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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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12月24日、死刑が1年3ヶ月ぶりに死刑が執行された。同時に4人は9年ぶりのことである。

そういえば今年は悠仁が生まれた。しかし、それは全く死刑執行に作用されなかった。個人的には、そちらの方が驚いた。普通、皇族の慶事があった年には死刑が執行されないと聞いたことがある。どうやら噂は所詮噂だったようだ。やはり、結局皇族の影響力など、その程度もないのである。

死刑が執行されて、再び疑問が湧いてきた。「日本に死刑制度が必要か?」という、例のアレである。

冷静に考えてみて、世界でも有数の死刑大国である中国で、年々凶悪な犯罪の数が減少し続けているのか。日本と同じように死刑制度があり、日本以上に執行数は多いであろうアメリカでも同様に、年々凶悪犯罪の数が減り続けているのだろうか。多分、それは違うだろうと思う。つまり核兵器と同じく、死刑制度も「抑止力」としては正常に機能していないのだろうと思う。

4人の死刑執行にサインをした法務大臣が、「被害者感情に即して…」と云々言っていた気がする。しかし本当に被害者感情に即して、死刑が執行されるべきなのであれば、最高裁やらで死刑判決が確定した1・2ヶ月以内に執り行われるべきであろうと思う。今回の四件を見た時、本当にそれに即した執行とは言えない。1970年代や80年代に死刑判決が確定した死刑囚が含まれている。何年も経った後、何十年も経った後、突如として行われたことになる。

では、日本の現行の死刑執行の仕組みが、法務大臣が言うとおりに、果たして被害者感情に即している制度と言えるのか。残念ながら、これも趣向はしづらい部分が多々ある。

+ + + + +


日本国内で死刑執行される場合、その死刑囚が殺害した被害者の家族には何も知らせないまま執行される。メディアを通してだけ、死刑執行が行われたことを知る。何故なら、誰が死刑が執行されたのか、法務大臣や法務相はその名前すら公開しないのだ。だから、メディアがどの死刑囚の死刑が執行されたかを調べるために、駆けずり回っている。脆弱な一市民の被害者家族に、そんなことができるわけがない。

つまり、被害者にとって憎き死刑囚の死刑が執行されたとしても、いつの間にか、憎き加害者がポッカリと穴を空けたまま消えていたという虚無感や、何とも言えない気持ちが強いのではないだろうか。今回の被害者家族の中では、「既に死刑が執行されていた」と思っていた人もいたらしい。


ここでふと新たな疑問が湧いてくる。

「死刑制度はなくてもいいのではないか?」という疑問である。つまり、「終身刑で十分なのではないのだろうか」ということである。

死刑が実際に執行されなくても、リアルに命まで奪わなくても、社会的に死んだ人間にされれば、遺族にしろ社会にしろ納得するのではないだろうか、と今回の死刑執行で思った。1970年代や80年代の事件の死刑確定囚が、未だに死刑が執行されていないと、遺族にしろ社会にしろ、誰が問題視していたのだろうか。誰が法務省を糾弾していたのだろうか。

つまり、死刑囚に匹敵する犯罪者は、生かさず殺さずがベターなんだと思う。現実問題として、人道的に日本では死刑がどうしても執行しにくい状況にある。法務大臣が死刑確定囚全員を今すぐ、死刑の執行代へ送れないのがその証左であろう。

だからといって、今のままでいいとは決して言えないと思う。何故なら、死刑判決が確定しているにも関わらず、死刑が執行されないことは判決が無視されているに等しいからである。同時に法を信頼した被害者家族の意向も、真っ向から裏切っているからである。

しかし、今のまま死刑制度を継続していいとも全然思わない。今のままいっても、色んな矛楯を孕み続ける。

何故なら、「日本の死刑制度は、誰のためにある制度なのか」が全く誰も分からないからである。

犯罪抑止のために死刑制度は存在していないことは、最初に述べたとおり。死刑執行が殆ど行われていない日本ですら凶悪犯罪は減っていないし、死刑執行が頻繁に行われている中国ですら犯罪は減っていない。何故、この二国を比較したかは、死刑が殆ど執行されていなければ、それは終身刑に等しい。中国の方が真の意味で、死刑を執行していると考えていい。しかし、それでも中国での凶悪犯罪は減っていない。また刑の執行には随分時間が掛かっていることからも、どうやら犯罪被害者のため(溜飲を下すため)に存在していないことも分かる。そもそも、死刑の執行日を犯罪被害者に教えることも、そもそも世間に対して全く公表していないことからも、それは明らかだ。

では、何か矛楯するようではあるが、加害者のために死刑制度があるのか。

いや、これもどうやら違うようである。全く人道的な死刑執行は行われていないことからも明らかだ。死刑執行の当日の朝まで、死刑囚にそれは知らされない。アメリカの場合、前日にそれを知らせて、何か最後に食べたいものを聞いて、当日にそれを食べさせた後、逝かせるらしい。最後の晩餐とは、いかにもキリスト教の国らしい。

しかし今の日本の死刑制度で、死刑囚は「ある日、突然、自分の命が奪われる」のだ。ある意味、この点において、死刑囚も犯罪被害者と性質的には何ら変わらないのではないだろうか。


そして、それを法務大臣が「そろそろ、あいつらやっちゃう?」とノリで決めてしまうことができるのだから、何とも恐ろしい。世論に配慮したり、今回のように「死刑確定囚が100人越えそうだから…」という法務大臣の短絡的な理由や判断で、死刑執行が執り行われてしまうのだ。司法が決めた内容を、最終的に行政の長に全権を任せるということは、三権分立に対する挑戦も甚だしい。

法務大臣が死刑執行する際に、死刑囚を選ぶ明確かつ客観的な基準がないのだ。死刑判決が下って、時間が経っている死刑囚から順番に死刑執行が執り行われてはいないのだ。宅間守が好例である。死刑判決から一年も経ずに、かなり素早く死刑が執行された気がする。

逆に言えば、前の法務大臣のように「死刑囚を選ばない」という選択肢があっていいはずなのだ。前の法務大臣は仏教徒ということを理由に、死刑執行を行わないと言明し、非難されたことがある。しかしながら、それは些か不自然だという感じがする。何故なら、法務大臣に裁量や判断の余地も与えているのが、今の死刑制度なのである。

「人を死に追いやる」という行為は、それだけ重い行為であるのだ。機械的に、署名にポンポンと判子を押せる行為ではない。ノリで死刑台へ送りつけるとは言っても、死刑執行の決断を下す方も相当の負担が掛かる。法務大臣を辞める間際に、死刑執行の署名のサインを押すことが多い。それは宗教家であろうと無かろうと誰もが進んで、どんな輩の命であろうと、人の命など奪いたくないことを意味しているのではないだろうか。

現実問題として、死刑執行がポンポンと行われていない。そこには人の情があるからだと信じたい。

端から「死刑が確定しているにも関わらず、何故、死刑を執行しないのだ」という陳腐なヤジをTVで目にすることがあるが、ことはそう簡単ではないはずだ。瀕死の状態で、痛みで辛い患者を、死に追いやることすら大問題となっている。意識が朦朧としている患者の同意を取れだの、家族の同意だけでいいだの、医者の独自の判断で患者を安楽死させてはならないだの、患者にとって有益になると考えられている「死」ですら、ここまで物凄く揉める。

ピンピンと元気な健康体の死刑囚を、死に追いやることは問題にならないわけがない。少なくとも当事者にとって見れば、死刑囚は過去に大罪を犯したとは言え、普通の人間にしか見えない相手を、死に追いやるというのは相当の覚悟と決意がいるであろう。そこには下衆な命であろうがなかろうが、生々しい人の命が詰まっている。つまり元々、死刑執行が円滑に進められない人間的な矛楯も「死刑制度」には孕んでいるのだ。


そもそも『冤罪』という可能性も十分ある。そうだ、死刑制度には、これが絶対必要条件である。しかし日本だけではなく、世界中どこにもその絶対必要条件は満たせていないだろう。無実な人間を死に追いやれば、その法務大臣は殺人犯に等しい行為を行ったことになる。司法や警察は絶対ではない。つい先日、司法制度改革のTMが、政府主導の世論誘導が行われていたことが発覚したり、毒葡萄酒事件で奥西死刑囚が80歳にもなって、再審請求を行っていたが、12月26日に棄却された。確かこの奥西は、自白のみで逮捕されたのではなかったか。しかも、その自白偏重主義が未だに根強い。

「ここでちょっと立ち止まって冷静に考えてみてはどうだろう?」
「死刑はそんなに簡単にポンポンと行われていいものなのか?」
と言いたくなる。

少なくとも、日本政府や日本の司法は被害者に対しても、加害者に対しても、全く蔑ろにしている事は事実だと思う。「死刑囚の命をどういう目的で奪うのか」という根本的な疑問は解消されない状態が、これから何年、何十年と続くのであろうか。日本はふらふらとどこへ歩もうとしているのか…。
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