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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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最近、『saw3』という映画のCMを頻繁に見かける。何となく、途轍もなく恐ろしそうな映画であるという印象だった。

で、その映画の最初のシリーズが、先頃ド夜中に放送されていたので眠い目を擦りながら見てみた。

感想を一言で言えば、「面白い」の一言。夜中だが目が冴えて、正座してみてしまった。久々に映画を見て、充実感なるものが得られた気がする。ストーリーがホントよく練られてて、だからといってテンポも悪くないし…でも、人の命や人生を究極的に弄んでいるグロ系映画だったと思うので、人は選ぶかも知れない。でもただのグロ系ではない。

これで二度目だが卓抜したストーリーの組み立て・構成力、飽きさせない演出、俳優らの演技力、所々に散りばめられた布石・トリック・罠。一つ一つの行動に意味があって、それが後々に良い意味でも悪い意味でも繋がってくる。物凄く頭が良い人間が制作した映画だと思う。知的興奮を覚えずにはいられない。それぐらい完璧だが、恐ろしい計画。それを見事に映画にしてしまったという感じで、羨望や嫉妬心すら覚える。グロという点さえ除けば、誰に対しても推奨できる映画。

+ + + + +


物語、出口がない真っ暗な部屋に閉じこめられ、足が鎖で繋がれた二人の男から始まる。一人は医者。もう一人はカメラマンと思しき人物。自分がそこから脱出するには、相手の男を殺さなければ脱出できない。二人はお互いが誰であるかと言うことを知らない。そして自分で頭を銃で撃ち抜いた死体が一つ。混乱する一方の二人。

既に、二人はこの段階で快楽犯(ジグソウ?)によって二重三重にも張り巡らされた罠に足を踏み入れてしまっていた。そこから逃れようと藻掻けば藻掻くほど、死の茨が絡みついてくる。徐々に絶命の淵に沈んでいく二人。見ているこちらは、思考に不快なそれが絡みついて離れなくなっていく。

二人は動けないため逃げようにも逃げられない。何か手がかりがないかと二人は動ける範囲で探ると、自分の服のポケットにテープが入っていたことに気付く。しかし、それを聞くためのレコーダーがない。見渡すと、カセットレコーダーが死体を握っていることに気付くも、どんなに手を伸ばしても届かず、周りを見渡すと浴槽の栓止めが。それを引き抜いて、何とかカセットテープを入手。実はこの栓止めを引き抜いたことで、最後の最後でそれが自分が生き残るための逃げ道を閉ざしてしまうことになるのだが、それは秘密。

さっそく、二人は自分たち各々に入れられたテープを聴く。そうすると自分たちを閉じこめた犯人が、何故か自分たちについて詳細に知っている。その部屋から逃げ出すための条件(試練)が必要だというメッセージが流れる。しかし一人のテープを良く聞くと、最後の方で犯人が何かを微かに呟いていることに気付く。


という感じで話が進んでいくのだが、実は二人は見ず知らずでも何でもなく、ジグソウによって引き合わされていたり、など徐々にそういう謎が明らかになっていく。例えば、暫くしたら、偶然その部屋がビデオカメラでライブ中継されていることが分かる。

ちなみに、それが映画のタイトル『saw』にも繋がっていく。そうジグソウは、必ず部屋に閉じこめて、一定時間内に無理難題をクリアできなければ殺すだけではなく、そこから抜け出そうと必死に藻掻く人間を観察する異常な快楽殺人犯なのである。これ以外にも事件を犯しているのだけれど、例えば、壁中に暗号めいた数字やアルファベットが書かれている部屋に閉じこめられ、全身可燃性の液体を塗られた男が、蝋燭の火だけを頼りに、鍵が入った金庫を空けなければいけないという事件。それでは外から小さい穴が空けられ、そこから一部始終、最初から最後の全身火だるまで焼死するまで見ている。

つまり「後で気付いたら『見られていた(Seeの過去形)』という訳だ。まあでも、そのカメラで部屋を監視している人物は、真犯人ではないのだが…。こういう仕掛けが淀みなく、コンパクトに無駄なく、きっかり2時間という枠にまとめられている。徐々に自分(映画の中の俳優)が追い詰められていく恐怖の感覚が如実に実感・伝わってくる。また、それが映画の小気味いいテンポを生んでいる。


正直、自分がこんな状況に巻き込まれたら、と考えただけで身震いがしてくる。

この確実に迫りつつある死から、どうやって自分は逃れればいいのか、普通の状況ですら頭が回らないのだ。その状況に陥れられたら、絶対に頭が回るどころか、錯乱することは目に見えている。そして、自分はこの普通に生きている状況に安堵し、感謝すらする。そうこのジグソウが言いたいことは、まさにそれなのである。

「生きていることに感謝せよ」

このジグソウから、命からがら逃げおおせた女の麻薬常習者も「彼に感謝している。生きる意味や価値を教えてくれた」と述べている。その女は目を覚ますと、自分の顔(顎)に爆破装置が取り付けられていた。隣のTV画面からジグソウが現れ、人形で爆破すればどうなるかを見せつける。そして、それを外すには同じ部屋に閉じこめたが、既に死んでしまった死体の腸(はらわた)から、鍵を見つけ出す必要があると告げられる。女は大急ぎでその死体に駆けより、隣に用意されていたハサミでザクザクとやり始める。

ここでさらにエゲつないのが、実はそれは死体でも何でもなく、ただ下半身が麻酔で動けなくされていただけの同じようにジグソウに閉じこめられた男だったわけです。それがむくっと顔を上げて、こちらを見る…それでも腸をハサミでグチュグチュと割かなければならない。それで、初めて「命の大事さ」「生きている実感」を実感するという極めて逆説的な出来事。つまりジグソウは破壊者であり、創造者でもあるのだ。

自分はそこまで死の淵に追いやられなければ、それを感じられない今の現代社会を痛切に批判している映画なのかも知れないと思った。また、俳優の演技一つ一つに嘘がないことが、よりリアルな仮想的錯覚・感覚を与えてくれた。


そして、最後の最後の大どんでん返し。監視カメラで部屋の中を監視していたのは、ジグソウではなかった。しかし、ジグソウはその部屋を必ず「見ていた」。では、自ずとその答えは(ry。自分は何となくその最後のオチは見えていたけど、それでも見終えたときにはゾクゾクというワクワクというか、何とも言えない複雑な気持ちにさせられた。最初から最後まで、とにかく不条理だった。まるで人の命を弄んでいる。だからこそ、あれだけ人を確実に死に追いやる準備を、用意周到に何の失敗もなく理性的に準備できるのかも知れない。ジグソウにとって人の命とは、大学や研究所で研究者によって実験台にされるモルモットとさして変わらないのかも知れない。

しかし、だからこそサディストにはたまらない映画。人を究極的に痛めつけると言うことは、こういうことを指す悪い(良い?)お手本であろう。

この日は途轍もない悪夢を見そうだなと思ったけど、生憎というか、幸運にもというか、何の悪夢も見ずに済んだ。しかし、これは『saw3』もかなり期待できる映画かも知れない(´ρ`)ジュルリ


こういう人が死に追いやられるリアルな鬼気迫る感じを、映画『DeathNote』でも表現してほしかった。でも、それは土台不可能な願望なのかも知れない。

例えば、日本人の俳優は演技を恒常的に学んでいない。藤原竜也は昔、『毒虫』だか『毒蝮』だか蜷川幸夫の舞台に抜擢されて、日本人若手俳優の中でも有望株とか言われていたことがある。確かに、TVに出ているその藤原を見ていて、自分もそれを感じた。しかし、舞台特有の大きな感情を表すことには秀でていたというだけで、映画などを見る限りは、細かい部分の所を表現する演技は極めて平々凡々という印象を受けた。つまり、演技は大して巧くなかった。

基本的に、日本人俳優は見たままのドラマや映画を、そのまま自分で勝手に消化して、それをぶっつけ本番でぶちまける。だから、素人集団的な要素が極めて強い。そういう訓練や勉強もしないまま、一定レベルの映画が出来ていることを鑑みれば、ある意味、日本人は映画制作の才能があると好意的に解釈できなくはないかも知れないが…。

何より脚本家にしろ監督にしろ頭が悪い。頭が悪いと言ってしまったら、「蔑み」が随分含まれてしまうので言い換える。基本的に、日本人の多くには映画を作るに当たっての才能や才覚がない。それを補うだけの努力もしないのだ。そもそも何のために映画を制作するのか、そういう信念を感じられない。

映画を制作するために映画を制作している人間が多すぎる。最終的に、監督なり脚本家が何を伝えたいのかが分からないのだ。ただ色んな物をゴチャゴチャ詰め込みすぎているだけで、2時間で全てをまとめ切れていない。ただ、それが乱雑に無作為に並べられているだけなのだ。根本的に、映画を見ている人間に伝えたい明確な意図や意思がないのですらないのかと疑われても仕方がない。何が一番大事かという優先順位を決め切れていない。

特に小説や漫画を映画化したものでは、その面白みなどを理解できていない段階で、映画制作に踏み切っている漢字がどの映画を見ても抜けきれない。全部を伝えきれるはずがないのだから、どれか映画の柱となるようなテーマ成りを見つけ出して、それを軸に映画を制作するべきだろう。少なくとも、それを基準にして制作していたのだとしても、それを伝えきれるだけの表現力がない。


『DeathNote』がその典型。死神とか非現実的な存在がいたけど、ライトやLの心の内面や葛藤、駆け引きを描くことで、
全体として物凄くリアルな漫画として仕上がっていた。その人間的な緻密なリアルさが、多くの読者を惹きつけていたのだと思う。

でも、それが映画の中では見つからなかった。それを凌駕するだけのものも発見できなかった。ただ松山ケンイチのお菓子やアイスを大量に食うとか、表層的な部分を似せようとしていただけ。そんなものはどうでもいい部分であり、スタッフ全体が何が最も重要であったかを理解していなかった。その上、映画の撮り方があんまり上手くない。一言で言えば、餓鬼っぽい。俳優なりスタッフなり監督は、もっと映画を勉強した方がいい。まあ『saw』と比較すれば、漫画版の方も何だか霞むのだけれども…。

よく日本人は日本で素晴らしい映画を撮影できないことに、制作費(お金)を持ち出してくる。でも、それは明らかに言い訳。この『saw』にしても有名ではない俳優を使ってるし、ほとんどずっと同じ閉じこめられている部屋で撮影が行われている。たまに回想部分で病院や普通のアパートの部屋に舞台が移るけど、それは日本の映画でも十分行える範囲。金が無くても、俳優の演技力やカメラの撮り方の工夫や脚本によって、面白い映画はいくらでも制作できる。

それができないと何の恥ずかしげもなく嘆くことが出来るということは、日本人(自分)に映画制作のセンスがないと自ら認めているに等しい。制作費を注ぎ込んだ方が、一般受けする映画を制作することが出来るかも知れない。そして観客動員数を稼げるかも知れない。

だが、「観客動員数の多い映画=面白い映画」ではない。同日放送された『東京タワー』を見たけど、高校生の学芸会を見せられている気分だった。日本の映画やドラマは、面白い面白くない以前のレベル。そもそも日頃から何の訓練もされていない人間が多額の制作費を得たところで、途端に何か面白い映画が制作できるとは到底思えない。

ただただ映画を制作さえしていれば、いつの間にか、観客に「見られていた」なんてことは到底有り得ないのである。
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