忍者ブログ
『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

11月16日、教育基本法改正案が衆議院本会議で可決されてしまった。

教育の理想を掲げている、謂わば憲法のような法律を改正するのだから、衆目が触れる形で、オープンに議論しなければいけない。教育は政治家(自民党)のものではなく、国民・市民のものである。自民党が勝手にこういう風にやるから、国民は黙って後に付いてこいなんて、まさしくマッカーサー筆頭にアメリカが勝手に作った憲法を押しつけられた云々という理屈と同じ。いつから自民党は日本を代表する、占領している王様になったのだと言いたい。自民党が勝手に独自で作り上げた法案を、さも国民の総意で作り上げた法案などと宣うことは、おこがましいにも程がある。

憲法改正の動機として、自民党は「アメリカから勝手に押しつけられた憲法など、日本の憲法とは言えない。日本人の手で一から作り直してなんぼだ」みたいなことを宣っている。15日の強行採決を見ていると、「日本人(代表)=自民党議員」と言っているようにしか聞こえない。つまり、自分たち改正する法案は全て、「日本人(代表)=自民党議員」が改正する法案なのだから全て正しいと言っているようなものだ。まるでジャイアンである。


野党に対して、「ちゃんと議論に応じれば、自民党原案に修正を加えることも出来たはずだ」という批判がある。確かに、そういう誹りがあって然るべきだ。ただ自民党や創価学会の総意としては、まず教育基本法改正がありきだったから期限を区切っていた。野党が議論に応じていた所で、どういう法案になろうとも、採決・可決していたことは間違いない。教育に関する議論で、そんなことがあっていいはずがない。

野党が欠席をして、何を伝えたいかと言えば、「限られた期限内で採決する」という自民党の前提が間違っているという事。議論が深まっていっても、自民党から強制的に、議論が遮断恐れが多分にある。こういう前提がある中で、野党が議論が深めていけるはずもない。時間制限は、1時間2万円の風俗だけで十分である。

相手の自民党が最初から区切りを決めて…という意思で望んでいる以上、その議論がまともに深まるはずもない。ましてやイジメや未履修、ヤラセTM問題など、今すぐ対処しなければいけない現実的な教育問題が山積していた。限られた期限で、あれもこれもと手を付けて欲張りに議論をしていけば、一つ一つの議論が深められるはずがない。それは問題解決を諮ることが出来ないことも意味している。また安部晋三は会期の延長をする意思がないと来たものだ。本当に教育のことを考え、その憲法を変えようとしている大層な目標を掲げている人間とは思えない。

つまり、その自民党の理屈を前提でもしない限り、実はその野党に対する批判は批判でないのだ。単なるいちゃもんに過ぎない…とまで言ったら言い過ぎか。自民党が自分たちの原案を通したいが為に、パフォーマンスとして形だけ議論しているに過ぎない。それに野党が利用されているだけ…ともちょっと言い過ぎか。

談合容疑で逮捕された和歌山県知事と仲良くゴルフをされていた中川秀直先生がおっしゃっていたように、議論がこじれて、自民党案と懸け離れてしまいつつあれば、「少数政党の横暴だ」と言って、強制的に議論を終了し、今回のように強制的に採決される恐れだってある。時間に制限を設けて、始める議論とは、結局そういうことである。

+ + + + +


野党が稚拙な抗議行動に出てしまったことは批判されるべきかも知れないが、少なくとも、そういう行動に出させてしまった側面は、自民党と創価学会側にあることは明白。敷かれたレールにただ安穏と乗って始める議論など、議論であって議論ではない。自民党が横暴になってしまうのも偏に、期限を限定して、結論ありきで議論を進めようとしているからだ。自民党にこそ、その誹りは免れない。

いつまで議論すれば結論が出るかなんて、誰にも分からない。ましてや、それがオープンな形で行われていないのだから、なおさら検証のしようもない。これがいい、あれがいいと、独善的に自民党議員が決めていいものではない。「ゆとり教育」が好例だ。何のオープンな議論もなく、左派的な人間によって独善的に進められた結果、未履修問題もその弊害として起きた。全てが複雑に絡まっている。

性急に改正を急いだところで、またそれのように変更を余儀なくされる事態にも陥る可能性は当然低くない。ましてや、教育の憲法なのだ。そう易々とコロコロ変えられては、国民、特に自分の子供を学校に通わせている保護者は堪ったものではない。あの政権の時の改正案は駄目だったから、今の政権ではこういう風に変えよう。こんな馬鹿げたことが、まかり通っていいはずがない。結局、安部晋三の名誉欲や功名心を満たしたいだけなのだ。そう思われても仕方がない。

「慎重な議論」とは、「停滞した議論」のことではない。期限を決めずに、大まかな結論が出るまでじっくり焦らず議論しましょうということだ。議論を深めていき、相応の大まかな流れや、結論が出た。その結果、何十時間、何百時間という時間が掛かった、と言い誇るのが普通であり、今何百時間という議論をしてるから、そろそろ終わりにしよう、などただ逃げているだけに過ぎない。その自民党が逃げた結果、生まれた教育基本法など、極めて脆弱であり、軽薄なものでしかない。これに縛りを受けた教育など、やはり脆弱であり、軽薄なものでしかない。その軽薄な教育に、いじめ問題で苦しむ生徒を救えるはずもない。

時間が重要ではなく、あくまで議論の中身や議論のされ方が重要なのだ。TV画面の前で座っていても、全く教育基本法改正の中身が伝わってこない。性急すぎる改正など、自民党を支持しているような保守層も望んでいないだろう。NHKの世論調査を見ても、それは明らかだ。


前にも言ったが、限られた期間内のクローズドな議論で諸問題が解決するなら、是非それと同じ方法論で、イジメや未履修問題も解決してくださいと言いたい。100時間も議論さえすれば、自殺者は増えたりしないんですよね、町村さん。

でも、そんなことは土台不可能だ。10時間掛けようが、100時間掛けようが、200時間掛けようが、何にも結論が出ないことだってある。社保庁改革など、現実問題として一向に進んでいない。町村の言葉を借りるなら、とっくに解決されていなければ、少なくとも国会で可決されていなければおかしいはずである。「教育」という大層な分野に手を付けている割には、実に軽薄と言わざるを得ない。

例えば、教育基本法を改正することで、数々の諸問題が少しでも好転するなら、野党の拙劣な行動には相応の批判や非難があって然るべきである。ただそんなことは有り得ない。現実的な問題を解決するには、やはり具体的なプロセスを考えること必要である。理想は所詮、気休め。現実は何も変化しない。ましてや理想を掲げているのなら、その具体的なプロセスの対応の仕方に現れてくるはずである。

しかし、安部政権では一向にそれが見えてこない。未履修問題では、不足している必修科目を一時的に減らしてやっただけである。小手先、付け焼き刃の対処に過ぎず、一向に未履修問題が起きた背景にはメスが入っていない。結局、具体的にどう教育を変えていきたいか分からない人間に、教育の根幹にメスを入れさせようとしている。これほど怖いことはない。患者がどういう病状か理解していない新米の医者に、脳腫瘍といった難しい外科手術をお願いするようなものである。だから、なおさら信用が出来ない。

共産主義だろうと、社会主義だろうと、軍国主義だろうと、民主主義だろうと、何々主義の国だろうと、男社会であろうと、女社会であろうと、犬の社会でも、どんな社会だろうとイジメは起きる。大枠を変えたところで意味がない。現実として、眼前に諸問題が立ちはだかっているにも関わらず、それを解決するのは難しいから、とりあえず差し障りのない大枠だけ変えて、何とか自分たち自民党は行動してますよと、アピールしたがっているようにしか見えない。

『理想』の前に蔑ろにされなければいけない『現実』とは何なのか教えて欲しい。

政権与党である自民党様の皆々様方には、国民に支持されたいが為に教育基本法改正を実行するのではなく、最低限、国民に支持されるような教育基本法改正を実行して欲しいものである。ただし、その他の諸問題も同時並行的に、そして、最優先に議論を深めていかなければいけない。教育基本法改正が議論を深めるために、決してそれらが疎かになってはならない。


ただ教育基本法改正が現実のものとなれば、教育現場に国家の関与が非常に強まる。その弊害として徐々に問題が顕在化してきている。今回、自民党は独善的かつ強行に、改正案採決を決行したが、それを同じように、教育現場に対しても独善的かつ強行に介入する懸念は誰しも持つことだろう。

埼玉県の教育庁が、式に参列している保護者や来賓が、起立しているかチェックしようとした事件があった。神道系の学校ならまだしも、普通の学校であんなことを実行されたら、誰も学校に子供を預けたくはなくなる。教師だけではなく、自分の息子・娘ばかりか、自分も監視の対象になるのである。式を円滑に行うために、保護者が入れる範囲を限定するとかならまだしも、保護者の行動が逐一教師にチェックされるなんて、異様の一言。

自分たちがチェックされると言うことは、自分の子供に何らかの評価の対象にされるということで、自分の子供のことを考えれば、当然自分たち保護者は、国旗国歌の前に平伏せなければいけない。いずれは親がパチンコをやっていないか、親の犯罪歴はないか、朝飯をちゃんと食わせているか、またどんな朝食を食べさせているか、親だけではなく親戚は大丈夫か、といった展開に発展しないとは誰も否定が出来ない。国民が統制されることに繋がる可能性は大いにある。それを想像しただけで薄ら寒い気がしてくる。戦時においての国民保護法ですら怪しいものなのに、平時において国民を統制しようと目論むなど論外極まれる。

産経新聞は、国旗・国歌に反対している日教組に歯止めが掛けられると喜んでいるが、この事件は権力の濫用であり、誰が見ても「国旗・国歌の強制」であると受け止めざるを得ないだろう。このやり過ぎの教育に、誰が歯止めを掛けてくれるのか、是非誰か教えていただきたいものだ。

教育基本法が改正されれば、これが全国の小中学校で行われる恐れが非常に高い。それも誰にも責め立てられることなく、公然と、である。

政府や国のために『役に立つ人間』の育成ではなく、自民党は政府や国の『都合の良い人間』の育成を目論んでいると思われても仕方がない。こんな教育基本法を誰が支持するのだと疑問を持たざるを得ない。


野党には何が何でも頑張って欲しいと、思わずエールを送りたくもなる。
PR
[280] [279] [278] [277] [276] [275] [274] [273] [272] [271] [270]
カレンダー
11 2024/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
ブログ内検索
バーコード
アクセス解析
忍者ブログ | [PR]