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12月24日、テレビ朝日で漫才日本一を決めると大々的に謳った『M-1』という番組が放送されていた。この世の恋人達が最もセックスをしているこの日に、もちろん今年もその一緒にハメ過ごす相手がいないので、その下らない番組を見た。


【1回戦総評】

フットボールアワー(以下フット)の漫才は、一度見たことがある。よく一度世に出したことがある漫才を、あの場で出す勇気があったなと思う。フット、視聴者を舐めすぎ。一度優勝したことのあるコンビなのだから、最低限「新作の漫才ぐらい考えてこい」とボコボコに殴りたい。自分の過大評価は、とんだ杞憂だった。マジで、コイツらゴミ過ぎる。そして、審査員がそれに高得点を付けてしまったことにも、悪い意味でかなり愕然とさせられた。

ザ・プラン9も一度見たことあるようなネタという感じ。初ネタであったとしても、やはり5人では、大してバリエーションを作り出せないと言うことなんだろう。やはりテンポが悪く、笑いが小粒。麒麟も一度見たことのあるようなネタ。既出ネタを、ちょっとだけ改変した感じ。コイツらも、舐め腐っている。

トータルテンボスは悪くない。審査員の評価は、少し辛口。このクラスがもっと出てこられないと、「漫才」は廃れる。チュートリアルも悪くなかった。ただ一つのネタを引っ張りすぎの感は否めない。変ホ長調は…。笑い飯はテンポが悪い。細かいボケの素早い応酬が魅力のはず。朝鮮人顔の方が、最初で長いことボケ杉。終盤は悪くなかったが、この欠点は『M-1』に限った話ではないので、今回でもそれがなかなか改善されてないのが残念で仕方がない。まあこの調子では、決勝トーナメント処か、優勝は厳しいだろう。

最後、敗者復活で勝ち上がったライセンスは悪くなかったが、優勝できるクオリティではない。しかし結成10年目で、今年が最後らしい。そういえば、何故タカアンドトシが今年出場していないのだろうと思ったら、去年がラストイヤーだったらしい。

こういう順調に実力を伸ばしてきているコンビを、出し続けていかない限り、ますますこれ以上に『M-1』は詰まらない番組になるだろう。悪いが、「お笑い芸人になる=漫才をやり始める」ではない。マイナーな漫才をやり始める、磨き上げてくることをしてこなかったコンビが大半だろう。10年という訳の分からない紳助の脳内基準を、むやみやたらにテケトーに適用してしまって、果たして正解なのだろうか。またしても、そういう疑問が涌いてきた。

+ + + + +


【決勝総評】
論外組が二組も勝ち上がってしまった。麒麟は不発。もう一方のフットの漫才は悪くなかったが、やはり根本的に糞。早く消え失せてほしいものだ。

チュートリアルの評価としては、もっと徳井がはっちゃけて欲しかった。今一感が残った。しかし、審査員全員がチュートリアルの札を上げた。それには思わず、疑義を上げなければいけないだろう。他の二組と比較して、そこまで大勝できるほどの素晴らしい出来合ったかどうかはかなり疑わしい。個人的には接戦ではなかったかというのが印象。他の二組には鉄板のネタをやらせて、チュートを勝ち上がらせて、優勝させる。「一度優勝したコンビに勝って、優勝したチュートリアル」という称号を与えたいが為の、フットボールアワーは噛ませ犬だったのではないかという気がしてならない。

そもそも、何故麒麟とフットが決勝に勝ち上がってきたのか。そこが根本的に間違っている。フットの出場さえ許可を出さなければ、笑い飯が順当に勝ち上がってきただろう。もしくは他の全く日の目を見てないコンビが勝ち上がっていたかも知れない。麒麟の代わりに、トータルテンボスが勝ち上がっていたら…。少なくとも、在り来たりで何の新鮮味もないその二組でさえなければ、という気持ちはかなり強く残った。


【番組全体総評】
ゴールデンの出来とはとても言えない。「今日ならでは」という漫才が一切なかった。関西で日曜昼に放送されているような漫才番組を、そのまま夜のゴールデンに移植させたような感じ。とてもゴールデンに持ってくるようなクオリティではなかった。でもありがとう。これで改めて関西芸人と漫才の糞さを、改めて理解できました。今日、「漫才」が死にました。

審査員が島田洋介や中田カウスといった死んだ世代を起用したところで、上から彼らを評価するのではなく、同じ目線に立って評価できるはずがない。彼らに新しい笑いを受けいられる度量があるのか。昔、どれだけ面白い、また革新的な漫才を提供できていたのか分からないが、名誉だけはいっちょ前にある松本人志や島田紳助。南原や渡辺といった「漫才」とは昔も今も、関係の薄い東京のタレントは(ry。若手の「漫才」に対して、何が評価できるのだという話。そもそもお笑い関係者が、果たして嫉妬と言った感情を抜きに、正当に同業者を評価できるのかは疑問。

正当に厳しく評価するなら、今時のお笑い好きの素人の方が余程優れているだろう。何故なら、実際に劇場などに足を運んで、リアルで彼ら芸人の漫才を生で見ているからである。これらの審査員よりは、余程「漫才」を見る目が肥えているはずである。松本や紳助などは「札束」が関の山であろう。しかも、芸人とは直接の接点が全くないため、温情が影響することはまずない。

つまり、あのメンツでは『M-1』は総じて関西人による、関西芸人のための、独善的な番組になりやすい。それが「漫才」が廃れてしまう根本的な浮腫でもある。


【一度優勝したコンビを、再び出場させる是非】

『M-1』がどういう視聴者層を対象にしてるのか。それが、自分が解決できない一番の疑問である。

優勝者が何度出場してもいい。それは高いレベルの漫才を求めているということであろう。現実問題として、フットは再び決勝へ進出した。「コンビ結成 10年未満」という訳の分からない出場条件を無くすべきだろう。それであれば、2005年覇者のブラマヨは、何故今年も出なかったんだという話にもなる。

いや、ブラマヨは既にもう10年迎えていたのか…そう、視聴者にとって「10年以上という基準」は、所詮そんな程度の存在でしかないのである。視聴者の大半は、どのコンビが何年目を迎えているかなど知らないのである。タカトシにしろライセンスにしろ、まだまだ若手の部類である。視聴者にとって見れば、「TVに出始めた年」が「そのコンビがデビューした年」なのである。如何に、全く重要でない基準であるかが分かる。

しかも、そのハードルは極めて高いハードルと指摘せざるを得ない。何故なら、上の方がいつまでも屯(たむろ)い続けているから、下の方がなかなか上の方へ上がることが出来ない。気付いたときには、既にコンビを結成して、8年も9年も経っていたことなどままある。18才から始めたとしても、10年後でもまだ 28才。30才超えてから、TVに出始めている芸人など腐るほどいる。例えばペナルティーやカンニングとか。

「若手に注目を浴びさせる=ベテランは出場しない」ということだ。当然、ベテランを出場させないのであれば、一度優勝したコンビも出場させないべきである。中川家やますだおかだやブラマヨにしろ、優勝したコンビの殆どが10年目、もしくはそれに近い年数のコンビだと思う。つまり、優勝するコンビは何年目であろうとベテランに近い存在と言っていいのである(ただし島田紳助の10年目を境にして、ベテラン若手と分けることが出来るという脳内論理を適用するなら場の話である。自分は多くの異論を持っている)。

だから、島田紳助は一度優勝したフットを出してはいけなかったのである。

これでは『若手の芸人』にもっと頑張って欲しいと応援してるのではなく、ただ『関西の芸人』だけにもっと頑張って欲しいと応援しているようにしか思えない。関西ではコントが受けないから、漫才をやる傾向がある。逆に、東京では漫才をやっている芸人は少数派であり、コントの方が多数派である。では何故、「コント」ではなく、「お笑い」でもなく、「漫才」なのか。つまり結局、そういうことだよねという結論しか導き出せない。その背景には、関西人の東京に対する「やっかみ」や「嫉妬」が窺える。

ましてや再びコンビを結成し直すという荒技を使えば、もしくは新しい芸人とコンビを結成し直せば、10年越えていても『M-1』には出場できる。つい先頃、残念ながら亡くなってしまったカンニングも、名前を変えて出場していた気がする。相方を何人も変えているコンビにおいては、そのコンビの芸歴は数年であっても、個人の芸歴は軽く10年に近い、もしくは遙かに超えているコンビだっている。フットや南海キャンディーズも、今の相方は二人目同志だった気がする。

アマで出場した変ホ長調は40間近。島田紳助の中で、「若手」の定義が極めて曖昧。漫才に対して、新しい風を求めているようで、実は求めていない。アマチュアのコンビに対して、誰が結成して何年目であるかを調べられるのだという話。

しかも、それはつまり、10年以上漫才なり、お笑いをやっている人間は、新しい感性を作り上げられないと言ってるようなもの。では、何十年とお笑いの世界にドップリ浸かっている松本人志や島田紳助は、とっくに感性が死に絶えたゴミ同然の芸人と言うことになるのではないか。それが今回の『M-1』できっちりそれが発揮されていたわけだが…。


結局、島田紳助がこの番組で何を求めているのかが見えてこない。視聴者に対して、どういう「漫才」を提供したいのかが、極めて不明瞭。「今まで日の目を見なかった芸人に、そこで優勝して貰って、スポットライトを浴びてもらおう。全国的に売りだそう。」ということであれば、一度優勝した芸人を再び出場させてしまったら意味がない。結局、優勝するぐらい漫才が巧かったのであれば、実質10年以上経っているコンビと何ら変わらない。

何故フットが再び出場したかは、2003年に優勝しても、それ以降の三年間は鳴かず飛ばずだったからである。では、どうして鳴かず飛ばずであったか。単純明快。トークが下手だからに尽きるからである。下手とまでは言い過ぎだった。単純に、トークが面白くないからである。お笑い力学においては、「漫才」の力は全く何も作用しなかったということだ。「漫才」だけ出来ても、やはり売れないのである。

タカトシのように漫才ネタを、トークに活かせるコンビもいなくはないが、そんなコンビの方が珍しい。そもそも何故、タカトシを再び『M-1』に出場させることが出来ないのか。そもそも何故、再び『M-1』に出場できなくても、彼らは悔しがっているのか、悲しんでいるのかも良く分からない。芸人にとっても、所詮その程度の番組でしかないのだとするなら、視聴者の中でも当然の如く、「漫才」の比重はかなり低くなっているだろう。それはまた島田紳助の意に反して、残念ながら、全国的に「視聴者の興味」を掘り起こすことが出来てなかったという事実も意味している。


とにかく「漫才」は死んだ。少なくとも、『M-1』は死んだ。いや、「漫才」の代表的な番組の『M-1』が死んだのだから、「漫才」が死んだと言っても支障はない。そういえば同日行われた有馬記念を最後に、日本最強馬のディープインパクトは競馬界から旅立っていってしまった。

何とも、寂しいクリスマスイブだった。
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