『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
[PR]
[ ]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
つい先日、坂東を擁護するかのようなことを書いた。しかし「犬猫殺し」とされる件について思い直したのではない。自分は世間や周りの意見に合わせて、コロコロ主張を変えるようなメディアや自民党ではない。風見鶏は趣味に合わないと自負している。
ちょっと思い返してみると、あの下賤ババアは仏蘭西領のタヒチ島で暮らしているのだ。またしても、ホラーポッター翻訳者のババアと同じく、税金逃れである。うっかり忘れていた。日本から多額の金銭を奪っておきながら、一銭も日本に収めようとしないのだ。守銭奴・盗人も甚だしい。猫の命を奪うだけではなく、人の金までも奪っていたのだ。
ババアという生き物は何故ああもしみったれているのだろうか。日本から駆逐すべきである。そして、二度と日本で文筆活動ができないようにケチョンケチョンのボコボコにしてやるべきである。
主張の根本は違えど、坂東が万死に値するという結論では同じである。
2ちゃんねらー諸君、頑張るのだ。もっと祭ってやるのだ。
生暖かく見守らせていただく。
ちょっと思い返してみると、あの下賤ババアは仏蘭西領のタヒチ島で暮らしているのだ。またしても、ホラーポッター翻訳者のババアと同じく、税金逃れである。うっかり忘れていた。日本から多額の金銭を奪っておきながら、一銭も日本に収めようとしないのだ。守銭奴・盗人も甚だしい。猫の命を奪うだけではなく、人の金までも奪っていたのだ。
ババアという生き物は何故ああもしみったれているのだろうか。日本から駆逐すべきである。そして、二度と日本で文筆活動ができないようにケチョンケチョンのボコボコにしてやるべきである。
主張の根本は違えど、坂東が万死に値するという結論では同じである。
2ちゃんねらー諸君、頑張るのだ。もっと祭ってやるのだ。
生暖かく見守らせていただく。
PR
最初このニュースを耳にしたとき、坂東という直木賞作家が生まれたばかりの猫を、ナイフでその猫の首を切り取ったり、壁や地面に叩きつけて殺したり、無惨な方法で快楽的に惨殺したのだと思った。いくらホラー作家とはいえ、何という「猟奇的な作家」だろうという驚きとともに、それを掲載した日経新聞は、さすが「鼻くそ天皇メモ」をスクープしただけのことはある新聞だと驚いた。
しかし、よくよく聞いてみると、調べてみると、何のことはない。自宅隣のガケ下に投げ捨てているだけらしい。何だガッカリだ。しかも、2ちゃんねるやWikipediaではこの程度のことで祭りになっているらしい。さらにガッカリだ。いくら直木賞作家とはいえ、やっていることは何のことはない。保健所が飼い主の居なくなった野良猫や野良犬を薬殺しているのと同じである。今も日本のどこかで行われている「日常的な行為」と言って、何も差し支えはない。
これならまだ「鼻くそ天皇メモ」の方が余程、衝撃的で不快に感じた人間も多かったのでは。靖国参拝賛成は特に、「鼻くそが発言したことによって、反対派が一時的ではアレ増えた」のだから、特に鼻くそ天皇に対して“憎悪”を抱いているであろう。そんなに不快にさせられる新聞なら契約を破棄すればいいだけの話。それでも鬱積した感情を処理できないなら、そういう精神障害者バリバリの人間だというのなら、朝日新聞不買運動のように日経新聞不買運動を展開すればいいだけである。愚かしい限りである。
猫が生まれたとしても、結果的に自分がそれを育てられる環境にないのなら、自分が責任を持って「殺す」のが当然である。「殺す」としたら早ければ早い内の方がいいのは当たり前である。自我が芽生え、複雑な感情を抱く前に、「殺し」てあげたほうがそれのためにもなる。「死」に対する恐怖心が芽生えてしまった状況で、薬殺してしまう保健所の方が余程残酷であり、社会的に糾弾されなければいけないだろう。生まれたばかりのそれが勝手に独りでに育っていけるような社会や環境が整備されていれば、もちろん別問題であるが、そういうシステムが確立されている社会はない。
己のペットなのだから、自分が飼いきれる範疇を超えたと判断すれば、薬殺なり、この世から消すことが社会のためである。その猫を捨てて、憎むべき捨て猫なんかになってしまったら、本末転倒である。最近の日本では、マンションの小さい部屋では飼いきれなくなったからと言って、巨大・猛獣爬虫類を捨てて、近隣住民が迷惑している事件が多発している。いつも思うのだが、何故飼い主は「捨てる」ことよりも「殺す」ことを選択しないのか不思議でたまらない。明らかに、生かしておくことは社会に迷惑をかけることなのだ。実に理路整然とした「死」である。
その点、このおばちゃんは正常な判断を下している。また同じ野良猫に殺させ、その「死」を自然の摂理に任せているのだから、余程「人間的」であり、「合理的」な主張であると断言せざるを得ない。
ただこのおばちゃんは、「避妊手術も生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ」と述べ、また「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」とも述べているのだ。明らかに矛楯している。解せない。一方では猫を殺したり、命を奪う権利はないと言いつつ、他方ではその権利はないと言っているのだ。個人的に、このおばちゃんが猫の命を奪っていることよりも、この二枚舌の方が余程不愉快である。
このおばちゃんは大げさである。この程度のことで、「殺し」とは笑止千万だ。ただ単に世間から注目を集めたかっただけとしか思えない。作家としての宿命というものなのか。それだけが残念である。
しかし、よくよく聞いてみると、調べてみると、何のことはない。自宅隣のガケ下に投げ捨てているだけらしい。何だガッカリだ。しかも、2ちゃんねるやWikipediaではこの程度のことで祭りになっているらしい。さらにガッカリだ。いくら直木賞作家とはいえ、やっていることは何のことはない。保健所が飼い主の居なくなった野良猫や野良犬を薬殺しているのと同じである。今も日本のどこかで行われている「日常的な行為」と言って、何も差し支えはない。
これならまだ「鼻くそ天皇メモ」の方が余程、衝撃的で不快に感じた人間も多かったのでは。靖国参拝賛成は特に、「鼻くそが発言したことによって、反対派が一時的ではアレ増えた」のだから、特に鼻くそ天皇に対して“憎悪”を抱いているであろう。そんなに不快にさせられる新聞なら契約を破棄すればいいだけの話。それでも鬱積した感情を処理できないなら、そういう精神障害者バリバリの人間だというのなら、朝日新聞不買運動のように日経新聞不買運動を展開すればいいだけである。愚かしい限りである。
猫が生まれたとしても、結果的に自分がそれを育てられる環境にないのなら、自分が責任を持って「殺す」のが当然である。「殺す」としたら早ければ早い内の方がいいのは当たり前である。自我が芽生え、複雑な感情を抱く前に、「殺し」てあげたほうがそれのためにもなる。「死」に対する恐怖心が芽生えてしまった状況で、薬殺してしまう保健所の方が余程残酷であり、社会的に糾弾されなければいけないだろう。生まれたばかりのそれが勝手に独りでに育っていけるような社会や環境が整備されていれば、もちろん別問題であるが、そういうシステムが確立されている社会はない。
己のペットなのだから、自分が飼いきれる範疇を超えたと判断すれば、薬殺なり、この世から消すことが社会のためである。その猫を捨てて、憎むべき捨て猫なんかになってしまったら、本末転倒である。最近の日本では、マンションの小さい部屋では飼いきれなくなったからと言って、巨大・猛獣爬虫類を捨てて、近隣住民が迷惑している事件が多発している。いつも思うのだが、何故飼い主は「捨てる」ことよりも「殺す」ことを選択しないのか不思議でたまらない。明らかに、生かしておくことは社会に迷惑をかけることなのだ。実に理路整然とした「死」である。
その点、このおばちゃんは正常な判断を下している。また同じ野良猫に殺させ、その「死」を自然の摂理に任せているのだから、余程「人間的」であり、「合理的」な主張であると断言せざるを得ない。
ただこのおばちゃんは、「避妊手術も生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ」と述べ、また「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」とも述べているのだ。明らかに矛楯している。解せない。一方では猫を殺したり、命を奪う権利はないと言いつつ、他方ではその権利はないと言っているのだ。個人的に、このおばちゃんが猫の命を奪っていることよりも、この二枚舌の方が余程不愉快である。
このおばちゃんは大げさである。この程度のことで、「殺し」とは笑止千万だ。ただ単に世間から注目を集めたかっただけとしか思えない。作家としての宿命というものなのか。それだけが残念である。
タワーレコードとは、レコードやCDの販売大手の会社である。日本にもタワーレコードあるが、経営上は日本法人側が全株取得しているため、独立しているらしい。そこが破産法を申請した。何でも過去三年間で二度目の申請らしい。最近のアメリカの音楽業界ではほとんどがオンラインによる楽曲購入が主流である。ソニーのウォークマンのシェアが格段に下がってしまい、アップル社のiPodのシェアが今や大半を占めていることからも明らかである。そんな中、タワーレコードが苦境に陥っていたのは言うまでもない。音楽配信に手を出さなかったわけでもないが、やはり時代遅れの店舗中心の販売では勝てなかったのである。結果、レコード会社への支払いが滞り、破産申請という流れのようだ。
アメリカの法律は知らないが、近いうちに国営オークションで店舗などの資産売却を計り、クリスマスショッピングシーズンへ向けて再建を図るらしい。そこらへんの詳しいことは西海岸一モテた男・湯浅弁護士にでも聞くといいかもしれない。あれで弁護士なのだから、世の中どれだけ不公平か分からない|-J-).。oO(・・・・・・・・・)
それはさておき、基本的にCDの値段は高いのだ。だからオンラインによる音楽配信がアメリカでは主流になった。アップル社が提供しているサービスでは、なんと1曲150円である。シングル一枚1200円、アルバム一枚3000円はいくらなんでも高すぎるのは誰の目から見ても明らかである(ここ数年、CDを買ってないのでこの価格は間違っているかも知れない)。我らのロリータアイドル泉明日香のDVDが一枚3000円なのだ。どこぞのしょうもない歌手が、スタジオで「ふうぇふうぇ~ふうぇ~」とたかだか10曲程度歌うだけで、3000円は馬鹿げている。海外に行くわけでもなく、カラオケなら1時間たかだか数百円の話だ。実に、巫山戯(ふざけ)た話である。
店舗販売の値段としては、シングル一枚500円、アルバム一枚1300円程度が妥当な価格である。音楽とは身近なものなのだ。喫茶店やファミレスで軽くトモダチとお喋りしながら、フッと流れてきて、心地よく鼓膜を刺激してくれたり、お喋りにも花を添えてくれたりする。音楽とはそんなありふれたものなのだ。そうでなければいけないのだ。
泉明日香のDVDなんてコッソリ部屋の電気を消して、自分一人でしか見ることなどできない。13歳のお尻丸出しTバックなぞ、親や彼女などに絶対見られてはいけないのだ。その点、音楽はいつどこででも誰とでも気軽に・手軽に聞ける。そうでなければいけないのだ。
気軽さ・手軽さこそが音楽の最大のメリットであるにも関わらず、今の価格設定はそれとは正反対・逆行している。何故この価格設定なのか。安くならないのか。答えは簡単である。CDの大部分の売り上げが、音楽著作権団体である日本音楽著作権協会「JASRAC(ジャスラック)」に流れているからである。年間1,100億円もの著作権料を徴収している超巨大団体である。
アーティストや作曲・編曲者に支払われるマージンは10%もない。音楽業界を牛耳っているのは、このジャスラックであると言って差し支えない。JASRACは黒のものでも白にできてしまう、言わばキムジョンイルよろしくの王様なのだ。値下げして販売しようとしても、このジャスラックが許さない。何故なら、自分たちの懐に入る金額が減るからである。CDの売り上げが増えまいが関係ないのだ。2ちゃんなどで、ジャスラックが『カスラック』と愛情を込めたあだ名で呼ばれているのは、これが由縁である。安い輸入盤CDの販売規制など、「コピー防止CD」の普及に努めたりなど、利用者の利便性を背くようなことばかりしていたのだから仕方ない面は多々ある。
日本もアメリカ型のネット配信が主流になりつつある。着うたといった携帯を利用したダウンロード型の音楽購入が近年爆発的に伸びている。もちろん店舗販売型のCDの売り上げは急減している。しかしこのキムジョンイルが死なない限り、CD業界、はたまた音楽業界全体の勃興は有り得ないと誰もが予見できることであろう。頭上にドカッと座り続けている限り、根本的には何も変革されないのだ。
消費者の利便性よりも、自分たちの利益や保身しか考えていない団体は、米タワーレコードの末路を辿ることは目に見えている。庶民から離れてしまった『音楽』に誰が敬意を払って、お金も払って聴こうと思うのか。
このことは映画業界に対しても、同じようなことが言える。大人1500円はいくらなんでも高すぎる。音楽業界と同じ一途を辿らないことを願うばかりである。
アメリカの法律は知らないが、近いうちに国営オークションで店舗などの資産売却を計り、クリスマスショッピングシーズンへ向けて再建を図るらしい。そこらへんの詳しいことは西海岸一モテた男・湯浅弁護士にでも聞くといいかもしれない。あれで弁護士なのだから、世の中どれだけ不公平か分からない|-J-).。oO(・・・・・・・・・)
それはさておき、基本的にCDの値段は高いのだ。だからオンラインによる音楽配信がアメリカでは主流になった。アップル社が提供しているサービスでは、なんと1曲150円である。シングル一枚1200円、アルバム一枚3000円はいくらなんでも高すぎるのは誰の目から見ても明らかである(ここ数年、CDを買ってないのでこの価格は間違っているかも知れない)。我らのロリータアイドル泉明日香のDVDが一枚3000円なのだ。どこぞのしょうもない歌手が、スタジオで「ふうぇふうぇ~ふうぇ~」とたかだか10曲程度歌うだけで、3000円は馬鹿げている。海外に行くわけでもなく、カラオケなら1時間たかだか数百円の話だ。実に、巫山戯(ふざけ)た話である。
店舗販売の値段としては、シングル一枚500円、アルバム一枚1300円程度が妥当な価格である。音楽とは身近なものなのだ。喫茶店やファミレスで軽くトモダチとお喋りしながら、フッと流れてきて、心地よく鼓膜を刺激してくれたり、お喋りにも花を添えてくれたりする。音楽とはそんなありふれたものなのだ。そうでなければいけないのだ。
泉明日香のDVDなんてコッソリ部屋の電気を消して、自分一人でしか見ることなどできない。13歳のお尻丸出しTバックなぞ、親や彼女などに絶対見られてはいけないのだ。その点、音楽はいつどこででも誰とでも気軽に・手軽に聞ける。そうでなければいけないのだ。
気軽さ・手軽さこそが音楽の最大のメリットであるにも関わらず、今の価格設定はそれとは正反対・逆行している。何故この価格設定なのか。安くならないのか。答えは簡単である。CDの大部分の売り上げが、音楽著作権団体である日本音楽著作権協会「JASRAC(ジャスラック)」に流れているからである。年間1,100億円もの著作権料を徴収している超巨大団体である。
アーティストや作曲・編曲者に支払われるマージンは10%もない。音楽業界を牛耳っているのは、このジャスラックであると言って差し支えない。JASRACは黒のものでも白にできてしまう、言わばキムジョンイルよろしくの王様なのだ。値下げして販売しようとしても、このジャスラックが許さない。何故なら、自分たちの懐に入る金額が減るからである。CDの売り上げが増えまいが関係ないのだ。2ちゃんなどで、ジャスラックが『カスラック』と愛情を込めたあだ名で呼ばれているのは、これが由縁である。安い輸入盤CDの販売規制など、「コピー防止CD」の普及に努めたりなど、利用者の利便性を背くようなことばかりしていたのだから仕方ない面は多々ある。
日本もアメリカ型のネット配信が主流になりつつある。着うたといった携帯を利用したダウンロード型の音楽購入が近年爆発的に伸びている。もちろん店舗販売型のCDの売り上げは急減している。しかしこのキムジョンイルが死なない限り、CD業界、はたまた音楽業界全体の勃興は有り得ないと誰もが予見できることであろう。頭上にドカッと座り続けている限り、根本的には何も変革されないのだ。
消費者の利便性よりも、自分たちの利益や保身しか考えていない団体は、米タワーレコードの末路を辿ることは目に見えている。庶民から離れてしまった『音楽』に誰が敬意を払って、お金も払って聴こうと思うのか。
このことは映画業界に対しても、同じようなことが言える。大人1500円はいくらなんでも高すぎる。音楽業界と同じ一途を辿らないことを願うばかりである。
姑息すぎるauとボーダフォン
[ 国内ニュース ]
DOCOMOのワンセグ携帯を解約後も、その携帯で「テレビが視聴できてしまう」ことが問題になっているらしい。auやボーダフォンは解約してしまえば、それでワンセグ放送が見られなくなるらしい。何でも自社のサーバーを介する形で、ワンセグ放送が受信できるようにしているからだそうである。
どちらが姑息で、ユーザーの利便性を無視しているか。もちろん後者の二社である。写真撮影機能やダウンロードしたアプリゲームをしたいがために、契約を解約しても、携帯はそのまま持ったままという人は多い。後者の二社は、カメラのレンズを奪い去り、ダウンロードしたアプリを勝手に削除してから、その携帯を消費者に返却しているようなものである。姑息の一言である。
できれば、チンカスの携帯電話を使うのは御免被りたいものである。
どちらが姑息で、ユーザーの利便性を無視しているか。もちろん後者の二社である。写真撮影機能やダウンロードしたアプリゲームをしたいがために、契約を解約しても、携帯はそのまま持ったままという人は多い。後者の二社は、カメラのレンズを奪い去り、ダウンロードしたアプリを勝手に削除してから、その携帯を消費者に返却しているようなものである。姑息の一言である。
できれば、チンカスの携帯電話を使うのは御免被りたいものである。
何日か前の話である。去る8月10日、19歳の臨月女が男のマンションの便器で自分の赤ん坊を産み落として、その赤ん坊の顔に被さった自らの羊膜を取らずに放置し窒息死させた「不作為」ということで、その女が殺人罪で逮捕されるというニュースがあった。女は「育てられないから、死んでくれてよかった」などと供述したらしい。
女は水商売で働いていたらしい。もちろん妊婦が働ける水商売など限られている。お腹を孕んだ女の子をキャバクラやクラブが雇うはずがない。もちろん妊婦専門の性風俗店ぐらいしかない。彼女の腹の中にいる間は、その子供はしっかり労働力となっていた訳である。母親の体の一部であったから。しかしながら、産まれてしまえば労働の欠片もない、世間に放り出されたただの無能な塊である。誰かの手を借りずして、生きることは不可能である。
そして、マンションの便器で自分の赤ん坊を産んだ。そして本来糞があるべき所に、血だらけの赤ん坊があったのだ。そして、女は思った。「産まなきゃよかった」と普段の自分の糞を見るかのように、自分の赤ん坊を見下げた。羊膜が赤ん坊を窒息させようと踏ん張っている姿を見て、安心した。「これで死ぬ」。
女は金に困っていた。働ける場所など限られている。そして風俗で働いた。孕んだ赤ん坊を産むために。元気な子供に育ってもらうために。しかし、そこは赤ん坊を道具にした風俗で働く場所だった。次第に、赤ん坊が金を得るためだけの本当の道具になった。
一片の愛情でもあれば、そもそも便器で産もうなどとは思わない。便器は汚物を流し去る場所だ。そう彼女の中では赤ん坊は汚物だったのだ。だから便器で産もうとした。赤ん坊を自分の世界から流し去ろうとしたのだ。自分の体から出てくるだけでも大枚を食いつぶす赤ん坊が憎くて憎くて仕方なかったのだ。そして産んだ後も、なお自分の体から金を毟り食おうというのだ。なんと厚かましい塊であろう。そう思ったに違いない。
子供が労働力にならないから、女は自分の赤ん坊を捨てたのである。これは当たり前の行為である。今、自分が生きていくだけで精一杯の経済状況なのである。子供は何も生まないのである。日本という先進国においては、子供は単なる金を食いつぶすだけの白アリである。穀潰しである。しかも日本という国においては、金を掛けるだけ掛けても身にならないのである。
それにも関わらず、殺人未遂とは随分仰々しい。生活に困窮しているにもかかわらず、生活保護費を一切支給しなかった行政の人間が居たが、其奴に対して警察は「不作為の殺意」を認定して、殺人罪で逮捕したのだろうか。
行政も誰も救ってくれないから、自分が殺しただけである。何が問題となりうるのだろう。行政が行政の財布事情のために殺したのと、一市民が一市民の財布事情のために殺したのと、根本的に差異など一切ない。この表現に嫌悪感を持つ人間は多いかも知れないが、現実問題そうなのである。高額所得者のお金持ちならまだしも、そんな白アリを飼い慣らす余裕はほとんどの逼迫した国民にはないのである。
インドでは年間数十万人の女の胎児が殺されるそうである。つい最近も、女の胎児の死体ガイドで大量で見つかるという事件があった。インドの風習では結婚をするときに新婦側の親族が、新郎側の親族に対して年収の5倍以上もの超多額の金銭を渡さなければいけないそうである。インドのマハラジャも女の子を3人産めば破産すると言われているぐらいである。それほど女児は疎んじられている。また現在でも金を渡せないことが原因で、新婦が惨殺されたりといった事件も起きている。だから超音波診断で自分が孕んだ赤ん坊の性別が分かった時点で落胆するのである。そして殺すのである。全ては金である。金が赤ん坊を殺すのである。
先進大国の日本も、BRICSヨロシク新興国のインドも同じなのである。
子供に金がかかる国は、子供は親に殺されて当たり前なのである。
自分がこの件に関して言いたいことを一言で表すと、「児童売買春を合法化しろ」ということである。子供を育てることに金がかかるなら、子供自体が金を稼げるようにすればいい。子供が金を稼げる仕事は限られている。誰もが簡単にできて、高額な利益を得られる仕事と言えば『売春』しかない。日本の子供達は恵まれた食材に囲まれて育つため、体の発育が早い。そのためセックスができる年齢、セックスで感じ始める年齢は極めて早い。心配は何も要らない。
それが嫌というのなら、社会や政府や国が救うシステムを構築するしかない。それだけである。
女は水商売で働いていたらしい。もちろん妊婦が働ける水商売など限られている。お腹を孕んだ女の子をキャバクラやクラブが雇うはずがない。もちろん妊婦専門の性風俗店ぐらいしかない。彼女の腹の中にいる間は、その子供はしっかり労働力となっていた訳である。母親の体の一部であったから。しかしながら、産まれてしまえば労働の欠片もない、世間に放り出されたただの無能な塊である。誰かの手を借りずして、生きることは不可能である。
そして、マンションの便器で自分の赤ん坊を産んだ。そして本来糞があるべき所に、血だらけの赤ん坊があったのだ。そして、女は思った。「産まなきゃよかった」と普段の自分の糞を見るかのように、自分の赤ん坊を見下げた。羊膜が赤ん坊を窒息させようと踏ん張っている姿を見て、安心した。「これで死ぬ」。
女は金に困っていた。働ける場所など限られている。そして風俗で働いた。孕んだ赤ん坊を産むために。元気な子供に育ってもらうために。しかし、そこは赤ん坊を道具にした風俗で働く場所だった。次第に、赤ん坊が金を得るためだけの本当の道具になった。
一片の愛情でもあれば、そもそも便器で産もうなどとは思わない。便器は汚物を流し去る場所だ。そう彼女の中では赤ん坊は汚物だったのだ。だから便器で産もうとした。赤ん坊を自分の世界から流し去ろうとしたのだ。自分の体から出てくるだけでも大枚を食いつぶす赤ん坊が憎くて憎くて仕方なかったのだ。そして産んだ後も、なお自分の体から金を毟り食おうというのだ。なんと厚かましい塊であろう。そう思ったに違いない。
子供が労働力にならないから、女は自分の赤ん坊を捨てたのである。これは当たり前の行為である。今、自分が生きていくだけで精一杯の経済状況なのである。子供は何も生まないのである。日本という先進国においては、子供は単なる金を食いつぶすだけの白アリである。穀潰しである。しかも日本という国においては、金を掛けるだけ掛けても身にならないのである。
それにも関わらず、殺人未遂とは随分仰々しい。生活に困窮しているにもかかわらず、生活保護費を一切支給しなかった行政の人間が居たが、其奴に対して警察は「不作為の殺意」を認定して、殺人罪で逮捕したのだろうか。
行政も誰も救ってくれないから、自分が殺しただけである。何が問題となりうるのだろう。行政が行政の財布事情のために殺したのと、一市民が一市民の財布事情のために殺したのと、根本的に差異など一切ない。この表現に嫌悪感を持つ人間は多いかも知れないが、現実問題そうなのである。高額所得者のお金持ちならまだしも、そんな白アリを飼い慣らす余裕はほとんどの逼迫した国民にはないのである。
インドでは年間数十万人の女の胎児が殺されるそうである。つい最近も、女の胎児の死体ガイドで大量で見つかるという事件があった。インドの風習では結婚をするときに新婦側の親族が、新郎側の親族に対して年収の5倍以上もの超多額の金銭を渡さなければいけないそうである。インドのマハラジャも女の子を3人産めば破産すると言われているぐらいである。それほど女児は疎んじられている。また現在でも金を渡せないことが原因で、新婦が惨殺されたりといった事件も起きている。だから超音波診断で自分が孕んだ赤ん坊の性別が分かった時点で落胆するのである。そして殺すのである。全ては金である。金が赤ん坊を殺すのである。
先進大国の日本も、BRICSヨロシク新興国のインドも同じなのである。
子供に金がかかる国は、子供は親に殺されて当たり前なのである。
自分がこの件に関して言いたいことを一言で表すと、「児童売買春を合法化しろ」ということである。子供を育てることに金がかかるなら、子供自体が金を稼げるようにすればいい。子供が金を稼げる仕事は限られている。誰もが簡単にできて、高額な利益を得られる仕事と言えば『売春』しかない。日本の子供達は恵まれた食材に囲まれて育つため、体の発育が早い。そのためセックスができる年齢、セックスで感じ始める年齢は極めて早い。心配は何も要らない。
それが嫌というのなら、社会や政府や国が救うシステムを構築するしかない。それだけである。
2ちゃんねるを好きな理由
[ 2ちゃんねる ]
2ちゃんねるはネット上ではびこっている数ある掲示板の中では、群を抜いてと言えば大げさだが、どちらかといえば好きな掲示板である。毎日利用しているのだから、「2ちゃんフリーク」や「2ちゃんヲタク」と言っても差し支えない。もはや「2ちゃんねらー」だと堂々と公言できるレベルにまで達している。
何故こんなに毎日利用するかと言えば、「人が多い」からである。管理人のひろゆきも昔同じ事を言っていたような気がするが、人が多ければ多いほど、自分のレスに対する反応が返ってくるのも速いし、相手に対してもすぐ反論や同意のレスをすることもできる。またその数も多さや内容も良くも悪くも様々である。Yahoo!などと違って、IDを取得せずとも、気軽に書き込めるのも理由であろう。
これも「人が多い」結果といえるかも知れないが、「2ちゃんねる専用のブラウザ(通称:専ブラ)」もめちゃくちゃ充実している。気に入らないレスは見えないようにすることができたり、ある特定の人物のレスだけをポップアップできたり、取得した画像をスレビュー内にサムネイル化できたりする。そういった利用者の利便性を高めるブラウザが普及したことで、さらに利用者数を増加させる結果に繋がっているのであろう。むしろそういう専ブラがあるからこそ、2ちゃんを利用させられているのかも知れない。
人が多く集まってくると、お互いが何かを刺激し合うのか、色んなアイデアが生み出され、色んなモノが生み出されていく。例えば、AA(アスキーアート)であったり、FLASHであったり、ネタと言った創作作品であったり、WinnyやShareといったものである。しかしながら、そういう良作は滅多に生み出されるものではない。やはり、日々繰り返されているレスとレスの応酬・議論などが最も親しまれている作品であると言っていい。これは見ているだけでも楽しいし、その流れに参加するのは更に楽しいものなのだ。それは人の多さや、気軽さなしに紡ぎ出されるものではない。
見ず知らずの人間、顔も知らない人間が、同じ目的に向かって、同じ意識で、同じ速度で走る。この連帯感・一体感から得られる快感というものは、なかなか現実世界では得られるものではない。
2ちゃんねるは今までに経験したことのないような経験をさせてくれたし、何度もそれを見せてもくれた。誰も踏み込んだことのない未開の領域に踏み込む楽しさ。他の掲示板では味わうことが決してできないことである。非日常、反常識みたいなことが閲覧者の興味を惹くのだろう。普段誰にも叩かれないような・叩けないような相手を叩くのが面白いのだ。普段、叩けない相手というのは、大抵「権力」を保持している。2ちゃんねるには『反権力』といったものが厳然と存在しているのだと思う。
『反メディア』であったり、『反タブー』であったり、『反公権力』であったり、『反大企業』であったり、究極的には『反政府』であるべきなのだ。でないと面白くない。弱いものを叩いたってつまらない。オムライス党のミズポを叩いたって何も面白くないのだ。政府に迎合してるだけなら、どんな馬鹿にでもできる。「うんうん」と頷いているだけでいいんだったら、イチローの首振り人形にだってできるのだ。
もちろん反政府一辺倒というのもつまらない。
ただ政府迎合はもっとつまらない。
2ちゃんが向ける矛先は全方位であるべきなのだ。
例外が決してあって良い訳がない。
今の2ちゃんねるには『反政府』という最も大事なスパイスが欠けている。
これこそ最も美味しい果実なのだ。
何故こんなに毎日利用するかと言えば、「人が多い」からである。管理人のひろゆきも昔同じ事を言っていたような気がするが、人が多ければ多いほど、自分のレスに対する反応が返ってくるのも速いし、相手に対してもすぐ反論や同意のレスをすることもできる。またその数も多さや内容も良くも悪くも様々である。Yahoo!などと違って、IDを取得せずとも、気軽に書き込めるのも理由であろう。
これも「人が多い」結果といえるかも知れないが、「2ちゃんねる専用のブラウザ(通称:専ブラ)」もめちゃくちゃ充実している。気に入らないレスは見えないようにすることができたり、ある特定の人物のレスだけをポップアップできたり、取得した画像をスレビュー内にサムネイル化できたりする。そういった利用者の利便性を高めるブラウザが普及したことで、さらに利用者数を増加させる結果に繋がっているのであろう。むしろそういう専ブラがあるからこそ、2ちゃんを利用させられているのかも知れない。
人が多く集まってくると、お互いが何かを刺激し合うのか、色んなアイデアが生み出され、色んなモノが生み出されていく。例えば、AA(アスキーアート)であったり、FLASHであったり、ネタと言った創作作品であったり、WinnyやShareといったものである。しかしながら、そういう良作は滅多に生み出されるものではない。やはり、日々繰り返されているレスとレスの応酬・議論などが最も親しまれている作品であると言っていい。これは見ているだけでも楽しいし、その流れに参加するのは更に楽しいものなのだ。それは人の多さや、気軽さなしに紡ぎ出されるものではない。
見ず知らずの人間、顔も知らない人間が、同じ目的に向かって、同じ意識で、同じ速度で走る。この連帯感・一体感から得られる快感というものは、なかなか現実世界では得られるものではない。
2ちゃんねるは今までに経験したことのないような経験をさせてくれたし、何度もそれを見せてもくれた。誰も踏み込んだことのない未開の領域に踏み込む楽しさ。他の掲示板では味わうことが決してできないことである。非日常、反常識みたいなことが閲覧者の興味を惹くのだろう。普段誰にも叩かれないような・叩けないような相手を叩くのが面白いのだ。普段、叩けない相手というのは、大抵「権力」を保持している。2ちゃんねるには『反権力』といったものが厳然と存在しているのだと思う。
『反メディア』であったり、『反タブー』であったり、『反公権力』であったり、『反大企業』であったり、究極的には『反政府』であるべきなのだ。でないと面白くない。弱いものを叩いたってつまらない。オムライス党のミズポを叩いたって何も面白くないのだ。政府に迎合してるだけなら、どんな馬鹿にでもできる。「うんうん」と頷いているだけでいいんだったら、イチローの首振り人形にだってできるのだ。
もちろん反政府一辺倒というのもつまらない。
ただ政府迎合はもっとつまらない。
2ちゃんが向ける矛先は全方位であるべきなのだ。
例外が決してあって良い訳がない。
今の2ちゃんねるには『反政府』という最も大事なスパイスが欠けている。
これこそ最も美味しい果実なのだ。
8月22日、横浜市で開かれた講演で安部・麻生・谷垣の三人が一堂に会した。そこで安部は「憲法改正」と「教育基本法改正」を政権公約の中心に掲げると発言した。「日本の新しい国の形を示すため、私たちの手で新しい憲法をつくっていく」という願望をお持ちのようである。
憲法改正は自民党の党是であるからして、これを政権公約として掲げるのは不思議でも何でもない。自民党が出来上がって幾年経ったか分からない。にも関わらず、改正手続きすらまともに仕上がってない。いかに難しい所行か誰の目から見ても明らかだ。安部もそれを理解しているのか、「5年をめどに」などと発言している(まあ政権が5年も続いたらの話だがw)。しかしながら、安部は「憲法改正」を次期政権の最大課題としているのだ。長年放置され続けている問題のどこが近々に迫った課題だというのだろう。自民党が放置し続けている問題という点では、北方四島・竹島・尖閣諸島といった「領土問題」の方が余程重大である。つい最近も盛田という同じ日本人が露西亜の警備艇によって殺害されているのだぞ。全く眼中におありにないようだ。憲法改正して、軍事的手段を可能にしなければ、解決できないという低能丸出しの主張をお持ちであれば別であるが( ̄ー ̄)ニヤリ
やはり安部の政治的センスのなさは、目を見張るものがある。
そして、一刻も早く「家庭や地域、国を愛する教育」を実現させたいそうなのである。低所得者が増え続け、家庭は崩壊し、公共事業は打ち切られ、地域経済は停滞し、シャッター街も増え続け、地域も崩壊しているのに、これを愛せと言うのだ。その家庭や地域を復興するのが、政治家の宿命である。それを抜きにして、何かを愛せとは論理が逆である。
「まやかしの偶像を愛せ」というのが教育というのだから、さすがめくらの安部である。
また安部は同時に、「誇りの持てる国づくり」を掲げている。
この国のどこに誇りを持てばいいんですか?
この埃まみれの国に…
まずこの実現もなしに、「国を愛せ」とは順序が逆転してますよ。
清掃員のあべちゃん
憲法改正を掲げる安部。格差社会を取り上げる麻生。社会保障・増税を打ち出す谷垣。
夢想好きのオナニスト安部、現実主義的の麻生や谷垣と言ったところか。
メディアじゃ早くも安部政権の人事について取り沙汰されている。オッサン連中と若手連中が安部の靴の下を、どれだけ自分たちが綺麗に丁寧に舐めることができるか必死に競争している。無様である。
自民党には理念も何も持たない腐った議員しかいなくなった。最早、選挙に勝てれば誰でもいいという、民主党以下の寄り合い所帯である。最早、クラブ活動以下である。
憲法改正は自民党の党是であるからして、これを政権公約として掲げるのは不思議でも何でもない。自民党が出来上がって幾年経ったか分からない。にも関わらず、改正手続きすらまともに仕上がってない。いかに難しい所行か誰の目から見ても明らかだ。安部もそれを理解しているのか、「5年をめどに」などと発言している(まあ政権が5年も続いたらの話だがw)。しかしながら、安部は「憲法改正」を次期政権の最大課題としているのだ。長年放置され続けている問題のどこが近々に迫った課題だというのだろう。自民党が放置し続けている問題という点では、北方四島・竹島・尖閣諸島といった「領土問題」の方が余程重大である。つい最近も盛田という同じ日本人が露西亜の警備艇によって殺害されているのだぞ。全く眼中におありにないようだ。憲法改正して、軍事的手段を可能にしなければ、解決できないという低能丸出しの主張をお持ちであれば別であるが( ̄ー ̄)ニヤリ
やはり安部の政治的センスのなさは、目を見張るものがある。
そして、一刻も早く「家庭や地域、国を愛する教育」を実現させたいそうなのである。低所得者が増え続け、家庭は崩壊し、公共事業は打ち切られ、地域経済は停滞し、シャッター街も増え続け、地域も崩壊しているのに、これを愛せと言うのだ。その家庭や地域を復興するのが、政治家の宿命である。それを抜きにして、何かを愛せとは論理が逆である。
「まやかしの偶像を愛せ」というのが教育というのだから、さすがめくらの安部である。
また安部は同時に、「誇りの持てる国づくり」を掲げている。
この国のどこに誇りを持てばいいんですか?
この埃まみれの国に…
まずこの実現もなしに、「国を愛せ」とは順序が逆転してますよ。
清掃員のあべちゃん
憲法改正を掲げる安部。格差社会を取り上げる麻生。社会保障・増税を打ち出す谷垣。
夢想好きのオナニスト安部、現実主義的の麻生や谷垣と言ったところか。
メディアじゃ早くも安部政権の人事について取り沙汰されている。オッサン連中と若手連中が安部の靴の下を、どれだけ自分たちが綺麗に丁寧に舐めることができるか必死に競争している。無様である。
自民党には理念も何も持たない腐った議員しかいなくなった。最早、選挙に勝てれば誰でもいいという、民主党以下の寄り合い所帯である。最早、クラブ活動以下である。
カレンダー
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
カテゴリー
最新記事
(12/12)
(12/31)
(12/31)
(12/30)
(12/30)
(12/29)
(12/29)
(12/28)
(12/27)
(12/27)
(12/26)
(12/25)
(12/23)
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(08/13)
(08/13)
(08/13)
(08/13)
(08/13)
(08/13)
(08/13)
(08/14)
(08/15)
(08/16)
(08/16)
(08/16)
(08/18)
アクセス解析