麻生は5回も失恋した相手に、もう一度告白しようとしているのである。健気である。ヲタクの鑑である。成就するはずもない恋を何時までも引きずるなんて、何と可愛らしいことか。恋は人間の永遠のテーマである
また麻生は、全国に散在している護国神社を靖国社の支部に置こうというのである。麻生は日本から神社を殲滅させ、「二礼二拍手一礼」の正式作法など、神道の宗教的文化・伝統は衰退させようというのか。こういう壊し屋的な所行は、民主党の小沢にでも任しておけばいいのである。
それならば、いっそ無宗教の米国のアーリントン墓地のような国立追悼墓地を作ってしまった方がいいという流れになってしまう。しかし、無宗教の国立追悼墓地を作ったとしても、今まで国立追悼墓地の代替的存在の役割を担ってきた靖国神社は残ったままである。靖国神社側がいい顔をするはずがない。靖国神社は国内唯一の戦没者追悼の地としての自負がある。政府が日章旗以外に、別のナショナルフラッグを作ろうと画策しているのと同義である。そう靖国神社は不快感を示されるかも知れない。国の犠牲になった戦没者は傍迷惑な話である。すやすやと眠っているところを、こっちで眠りなさいと叩き起こされるようなものである。また仮に作ったとしても、靖国神社に内閣総理大臣や主要閣僚が参拝してしまったら、何のために血税を費やし、無宗教の国立追悼墓地を作ったか分からない。常に、そういう危険性ははらみ続ける訳である。
そもそも我が日本に敗戦を迎えた8月15日に、政治家や現役・退役軍人などが一堂に会し、国家として彼らを弔おうとしないことが不自然なのである。国の犠牲になって戦死したのである。最後の最後まで、国が面倒見なくてどうする。戦死者に対する慰霊行事を、国家として毎年開催しなければならない。国家のために犠牲になることが格好いい、素晴らしいというんであれば、国が全身全霊をかけて弔わなければ説得力がない。
彼の小泉や安部のように「個人の信条で参拝しているのだから、他国が口を出すべきではない」と主張しておきながら、いざ記者に参拝するかどうか尋ねられたら、毎回「適切に判断します」と逃げている輩を許してはいけない。ましてや、小泉は公約として8月15日に参拝すると公言していたのである。個人の信条として参拝しているのなら、ハッキリ英霊の方々に対して「私は参拝させていただく」と答える義務がある。ハッキリ参拝しないと断言している谷垣の方が、余程男らしいし、意思がぶれていない。小泉は中韓に対抗している意思を国民に見せつけているため、靖国神社に参拝しているに過ぎない。
また政治家が戦死者を弔う、弔わないということを、個人の宗教観や意思にゆだねると言うことは、当然弔わない政治家も出てくるということである。国の犠牲になった人間に対して誠意を見せない政治家は信頼におけない。国民に国家の犠牲になれとはいささか無謀である。パフォーマンスとして政治利用されないためにも、やはり天皇や総理が追悼するための慰霊行事を国家としてやるべきである。様々な宗教観など全く抜きにして、政治家は無条件で国の犠牲となった戦死者を弔い、その腐った頭を下げる義務がある。その場所として、国立追悼墓地を利用するべきなのかも知れない。
靖国神社は階級に関係なく、『平等に』合祀しているというが、合祀するかどうか靖国神社が自主的に選別しているのである。いや厚生省が戦犯遺族に遺品を遊就館に対して寄与することを依頼していたことから、昔から国家の関与もあったのかも知れない。合祀対象は、あくまで「国のために犠牲になった、戦死した」軍人しか合祀しないのである。戦死した軍人を、無条件で戦死した日本の軍人を祀ってはいない。この神社のどこが『平等』というのであろう。
朝鮮戦争で亡くなった軍人は祀られていない。戊辰戦争で亡くなった戦死者は官軍側しか祀られていない。無条件で日本の戦没者を祀らないのである。一方では、軍人ではないA級戦犯や戦死してないA級戦犯を祀っているのである。靖国神社の中では、「国のために死ぬことが全て」なのである。そして合祀するもしないも、全て靖国神社側の意思なのである。遺族の感情などお構いなしなのである。その上、一度合祀してしまえば、分祀することは不可能なのである。これほどたちの悪い食い逃げ犯はいない。「食べてしまったものは胃で消化されてしまいました。返せないものを返しようがありません。だから謝罪もしません。グダグダ言わずもう諦めなさい。」と開き直ってるのである。この神社に死者の慰霊や鎮魂など語る資格がどこにあるというのだ。
そして一番無難な解決法であるA級戦犯分祀案ですら、反対してるアフォな自民党議員が大勢いる。「A級戦犯の方々を分祀してしまったら、東京裁判史観を日本の国家が認めたことになる」というのだ。こいつらの頭の中には、最初から過去の大戦で亡くなられた大勢の英霊達の苦しみや、慰霊する気持ちなどこれっぽちも毛頭ないのだ。自分の思想や主張をごり押ししたいがために、靖国神社を政治的に利用しているに過ぎない。全く酷い話である。過去に亡くなられた霊魂の苦しみも分からない政治家が、現在苦しんでいる国民の気持ちなど分かりうるはずもない。ましてや、靖国問題をどう解決したらいいのかを全く考えていないというのだから救いようがない。
ここまで来たら、出口のない迷路・ディレンマの巣窟に迷い込んだも同然である。国民からしたら、アフォな政治家達に無理矢理その迷い込まされたと言っていい。全く傍迷惑な話である。自民党が政権政党を頑なにまでに握りしめている限り、靖国に関する全般的な問題に解決できはしないと断言できる。そもそもまともに取り組むことすら不可能であろう。目の前に広がった票田しか興味はないのである。小泉を筆頭に、英霊の慰霊など全く眼中にないのである。小泉など神と仏の違いすらも理解できていない。
靖国神社は『国の犠牲になることが美徳である』と国民に吹聴し、それを煽るために利用される極めて政治的な神社でしかない。既に死者を弔うという根本的な目的とはかけはなれた存在である。かつての政治家がした飛んでもない過ちに対して悔いて、恥じて、心底から戦没者を慰霊するために参拝している政治家など皆無である。今、靖国神社に参拝している政治家に碌な政治家ではない。こういう『自民党』政治家に、靖国神社の「政治的にあくどい部分」を除去することは絶対に不可能である。
自民党総裁選で、安部が独走している。もはや安部が総理の座を射止めるのは周知の事実である。あとは時間が来るまで、安部はじっとオナニーにでも耽って待っていればいいだけである。
この安部の独走状態を例えるとするなら、次々と他の選手が全員棄権したマラソンのようなものである。人々の歓声の中、安部はただ一人街中を走っているのである。もう勝ちは決定事項なのである。しかしながら、そこは総理大臣になる男である。一人でも走るんです。走らなければならないんです。安部は独り相撲にだって手を抜いたりはしない。ふんどしをしっかりまいて、勇猛果敢に勝負に挑む。決して逃げたりはしない。さすがふんどしの中のふんどしの安部太蔵である。
そして安部は焦らない男。早漏は女に嫌われるのだ。ゴムスキンもつけなきゃ女に嫌われるのだ。やはり総理大臣は人気が大事。政策なんて二の次よ。とにかくイメージを汚しちゃいけない。彼は走るのを突如として止め、周囲の歓声の中を悠然と歩いき始めるのである。そうまるでカンヌ国際映画祭の赤絨毯を闊歩する俳優ばりに、観客の一人一人に手を振り、歓声に応えて始めたではないか。さすが人気者の安部である。レースなんてそっちのけである。内閣総理大臣に内定している人間は余裕っぷりが違う。既に気分は小泉プレスリーである。
しかも、常ににこやかな笑顔を保ちつつも、数十M歩いても全く息を切らさない、その強靱な体力。無尽蔵と言って全く差し支えないだろう。政治家として体力のなさは致命的である。やはり安部なのである。そして一度も後ろを振り返らず、前をまっすぐ見据え、髪さえも全く乱れず、歩き続けるその悠然な様に、意志を貫く固い意志に、心を少しでも打たれない国民が一人でもおろうか。いやおるまい。
そして、安部は15分を境に、そこをゴールにしてしまう。独走状態には変わらない。何M先がゴールだって同じ事。42.195kmは安部にとっては長すぎる。何といっても、今夏は酷暑。体が資本である。観客のために、決して自分は犠牲はしない。「自己犠牲は他人にだけ強いろ」がモットーである。ルールもご無用。そこは、小泉先生の後継者。常識はタブー。タブーこそ常識。軽薄こそ正義。軽薄こそ人情。試合の中身はどうでも良い。勝ったという結果だけが一番大事なのである。
さすが総理大臣になるための器を持ったお方である。
もう安部しか、次期総理大臣は考えられないねッ(*^ー゚)b !!!
この安部の独走状態を例えるとするなら、次々と他の選手が全員棄権したマラソンのようなものである。人々の歓声の中、安部はただ一人街中を走っているのである。もう勝ちは決定事項なのである。しかしながら、そこは総理大臣になる男である。一人でも走るんです。走らなければならないんです。安部は独り相撲にだって手を抜いたりはしない。ふんどしをしっかりまいて、勇猛果敢に勝負に挑む。決して逃げたりはしない。さすがふんどしの中のふんどしの安部太蔵である。
そして安部は焦らない男。早漏は女に嫌われるのだ。ゴムスキンもつけなきゃ女に嫌われるのだ。やはり総理大臣は人気が大事。政策なんて二の次よ。とにかくイメージを汚しちゃいけない。彼は走るのを突如として止め、周囲の歓声の中を悠然と歩いき始めるのである。そうまるでカンヌ国際映画祭の赤絨毯を闊歩する俳優ばりに、観客の一人一人に手を振り、歓声に応えて始めたではないか。さすが人気者の安部である。レースなんてそっちのけである。内閣総理大臣に内定している人間は余裕っぷりが違う。既に気分は小泉プレスリーである。
しかも、常ににこやかな笑顔を保ちつつも、数十M歩いても全く息を切らさない、その強靱な体力。無尽蔵と言って全く差し支えないだろう。政治家として体力のなさは致命的である。やはり安部なのである。そして一度も後ろを振り返らず、前をまっすぐ見据え、髪さえも全く乱れず、歩き続けるその悠然な様に、意志を貫く固い意志に、心を少しでも打たれない国民が一人でもおろうか。いやおるまい。
そして、安部は15分を境に、そこをゴールにしてしまう。独走状態には変わらない。何M先がゴールだって同じ事。42.195kmは安部にとっては長すぎる。何といっても、今夏は酷暑。体が資本である。観客のために、決して自分は犠牲はしない。「自己犠牲は他人にだけ強いろ」がモットーである。ルールもご無用。そこは、小泉先生の後継者。常識はタブー。タブーこそ常識。軽薄こそ正義。軽薄こそ人情。試合の中身はどうでも良い。勝ったという結果だけが一番大事なのである。
さすが総理大臣になるための器を持ったお方である。
もう安部しか、次期総理大臣は考えられないねッ(*^ー゚)b !!!
イギリスで航空機爆破テロ未遂事件が先日あった。2ちゃんねるで遭遇した自殺願望を抱いてた奴を思い出した。小泉改革の賜物で、低所得者が急増した。その結果、自殺志願者・自殺者が増え続けている。名前も知らない其奴と遭遇したのも、ある意味必然的なことだったのかも知れない。「小泉改革は相当な成果が上がっている」という相当な確信を得ることも出来た
そして、何故其奴のことが想起されたかというと、「死にたい。でもタダで死ぬつもりはない。俺が死ぬときは、9.11のような大事件を起こしてやる。みんな道連れだ」と空恐ろしいことをのたまわっていた。しかし、もちろん自分は「そりゃそうだ」と思わずうなずいてしまった。誰だって苦しみを味わったままで、『犬死に』するなんてお断りだ。どうせ自分が最後に死ぬ時ぐらい、世間の注目様を集めたいもんだし、せめて世間様に対して何か残したいもんだ。一人で死ぬのも寂しいもんだ。練炭などを使って、計画的に集まって自殺している人間が多いのがその証左だろう。ましてや、誰も自分を救ってくれない軽薄な社会や人間に対して、その道連れすることの何を躊躇することがあろう。こういうアルカイダよろしくの自殺志願者が増え続けてるのも、やはり困窮しきった日本国では仕方ないことなのである。そして、いざ実行されても誰も文句を言えない時代に突入してしまった。極めて残念なことではあるが。もちろん日本国内でそんな事件を聞いたことがないので、まだ其奴は死んでいないはずである。
しかしながら、大した武器を持ち込めない状態で、一人で飛行機をハイジャックするというのは難しいのではないだろうか。爆発物を検知できる機械が日本の殆どの空港に整備されているというニュースも聞いた。練炭を使って集団自殺をするなど、日本人は特有の協調意識がある。乗客の殆どを自殺願望を持った人間で埋め尽くし、羽田発→○○原子力発電逝きの集団旅行でも企画すれば、大した武器などを持ち込まずとも可能かも知れない。やってやれないことはないかもしれないw
個人的には、『電車』の方がより確実で安全な方法でないんだろうかと思った。厳重な手荷物検査をされる訳ではないから、飛行機よりは比較的やりやすいはず。また日本人にとっては、飛行機よりも電車の方が身近な足として定着している。それが標的にされると言うことは、やはり大きなインパクトが残せる。また一家の大黒柱的な男性も多いだろう。生活がままならなく家庭が増える。一人が死ぬだけで多数の人間が苦しむ。
例えば、電車が走行中に運転手をナイフで脅して、速度超過させるだけでかなり大規模の事故を引き起こせる。カーブに差し掛かったり、前方にいる車両にぶつかりさえすれば、あとは一番先頭にいる自分は即死である。ましてや、車両も死体もグッチョングッチョンで、事故と片付けられる可能性もあるんだから、これほど綺麗な自殺はない。確か、電車の速度を自動的に制御するATS(?)は、JR西日本では未だにほとんどの路線で整備されていないはずだったから(ry。
そもそもインパクトがあるという理由だけで、飛行機や電車を狙うというのもいささか短絡的である。幼稚園・保育園・小学校など身近で、確実な場所が色々ありそうなものである。社会の希望であり、未来である子供が、そこにはいっぱい詰まっている。それが突如と理由無く失われれば、社会は酷く落胆し、生きる希望や活力も失われる。やはり数が多ければ、9.11のと同じぐらいインパクトは残せるであろう。
その希望を人々から無理矢理奪えば、「私は何という罪深いことをしてしまったのだろう」と計り知れない罪悪感が芽生え、それが今の曖昧な自殺願望を、もっとハッキリとした形にしてくれるだろう。いっそ他人を殺すことが、自分が死ぬことなのである。自分を殺したいなら、いっそ他人を殺してしまった方が楽なのである。また日本には死者に鞭を打つという習慣はなく、逮捕される前に、自殺してしまえばいいのである。世間に見にくい自分の死体が晒されることはない。まさしく一石二鳥とはこのことである。被害者給付金制度も充実してきているため、社会があとは面倒を見てくれるので残された被害者家族について何の心配も要らない。
また病院には風前の灯火の方々がたくさんおられる。その方々達から苦しみを解放してあげる。これは解釈しようによっては、一種の神の施し解釈できなくもない。世の中には、『安楽死』というものが存在する。人の命を奪ってあげることが、一種『正義』なのである。自分が死ぬときには、何か社会に貢献してから自殺したいと思う方もいるかも知れない。その時こそ、この施しがあるのではなかろうか。そして、一緒に静かに天に召されなさい。
一生に一度しかない『死』を無駄にしないためにも、誰もがやったことのないようなインパクトのある自殺をプロデュースしなければならない。一世一代の大花火を打ち上げなければ損だ。ましてや複数の志願者と実行するとなれば、色んな多様性や可能性も生まれてくる。どういう死に方であれ、誰かの手を煩わせることになるんだし、あれこれ他人の迷惑を考えること自体無意味である。当然、道連れは多い方がいいに決まっている。何も残らない自殺よりも、何か社会に意味を残せる殉教的な行為をする方がマシであることは間違いない。
そして、何故其奴のことが想起されたかというと、「死にたい。でもタダで死ぬつもりはない。俺が死ぬときは、9.11のような大事件を起こしてやる。みんな道連れだ」と空恐ろしいことをのたまわっていた。しかし、もちろん自分は「そりゃそうだ」と思わずうなずいてしまった。誰だって苦しみを味わったままで、『犬死に』するなんてお断りだ。どうせ自分が最後に死ぬ時ぐらい、世間の注目様を集めたいもんだし、せめて世間様に対して何か残したいもんだ。一人で死ぬのも寂しいもんだ。練炭などを使って、計画的に集まって自殺している人間が多いのがその証左だろう。ましてや、誰も自分を救ってくれない軽薄な社会や人間に対して、その道連れすることの何を躊躇することがあろう。こういうアルカイダよろしくの自殺志願者が増え続けてるのも、やはり困窮しきった日本国では仕方ないことなのである。そして、いざ実行されても誰も文句を言えない時代に突入してしまった。極めて残念なことではあるが。もちろん日本国内でそんな事件を聞いたことがないので、まだ其奴は死んでいないはずである。
しかしながら、大した武器を持ち込めない状態で、一人で飛行機をハイジャックするというのは難しいのではないだろうか。爆発物を検知できる機械が日本の殆どの空港に整備されているというニュースも聞いた。練炭を使って集団自殺をするなど、日本人は特有の協調意識がある。乗客の殆どを自殺願望を持った人間で埋め尽くし、羽田発→○○原子力発電逝きの集団旅行でも企画すれば、大した武器などを持ち込まずとも可能かも知れない。やってやれないことはないかもしれないw
個人的には、『電車』の方がより確実で安全な方法でないんだろうかと思った。厳重な手荷物検査をされる訳ではないから、飛行機よりは比較的やりやすいはず。また日本人にとっては、飛行機よりも電車の方が身近な足として定着している。それが標的にされると言うことは、やはり大きなインパクトが残せる。また一家の大黒柱的な男性も多いだろう。生活がままならなく家庭が増える。一人が死ぬだけで多数の人間が苦しむ。
例えば、電車が走行中に運転手をナイフで脅して、速度超過させるだけでかなり大規模の事故を引き起こせる。カーブに差し掛かったり、前方にいる車両にぶつかりさえすれば、あとは一番先頭にいる自分は即死である。ましてや、車両も死体もグッチョングッチョンで、事故と片付けられる可能性もあるんだから、これほど綺麗な自殺はない。確か、電車の速度を自動的に制御するATS(?)は、JR西日本では未だにほとんどの路線で整備されていないはずだったから(ry。
そもそもインパクトがあるという理由だけで、飛行機や電車を狙うというのもいささか短絡的である。幼稚園・保育園・小学校など身近で、確実な場所が色々ありそうなものである。社会の希望であり、未来である子供が、そこにはいっぱい詰まっている。それが突如と理由無く失われれば、社会は酷く落胆し、生きる希望や活力も失われる。やはり数が多ければ、9.11のと同じぐらいインパクトは残せるであろう。
その希望を人々から無理矢理奪えば、「私は何という罪深いことをしてしまったのだろう」と計り知れない罪悪感が芽生え、それが今の曖昧な自殺願望を、もっとハッキリとした形にしてくれるだろう。いっそ他人を殺すことが、自分が死ぬことなのである。自分を殺したいなら、いっそ他人を殺してしまった方が楽なのである。また日本には死者に鞭を打つという習慣はなく、逮捕される前に、自殺してしまえばいいのである。世間に見にくい自分の死体が晒されることはない。まさしく一石二鳥とはこのことである。被害者給付金制度も充実してきているため、社会があとは面倒を見てくれるので残された被害者家族について何の心配も要らない。
また病院には風前の灯火の方々がたくさんおられる。その方々達から苦しみを解放してあげる。これは解釈しようによっては、一種の神の施し解釈できなくもない。世の中には、『安楽死』というものが存在する。人の命を奪ってあげることが、一種『正義』なのである。自分が死ぬときには、何か社会に貢献してから自殺したいと思う方もいるかも知れない。その時こそ、この施しがあるのではなかろうか。そして、一緒に静かに天に召されなさい。
一生に一度しかない『死』を無駄にしないためにも、誰もがやったことのないようなインパクトのある自殺をプロデュースしなければならない。一世一代の大花火を打ち上げなければ損だ。ましてや複数の志願者と実行するとなれば、色んな多様性や可能性も生まれてくる。どういう死に方であれ、誰かの手を煩わせることになるんだし、あれこれ他人の迷惑を考えること自体無意味である。当然、道連れは多い方がいいに決まっている。何も残らない自殺よりも、何か社会に意味を残せる殉教的な行為をする方がマシであることは間違いない。
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