『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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今月11日、金融庁が出した「最大9年以上、グレーゾーン金利を『特例金利』という形で存続させる」という飛んでもない貸金業法改正案を審議していた自民党の法務部会が、また結論を先送りにしてしまった。昨日13日も協議したが、明日15日に結論を出せるかどうか、その気配はグレーそのものである。
11日付の朝日の報道によると、「金融庁が特例金利を長引かせる必要性を明確に説明できていない」ことが、自民党内で議論が収束しない一因だという。しかし、この理由のどこが議論も長引く要因となりうるのか、見当が付かない。「明確に説明できない」ということは、『グレーゾーン金利を存続させる合理的理由がない』という明確な証拠ではないのか。何を躊躇する理由がある。自民党は、さっさとグレーゾーン金利を廃止してしまえ。
貸金業協会幹部などは、久間章生に対して「金利を下げると貸せなくなる利用者が増える」と直訴しに来ていたらしい。巫山戯た話だ。何故、金を貸す側が借りる側の心配をしてるのか。貴様らはTV局を利用して、「計画的にご利用ください!」「STOP!借りすぎ」と「借りないでくれ」と世間にアピールし、さも「債務者側が苦しんでいるのは自業自得ですよ」と主張している癖に、何だその詭弁は!せめて、ハッキリ「弱い債務者から、利息を貪れないから何とかしてください」と懇願しやがれ。偽善者面するなんて、消費者金融業界はどこまで下衆なんだ。これでもし来月の衆院補選、来夏の参院選の選挙資金を拠出してやるなどと、久間に圧力を掛けていたとしたらますます救いようがない。
13日の幹部会では「経過期間が短いと、業者が客から強引に資金回収をする恐れがある」という意見が根強かったらしい。これも馬鹿げている。経過期間が短かろうと、長かろうと、経過期間が終わりに近づけば、強引に資金を回収するに決まっているのだ。自民党は何とか「グレーゾーン金利を少しでも長く存続させよう」と必死な様子。誰がための政党なのだ。これでは自民党は『庶民の敵』ではないか。中川秀直は「じっくり議論すればいい」と先延ばしに容認しているかのような発言をしている。許せない。早々に結論を出すべき問題なのだ。いくら紀子の息子の名前が「悠仁」だったからといって、悠長に構えていては駄目なのだ。
やっと、民主党も貸金業規制に関する検討チームを再開させるなど、政治家がやることは何かもが遅すぎる。
先月24日の話だが、消費者金融に借金があった自衛官が、わいせつDVD(「わいせつ」って何だって話だが)所持の容疑で逮捕された。何でも1日1万円で、そのDVDを運ぶアルバイトをしていたらしい。別にこの自衛隊員はわいせつDVDが大好きだから、そのアルバイトをしていたわけでもなく、ただ消費者金融の借金を返すために犯罪に手を染めていた。消費者金融が、こういう『犯罪を誘発している』事実がある。グレーゾーン金利を存続させると言うことは、つまりそういうことだ。
消費者金融業界は『犯罪を生産している業界』であり、その業界に規制を掛けられない自民党は「犯罪を幇助している政党」であると断罪する。これで自民党が「美しい、日本」を築けるとは片腹痛い。
11日付の朝日の報道によると、「金融庁が特例金利を長引かせる必要性を明確に説明できていない」ことが、自民党内で議論が収束しない一因だという。しかし、この理由のどこが議論も長引く要因となりうるのか、見当が付かない。「明確に説明できない」ということは、『グレーゾーン金利を存続させる合理的理由がない』という明確な証拠ではないのか。何を躊躇する理由がある。自民党は、さっさとグレーゾーン金利を廃止してしまえ。
貸金業協会幹部などは、久間章生に対して「金利を下げると貸せなくなる利用者が増える」と直訴しに来ていたらしい。巫山戯た話だ。何故、金を貸す側が借りる側の心配をしてるのか。貴様らはTV局を利用して、「計画的にご利用ください!」「STOP!借りすぎ」と「借りないでくれ」と世間にアピールし、さも「債務者側が苦しんでいるのは自業自得ですよ」と主張している癖に、何だその詭弁は!せめて、ハッキリ「弱い債務者から、利息を貪れないから何とかしてください」と懇願しやがれ。偽善者面するなんて、消費者金融業界はどこまで下衆なんだ。これでもし来月の衆院補選、来夏の参院選の選挙資金を拠出してやるなどと、久間に圧力を掛けていたとしたらますます救いようがない。
13日の幹部会では「経過期間が短いと、業者が客から強引に資金回収をする恐れがある」という意見が根強かったらしい。これも馬鹿げている。経過期間が短かろうと、長かろうと、経過期間が終わりに近づけば、強引に資金を回収するに決まっているのだ。自民党は何とか「グレーゾーン金利を少しでも長く存続させよう」と必死な様子。誰がための政党なのだ。これでは自民党は『庶民の敵』ではないか。中川秀直は「じっくり議論すればいい」と先延ばしに容認しているかのような発言をしている。許せない。早々に結論を出すべき問題なのだ。いくら紀子の息子の名前が「悠仁」だったからといって、悠長に構えていては駄目なのだ。
やっと、民主党も貸金業規制に関する検討チームを再開させるなど、政治家がやることは何かもが遅すぎる。
先月24日の話だが、消費者金融に借金があった自衛官が、わいせつDVD(「わいせつ」って何だって話だが)所持の容疑で逮捕された。何でも1日1万円で、そのDVDを運ぶアルバイトをしていたらしい。別にこの自衛隊員はわいせつDVDが大好きだから、そのアルバイトをしていたわけでもなく、ただ消費者金融の借金を返すために犯罪に手を染めていた。消費者金融が、こういう『犯罪を誘発している』事実がある。グレーゾーン金利を存続させると言うことは、つまりそういうことだ。
消費者金融業界は『犯罪を生産している業界』であり、その業界に規制を掛けられない自民党は「犯罪を幇助している政党」であると断罪する。これで自民党が「美しい、日本」を築けるとは片腹痛い。
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また産経新聞では「貸金業規制徹底強化」に関することが一切報道されていない。ビックリした。ここ数日、新聞に穴が空くぐらい見たが全く見あたらなかった。というか、ずっといつになったら掲載するのかと心待ちしていたのに、見事にその淡い期待は裏切られた。
しかも、火曜日の朝刊では『弱者・低所得者』のことを『現状不満層』とデカデカと言い換えている。『金銭的に困窮している国民』をさも『精神的に満足していない“だけ”の国民』と矮小化した。『捏造』と言って等しい。どこまで政府にすり寄れば済むんだと、社長もろとも社員全員に対して一喝してやりたくなる。そして、ここまで事実を曲解して報道している新聞はそうはない。
産経は朝日新聞のことをよく非難しているが、少なくともこの新聞にその資格はない。何を勘違いしてるか分からないが、そろそろ少し身の程を知った方がいい頃だと思われる。政府がバックに付けば心持ち大きくなっているのかも知れないが、それは単なる虎の威を借る狐に過ぎない。
そして「産経新聞」という名前を、「大本営新聞」と名前を変えた方が、国民に対するせめてもの償いになるのではなかろうかと、“親切心で忠告”してあげる。ここまで腐りきった新聞は他にそうはない。
産経新聞も『庶民の敵』だ!
しかも、火曜日の朝刊では『弱者・低所得者』のことを『現状不満層』とデカデカと言い換えている。『金銭的に困窮している国民』をさも『精神的に満足していない“だけ”の国民』と矮小化した。『捏造』と言って等しい。どこまで政府にすり寄れば済むんだと、社長もろとも社員全員に対して一喝してやりたくなる。そして、ここまで事実を曲解して報道している新聞はそうはない。
産経は朝日新聞のことをよく非難しているが、少なくともこの新聞にその資格はない。何を勘違いしてるか分からないが、そろそろ少し身の程を知った方がいい頃だと思われる。政府がバックに付けば心持ち大きくなっているのかも知れないが、それは単なる虎の威を借る狐に過ぎない。
そして「産経新聞」という名前を、「大本営新聞」と名前を変えた方が、国民に対するせめてもの償いになるのではなかろうかと、“親切心で忠告”してあげる。ここまで腐りきった新聞は他にそうはない。
産経新聞も『庶民の敵』だ!
北柴犬には見事に騙された。年齢は60歳らしい。なんと還暦の初老だったのだ。しかも、元警視正などではなく、単なる巡査長。しかも、交通課という殺人事件など重要案件を扱う課を全く経験してなかったと言われる。両津勘吉と階級的には変わらない。実は、柴犬はラサール石井だったのだ(ノ∀`)アチャー
前々から、柴犬のことは胡散臭い人間だなとは思っていた。しかし、それは修羅場をくぐり抜けてきた無頼派なエリートゆえが醸し出している雰囲気なのかなと勝手に思い込んでいた。それは単なる「普通の胡散臭さ」だった。よく何の仕事をしているか良く分からない親戚のおじさん程度の胡散臭さだった。これは逆の意味でも裏切られた感じがする。また警視総監賞も何度も受賞したわけではなく、単なる一度受賞しただけらしい。今までの輝かしいプロフィールは見事に張りぼてだったのだ。
もし仮に、これが全て真実だとしたら、自分も人を見る目がないなとつくづく思った。
しかし、ちょっとメディアに対してはキツくお灸を据えておきたい。
何故、メディアが「柴犬の嘘プロフィールを見抜けなかった」と言うことだ。柴犬は多種多様なメディアに出演をしていた。バラエティー番組から本格的なニュース番組まで。そもそも、この迷い犬はどこから拾ってきて、誰が拾ってきたのだと問い質したくなる。それをちゃんと明確にする義務はあると思う。勝手にメディアの中に迷い込んできて、いつの間にか、住み着いてたなんて洒落にもならない。いくらファンタジスタ、ぶっ飛んでる人間だと誰からも明らかであっても、元警視の肩書きを信じて、柴犬の言っていることを鵜呑みにしてる視聴者は多分、腐るほどいたと思う。出演者の経歴や過去、背景を何も調べず、ただ「他の番組で出演してるから大丈夫だろう」と安易に出演させ、滔滔と有りもしないことを喋らせる。これほど無責任なことはない。最近では、北朝鮮を不自然なまでに擁護していたNGOの朝鮮人顔の男がまさにそれだ。
この事件に伴い、昨今の『文化人ブーム』に当然の如く、疑問視せざるを得ない。文化人は既に本職が他にあり、その合間を縫って時折TV出演している人間のことを指す。しかしその本職を言われても、どういう仕事をしているのか全く不明であったり、本職を蔑ろ・圧迫されるぐらいTVに出演している人間が多い。
文化人の多くは、普段どういう生活を送っているか、その実態や素性が分からないのが現実である。文化人は正体不明の人間だからこそ、其奴がどういう人間性の持ち主なのか、どういう経歴を持っているのか、厳格に調査する必要がある。少なくとも、メディア側は知っている必要が絶対にある。
その最も最たるが『評論家』である。『評論家』を名乗るのに、何の資格はいらない。つまり、誰でも名乗れるのが『評論家』。自分が評論家であると声高らかに吠えるだけで、誰が何と言おうと『評論家』と認めざるを得ないのだ。ジャーナリストも同じである。
『評論家』を広辞苑で引くと、「自分で実行しないで人のことをあれこれ言う人」とある。TVに出演していない間、彼らは一体何をしているのだろう。「人のことをあれこれ言う」のが仕事とは何だろう。一人でブツブツ独り言を言ってるということだろうか。2ちゃんであれこれブー垂れたレスしてるということだろうか。それでは最早、NEETや仕事をさぼっている公務員と何ら変わらない。それがTVで偉そうに自説をひけらかしている。
もちろん肩書きや過去が全てではない。学歴差別に対しては強く反対する。しかも、最近では超高学歴であっても仕事が人並みか、それ以下しかできない輩は腐るほどいる。しかし、素性の全く分からない人間がTVで滔滔(とうとう)と、自分の考えがさも世間で認められた正論であるかのように振る舞い、そして、視聴者はそれがさも正しい意見・情報であるかのように受けとってしまっている。これほど目に余る光景はない。
何の資格も必要のない、誰でもやれる職業だからこそ、メディアが厳しい目で監視する必要があるのだ。しかし、いざ胡散臭い文化人であることが暴露されてしまうと、その人間に全てをなすりつけ、メディア側は一切責任を取らない。さも自分たちも被害者であるかのように振る舞う。メディア側から垂れ流される情報の何を信用していいか分からなっているのが、悲しいかなこれが現実である。
今日奇しくも、「経済評論家」という肩書きで名を馳せていたミラーマンこと植草手鏡が痴漢の現行犯で、再度逮捕された。2ちゃんねるやネットでは、ミラーマンからテマンへレベルアップしたと揶揄されていたのには、言い得て妙だと思わず納得してしまった。
TVで調子ぶっこいてる文化人・評論家ほど疑わしい存在はいない。
それが改めて、今日立証されてしまった。
前々から、柴犬のことは胡散臭い人間だなとは思っていた。しかし、それは修羅場をくぐり抜けてきた無頼派なエリートゆえが醸し出している雰囲気なのかなと勝手に思い込んでいた。それは単なる「普通の胡散臭さ」だった。よく何の仕事をしているか良く分からない親戚のおじさん程度の胡散臭さだった。これは逆の意味でも裏切られた感じがする。また警視総監賞も何度も受賞したわけではなく、単なる一度受賞しただけらしい。今までの輝かしいプロフィールは見事に張りぼてだったのだ。
もし仮に、これが全て真実だとしたら、自分も人を見る目がないなとつくづく思った。
しかし、ちょっとメディアに対してはキツくお灸を据えておきたい。
何故、メディアが「柴犬の嘘プロフィールを見抜けなかった」と言うことだ。柴犬は多種多様なメディアに出演をしていた。バラエティー番組から本格的なニュース番組まで。そもそも、この迷い犬はどこから拾ってきて、誰が拾ってきたのだと問い質したくなる。それをちゃんと明確にする義務はあると思う。勝手にメディアの中に迷い込んできて、いつの間にか、住み着いてたなんて洒落にもならない。いくらファンタジスタ、ぶっ飛んでる人間だと誰からも明らかであっても、元警視の肩書きを信じて、柴犬の言っていることを鵜呑みにしてる視聴者は多分、腐るほどいたと思う。出演者の経歴や過去、背景を何も調べず、ただ「他の番組で出演してるから大丈夫だろう」と安易に出演させ、滔滔と有りもしないことを喋らせる。これほど無責任なことはない。最近では、北朝鮮を不自然なまでに擁護していたNGOの朝鮮人顔の男がまさにそれだ。
この事件に伴い、昨今の『文化人ブーム』に当然の如く、疑問視せざるを得ない。文化人は既に本職が他にあり、その合間を縫って時折TV出演している人間のことを指す。しかしその本職を言われても、どういう仕事をしているのか全く不明であったり、本職を蔑ろ・圧迫されるぐらいTVに出演している人間が多い。
文化人の多くは、普段どういう生活を送っているか、その実態や素性が分からないのが現実である。文化人は正体不明の人間だからこそ、其奴がどういう人間性の持ち主なのか、どういう経歴を持っているのか、厳格に調査する必要がある。少なくとも、メディア側は知っている必要が絶対にある。
その最も最たるが『評論家』である。『評論家』を名乗るのに、何の資格はいらない。つまり、誰でも名乗れるのが『評論家』。自分が評論家であると声高らかに吠えるだけで、誰が何と言おうと『評論家』と認めざるを得ないのだ。ジャーナリストも同じである。
『評論家』を広辞苑で引くと、「自分で実行しないで人のことをあれこれ言う人」とある。TVに出演していない間、彼らは一体何をしているのだろう。「人のことをあれこれ言う」のが仕事とは何だろう。一人でブツブツ独り言を言ってるということだろうか。2ちゃんであれこれブー垂れたレスしてるということだろうか。それでは最早、NEETや仕事をさぼっている公務員と何ら変わらない。それがTVで偉そうに自説をひけらかしている。
もちろん肩書きや過去が全てではない。学歴差別に対しては強く反対する。しかも、最近では超高学歴であっても仕事が人並みか、それ以下しかできない輩は腐るほどいる。しかし、素性の全く分からない人間がTVで滔滔(とうとう)と、自分の考えがさも世間で認められた正論であるかのように振る舞い、そして、視聴者はそれがさも正しい意見・情報であるかのように受けとってしまっている。これほど目に余る光景はない。
何の資格も必要のない、誰でもやれる職業だからこそ、メディアが厳しい目で監視する必要があるのだ。しかし、いざ胡散臭い文化人であることが暴露されてしまうと、その人間に全てをなすりつけ、メディア側は一切責任を取らない。さも自分たちも被害者であるかのように振る舞う。メディア側から垂れ流される情報の何を信用していいか分からなっているのが、悲しいかなこれが現実である。
今日奇しくも、「経済評論家」という肩書きで名を馳せていたミラーマンこと植草手鏡が痴漢の現行犯で、再度逮捕された。2ちゃんねるやネットでは、ミラーマンからテマンへレベルアップしたと揶揄されていたのには、言い得て妙だと思わず納得してしまった。
TVで調子ぶっこいてる文化人・評論家ほど疑わしい存在はいない。
それが改めて、今日立証されてしまった。
今月9日、横浜F・マリノスVS川崎フロンターレの「神奈川ダービー」が日産スタジアムで行われた。その試合に、神奈川選出の国会議員、県会議員、横浜市議達10数人とその支持者1900人あまりが、専用席2000席を貸し切りにして応援に来ていた。ここだけ取り上げるとしたら、特に何の問題もない。ただのサッカー好きの議員達なんだろうなと、微笑ましい光景ですらある。6月に開かれたサッカーワールドカップで、日本を応援していた無邪気なハゲの谷垣を彷彿とする人もいたかも知れない。しかし、こいつらは飛んでもない輩だったから、さあ大変。
勝手に議員達はスタンド入り口付近に「自民党」ののぼりをて、受付を設けたり、「自民党」と書かれたTシャツ姿のスタッフが、「自民党」の名前付き応援うちわを配っていたりしたのだ。ある横浜市議は観客席で自分の名前を入れたのぼりを立てるなどスタンドプレーも見られた。まさに「自民党」「自民党」「自民党」尽くしの政治活動に励んでおられたのだ。盛り上がらない総裁選を応援するのも構わないが、場所をわきまえないのも甚だしい。この連中は全く何を応援しに来たのだ?
サッカーというスポーツを政治利用したのだ。卑怯千万である。これは街宣右翼も真っ青だ。いや、街宣右翼の方がまだましだ。せいぜいスタジアムの外で「アーアー」言ってるだけなのだから。
横浜市連は「支持者への感謝の集いとしてサッカー観戦を企画した。政党名などが目に付かないように配慮した」などと釈明しているらしいが、「自民党」と書かれたTシャツを支持者が着てて、どこが政党名が目に付かないように配慮してるんだよと、この記事やニュースを見た人は全員ツッコんだに違いない。
ただちょっと待ってくれ。「目に付かないように配慮した」と聞くだけでは、「少し程度なら政治的活動をしても大丈夫」のように聞こえる。しかし実際は駄目なのだ。ちょっとでもあろうと、堂々とやろうとも駄目なのだ。飲酒運転と同じである。ちょっとでも飲酒すれば、車を運転してはならないのだ。一つでも政党名が入ったTシャツを着ていれば駄目なのだ。少しでも政治的主張が入ったTシャツなども着ては駄目なのだ。主張しても駄目である。議員達にチケットを販売したF・マリノス側も、「政治的主張をしない」という約束で販売した。Jリーグの規定にハッキリそう書かれているからだ。
Jリーグ、いやサッカーはすごく国威発揚に利用されやすいスポーツだ。サッカーの試合に負けて、相手国と戦争になったケースもあるぐらい。だから、政治とは過敏にならざるを得ないぐらい切り離さなければならない。サッカーとはそういうスポーツなのだ。ましてや政治家がその場に足を運んで、自分の政党の名前を宣伝するなど論外だ。先述の谷垣だって、「自民党」の名こそ出していないが強く非難されても然るべきだと思う。
昔、F・マリノスに在籍していた安貞桓(アン・ジョンファン)が「竹島は韓国領土」とインタビューに答えたことが問題になった。しかし実際は、そんなことは言ってないとアンは否定している。この言った言わないだけでも問題になるのだ。竹島関連で言えば、韓国サポーターが国際試合で「独島は我が領土」という垂れ幕を、今までに何十回と下げている。こういった行為が、昨今の日本人の嫌韓感情(今や人種差別に近いほど)を盛り上げた。最近では、浦和レッズのサポーターや名前を利用して、「反戦運動・憲法9条平和云々」の活動をしていたプロ市民も、確か問題になったはず。
いくら自民党が選挙に勝つためには、どんな卑劣で汚い手を取ることで有名な政党とはいえ、今回は酷い。そこまでしなければ、総裁選が盛り上がらないんですか?そして、来夏の参院選が勝てないと思わせるぐらいに追い込まれてるんですか?と小一時間問い質したくなる。
勝手に議員達はスタンド入り口付近に「自民党」ののぼりをて、受付を設けたり、「自民党」と書かれたTシャツ姿のスタッフが、「自民党」の名前付き応援うちわを配っていたりしたのだ。ある横浜市議は観客席で自分の名前を入れたのぼりを立てるなどスタンドプレーも見られた。まさに「自民党」「自民党」「自民党」尽くしの政治活動に励んでおられたのだ。盛り上がらない総裁選を応援するのも構わないが、場所をわきまえないのも甚だしい。この連中は全く何を応援しに来たのだ?
サッカーというスポーツを政治利用したのだ。卑怯千万である。これは街宣右翼も真っ青だ。いや、街宣右翼の方がまだましだ。せいぜいスタジアムの外で「アーアー」言ってるだけなのだから。
横浜市連は「支持者への感謝の集いとしてサッカー観戦を企画した。政党名などが目に付かないように配慮した」などと釈明しているらしいが、「自民党」と書かれたTシャツを支持者が着てて、どこが政党名が目に付かないように配慮してるんだよと、この記事やニュースを見た人は全員ツッコんだに違いない。
ただちょっと待ってくれ。「目に付かないように配慮した」と聞くだけでは、「少し程度なら政治的活動をしても大丈夫」のように聞こえる。しかし実際は駄目なのだ。ちょっとでもあろうと、堂々とやろうとも駄目なのだ。飲酒運転と同じである。ちょっとでも飲酒すれば、車を運転してはならないのだ。一つでも政党名が入ったTシャツを着ていれば駄目なのだ。少しでも政治的主張が入ったTシャツなども着ては駄目なのだ。主張しても駄目である。議員達にチケットを販売したF・マリノス側も、「政治的主張をしない」という約束で販売した。Jリーグの規定にハッキリそう書かれているからだ。
Jリーグ、いやサッカーはすごく国威発揚に利用されやすいスポーツだ。サッカーの試合に負けて、相手国と戦争になったケースもあるぐらい。だから、政治とは過敏にならざるを得ないぐらい切り離さなければならない。サッカーとはそういうスポーツなのだ。ましてや政治家がその場に足を運んで、自分の政党の名前を宣伝するなど論外だ。先述の谷垣だって、「自民党」の名こそ出していないが強く非難されても然るべきだと思う。
昔、F・マリノスに在籍していた安貞桓(アン・ジョンファン)が「竹島は韓国領土」とインタビューに答えたことが問題になった。しかし実際は、そんなことは言ってないとアンは否定している。この言った言わないだけでも問題になるのだ。竹島関連で言えば、韓国サポーターが国際試合で「独島は我が領土」という垂れ幕を、今までに何十回と下げている。こういった行為が、昨今の日本人の嫌韓感情(今や人種差別に近いほど)を盛り上げた。最近では、浦和レッズのサポーターや名前を利用して、「反戦運動・憲法9条平和云々」の活動をしていたプロ市民も、確か問題になったはず。
いくら自民党が選挙に勝つためには、どんな卑劣で汚い手を取ることで有名な政党とはいえ、今回は酷い。そこまでしなければ、総裁選が盛り上がらないんですか?そして、来夏の参院選が勝てないと思わせるぐらいに追い込まれてるんですか?と小一時間問い質したくなる。
7年ぐらい前、1999年3月27日、神戸ユニバーシアード記念競技場で行われた試合が一番記憶に残っている。旧ユーゴスラヴィア出身のドラガン・ストイコビッチという有名な選手がアシストをし、ゴールを決めた。その直後、自らのユニフォームをまくしあげ、『NATO STOP STRIKES(NATO軍は攻撃を止めろ)』と書かれた中のTシャツを見せた。NATO軍がユーゴスラヴィアに対して空爆を開始したことに対して抗議の異を唱えたのだ。日本時間1999年3月25日、ちょうど試合の二日前にそれは開始された。
当時、ユーゴスラヴィア連邦を構成するセルビア共和国のコソボ自治州で紛争が起きていた。いわゆる、コソボ紛争である。コソボ自治州は人口の9割を構成するアルバニア人と、残り1割のセルビア人によって構成されていた。セルビア共和国大統領・ミロシェビッチはコソボの自治権を剥奪し、武力によるセルビア一国体制を築こうとした。セルビア治安部隊やユーゴスラヴィア連邦政府軍がアルバニア系住民を武力行使で締め出しを図る。自主独立を唱えていたアルバニア人はさらに不満を抱き、武装ゲリラ「コソボ解放軍」を結成するも、圧倒的な戦力を前に太刀打ちできなかった。
それを見かねたアメリカはNATO軍による空爆という凶器をちらつかせ、セルビア共和国のミロシェビッチに停戦を働きかける。ユーゴスラヴィア政府はそれに合意し、空爆の脅威から逃れたものの、セルビア治安部隊とアルバニア人の武装ゲリラのテロが止むことはなかった。
1999年2月、ユーゴスラヴィア・セルビア側の代表とアルバニア側の代表と、アメリカ・ヨーロッパ・ロシアの特使で、『ランブイエ和平交渉』が行われた。ユーゴ・セルビア側は譲歩し、空爆回避のために合意文書に調印する予定だった。しかしアメリカ側は、『Annex-B』という「ユーゴを半ば占領地化する」という旨の無茶苦茶な付属文書を提出し、敢えて交渉を決裂させた。そして、アメリカ側は平和維持・人道的介入という言葉を盾に、NATOを主導し、ミニ原子爆弾・劣化ウラン弾などで空爆した。湾岸戦争やイラク戦争で使われたアレである。
ストイコビッチはセルビア人だったのだ。当然、その歴史的な経緯は把握していた。しかし、ミロシェビッチを支持しているわけではなかった。ただ純粋に「真の平和」を求めていただけだった。それに抗議しただけだったのだ。それが政治的な主張に当たると言うことで、ストイコビッチは何試合か出場停止の処分を受けたのではなかったかと記憶する。
ユーゴは複雑な歴史や民族を持った国である。なかなか一言では語れない。たまたま今の日本代表もオシムもその地出身の人間である。ユーゴの代表監督だった当時の苦労は、よくTVで報道されているとおりである。オシムが監督になるときには、必ずその国の歴史を学ぶそうである。その理由が何か分かる気がする。改めて、ユーゴの歴史に対して興味が湧いてきた。
しかし、それに比べると、今回の自民党議員はさらにしょぼく映って仕方がない。
「殺し合いを止めてくれ」という平和を願う心の叫びと、「自分たちに票をくれ」という極めて浅はかで利己的な要求。
何だろう、この重みの違いは。「政治的主張」と一括りにしてしまっていいのだろうかと、思わず感じざるを得ない。
いくら自民の求心力がなくなっていってるからといって、別に自分や身内が死ぬわけではない。
『火垂るの墓』の節子だって、思わず口に出してしまうだろう。
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`ヽ、i (、i´ノ ´い,, ノ ' |;;;::::::::::::::/ なんで 自民のおじちゃんらは
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{ ヽゝ '-'~ノ
λ ''゙゙゙'''-''---、 /-'^
ヽ, ^~^ (
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当時、ユーゴスラヴィア連邦を構成するセルビア共和国のコソボ自治州で紛争が起きていた。いわゆる、コソボ紛争である。コソボ自治州は人口の9割を構成するアルバニア人と、残り1割のセルビア人によって構成されていた。セルビア共和国大統領・ミロシェビッチはコソボの自治権を剥奪し、武力によるセルビア一国体制を築こうとした。セルビア治安部隊やユーゴスラヴィア連邦政府軍がアルバニア系住民を武力行使で締め出しを図る。自主独立を唱えていたアルバニア人はさらに不満を抱き、武装ゲリラ「コソボ解放軍」を結成するも、圧倒的な戦力を前に太刀打ちできなかった。
それを見かねたアメリカはNATO軍による空爆という凶器をちらつかせ、セルビア共和国のミロシェビッチに停戦を働きかける。ユーゴスラヴィア政府はそれに合意し、空爆の脅威から逃れたものの、セルビア治安部隊とアルバニア人の武装ゲリラのテロが止むことはなかった。
1999年2月、ユーゴスラヴィア・セルビア側の代表とアルバニア側の代表と、アメリカ・ヨーロッパ・ロシアの特使で、『ランブイエ和平交渉』が行われた。ユーゴ・セルビア側は譲歩し、空爆回避のために合意文書に調印する予定だった。しかしアメリカ側は、『Annex-B』という「ユーゴを半ば占領地化する」という旨の無茶苦茶な付属文書を提出し、敢えて交渉を決裂させた。そして、アメリカ側は平和維持・人道的介入という言葉を盾に、NATOを主導し、ミニ原子爆弾・劣化ウラン弾などで空爆した。湾岸戦争やイラク戦争で使われたアレである。
ストイコビッチはセルビア人だったのだ。当然、その歴史的な経緯は把握していた。しかし、ミロシェビッチを支持しているわけではなかった。ただ純粋に「真の平和」を求めていただけだった。それに抗議しただけだったのだ。それが政治的な主張に当たると言うことで、ストイコビッチは何試合か出場停止の処分を受けたのではなかったかと記憶する。
ユーゴは複雑な歴史や民族を持った国である。なかなか一言では語れない。たまたま今の日本代表もオシムもその地出身の人間である。ユーゴの代表監督だった当時の苦労は、よくTVで報道されているとおりである。オシムが監督になるときには、必ずその国の歴史を学ぶそうである。その理由が何か分かる気がする。改めて、ユーゴの歴史に対して興味が湧いてきた。
しかし、それに比べると、今回の自民党議員はさらにしょぼく映って仕方がない。
「殺し合いを止めてくれ」という平和を願う心の叫びと、「自分たちに票をくれ」という極めて浅はかで利己的な要求。
何だろう、この重みの違いは。「政治的主張」と一括りにしてしまっていいのだろうかと、思わず感じざるを得ない。
いくら自民の求心力がなくなっていってるからといって、別に自分や身内が死ぬわけではない。
『火垂るの墓』の節子だって、思わず口に出してしまうだろう。
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`ヽ、i (、i´ノ ´い,, ノ ' |;;;::::::::::::::/ なんで 自民のおじちゃんらは
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三宅爺が今週の日曜のたかじんの番組で奇しくも側室制度復活が有り得ない理由を宣っていた。「裕仁(昭和天皇)が側室制度は今の時代に合わないから廃止するとおっしゃられた。今更、側室制度の復活は有り得ない」からだと。何日か前に、長々と側室制度復活が論外である理由を述べたが、究極的にはこの理由に達すると首肯する方は多いだろう。
しかし、この裕仁の政治的介入を容認しておきながら、何故靖国問題の政治介入は容認できないのだろう。何が根本的に違うのか。国民的関心事である。天皇の介入が許される政治的問題があり、天皇の介入が許されない政治的問題があるとでもいうのだろうか。もしあるんだとしたら、法律で決められているのだろうか。世間にそういう暗黙の了解のようなものがあるのだろうか。もしくは誰かの判断によって、決められるものなのだろうか。そうすれば、それは誰が判断するのだろう。
靖国問題で天皇の政治的介入が許されるべきでないとするならば、当然、皇室典範改正問題でも天皇・皇室の人間の政治的介入も許されるべきではない。
そもそも、この「天皇」という中途半端に、日本の政治に介入してくる物体は何なのだろう。ある問題ではヒョコッと顔を出すが、またある問題ではその顔をヒョコッと引っ込める。まるで食べかすにたかっている銀蠅ような目障りさである。こっちが必死に手で払いのけても、払いのけても、それでも食べかすに寄って来る執念は目を見張るものがある。しかし、この銀蠅は中々賢く、すばしっこい。蠅叩きで叩き殺すことも難しい。しかも、叩き殺そうとすれば、「止めろ」と制止してくる輩がいる。さっきまでは何も言わなかったのに。
この銀蠅にどんな品位とやらが宿っているのだろう。ある時は、品位があるかのように装い。またある時は、品位がないかのように装う。厚かましいにも程がある銀蠅だ。この銀蠅を飼い慣らす義務が日本人にあるのだろうかと甚だ疑問に思う。
しかし、この裕仁の政治的介入を容認しておきながら、何故靖国問題の政治介入は容認できないのだろう。何が根本的に違うのか。国民的関心事である。天皇の介入が許される政治的問題があり、天皇の介入が許されない政治的問題があるとでもいうのだろうか。もしあるんだとしたら、法律で決められているのだろうか。世間にそういう暗黙の了解のようなものがあるのだろうか。もしくは誰かの判断によって、決められるものなのだろうか。そうすれば、それは誰が判断するのだろう。
靖国問題で天皇の政治的介入が許されるべきでないとするならば、当然、皇室典範改正問題でも天皇・皇室の人間の政治的介入も許されるべきではない。
そもそも、この「天皇」という中途半端に、日本の政治に介入してくる物体は何なのだろう。ある問題ではヒョコッと顔を出すが、またある問題ではその顔をヒョコッと引っ込める。まるで食べかすにたかっている銀蠅ような目障りさである。こっちが必死に手で払いのけても、払いのけても、それでも食べかすに寄って来る執念は目を見張るものがある。しかし、この銀蠅は中々賢く、すばしっこい。蠅叩きで叩き殺すことも難しい。しかも、叩き殺そうとすれば、「止めろ」と制止してくる輩がいる。さっきまでは何も言わなかったのに。
この銀蠅にどんな品位とやらが宿っているのだろう。ある時は、品位があるかのように装い。またある時は、品位がないかのように装う。厚かましいにも程がある銀蠅だ。この銀蠅を飼い慣らす義務が日本人にあるのだろうかと甚だ疑問に思う。
安部は日本のあるべき未来の国家像として、「物質的な豊さより心の豊かさ」を掲げている。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を見て、ひどく感動し涙したそうなのだ。昭和33年の東京を舞台に描かれている。建設途中の東京タワーがあったり、初めて家に冷蔵庫が届き、それを初めて見た子供の純粋なリアクションなど。安部が主張する「家族のつながり」や「ちゃんと機能している地域社会」を重ねてみたらしい。安部の中では、豊かに成長した日本の社会が失った「美しさ」がそこにはあったらしい。そして、安部は「教育改革」と「家族・地域の再生」を唱えている。
しかし、日本はドンドン貧しくなっていっている。父親の稼ぎでは家族が生きていけないから母親は働きに出る。家族の絆を再生する機会は同時に減っていってるのだ。しかも、母子家庭が増え続けている。当然、母親は働きに出なければ、子供を養えない。ましてや養育費を元旦那から貰っていない家庭も多い。生活費の援助である生活保護を受けている家庭、義務教育費の援助である就学援助金を援助して貰っている家庭が急増しているのが好例だ。ましてや、親の介護などを強いられている家庭も腐るほど存在している。家庭ですらこの状態で、地域との再生をどうやって可能せしめるのか、是非伺ってみたいものだ。地域コミュニティを築きうるだけの時間もなければ、機会もないのだ。
極論だが、飢餓で苦しむアフリカの子供達にそんなことが言えるだろうか。物質の充足なしに心の充足は有り得ないのだ。当たり前の事実である。今、生きていくのが精一杯で、どうやって心の充足や豊かさを得られるのか。さすが世間知らず県ボンボン市出身のアフォボンである。
今の小泉改革の背景には、『負』の部分があると言われる。しかし、小泉改革はしっかりとした成果を残しているとも言われる。つまり『正』の部分がちゃんとあるというわけだ。
これは実は表裏一体なのだ。不当に安い賃金で弱者が働いてあげてるから、何とか経済が持ち直したように見えているだけだ。『正』の部分を支えてるのは、その『負』でもあるのだ。小泉改革は、単なる低所得者の生産と言い換えても良い。低所得者は延々と働き続けなければ生きていけない。ワーキングプアという言葉が世間で流行っているように、いくら働いても働いても生活の暮らしぶりは改善されない世代が増えている
この状態で「心を豊か」にする時間的余裕、金銭的余裕などあるはずがない。過酷な状況で、何とか幸せを感じろと言う無茶苦茶な要望、いや『政府による恐喝』に等しい。過酷な生活状況を強いておきながら、その生活に対して「満足心」や「幸せ」を感じろと言うのだから、消費者金融・闇金も真っ青である。「国民生活を楽にしてやろう」という気持ちは、安部の中に微塵も存在していない証拠だ。しかも、議員年金などでぬくぬくと楽な生活を送っている国会議員の優遇っぷりは一向に改善しないのだ。安部は何のために、誰のために政治家になっているんだと問いたい。
日本人が『心の美しさ』を失ったんだとしたら、
それは偏(ひとえ)に、『物質』を失ったからである。
『心の充足』を唱えたいなら、まずは『物質の充足』を唱えるべきである。
心のぽっかり空いた穴を埋めるのは、まずは『物質』が必要だ。
それ以外には不可能だ。
しかし、日本はドンドン貧しくなっていっている。父親の稼ぎでは家族が生きていけないから母親は働きに出る。家族の絆を再生する機会は同時に減っていってるのだ。しかも、母子家庭が増え続けている。当然、母親は働きに出なければ、子供を養えない。ましてや養育費を元旦那から貰っていない家庭も多い。生活費の援助である生活保護を受けている家庭、義務教育費の援助である就学援助金を援助して貰っている家庭が急増しているのが好例だ。ましてや、親の介護などを強いられている家庭も腐るほど存在している。家庭ですらこの状態で、地域との再生をどうやって可能せしめるのか、是非伺ってみたいものだ。地域コミュニティを築きうるだけの時間もなければ、機会もないのだ。
極論だが、飢餓で苦しむアフリカの子供達にそんなことが言えるだろうか。物質の充足なしに心の充足は有り得ないのだ。当たり前の事実である。今、生きていくのが精一杯で、どうやって心の充足や豊かさを得られるのか。さすが世間知らず県ボンボン市出身のアフォボンである。
今の小泉改革の背景には、『負』の部分があると言われる。しかし、小泉改革はしっかりとした成果を残しているとも言われる。つまり『正』の部分がちゃんとあるというわけだ。
これは実は表裏一体なのだ。不当に安い賃金で弱者が働いてあげてるから、何とか経済が持ち直したように見えているだけだ。『正』の部分を支えてるのは、その『負』でもあるのだ。小泉改革は、単なる低所得者の生産と言い換えても良い。低所得者は延々と働き続けなければ生きていけない。ワーキングプアという言葉が世間で流行っているように、いくら働いても働いても生活の暮らしぶりは改善されない世代が増えている
この状態で「心を豊か」にする時間的余裕、金銭的余裕などあるはずがない。過酷な状況で、何とか幸せを感じろと言う無茶苦茶な要望、いや『政府による恐喝』に等しい。過酷な生活状況を強いておきながら、その生活に対して「満足心」や「幸せ」を感じろと言うのだから、消費者金融・闇金も真っ青である。「国民生活を楽にしてやろう」という気持ちは、安部の中に微塵も存在していない証拠だ。しかも、議員年金などでぬくぬくと楽な生活を送っている国会議員の優遇っぷりは一向に改善しないのだ。安部は何のために、誰のために政治家になっているんだと問いたい。
日本人が『心の美しさ』を失ったんだとしたら、
それは偏(ひとえ)に、『物質』を失ったからである。
『心の充足』を唱えたいなら、まずは『物質の充足』を唱えるべきである。
心のぽっかり空いた穴を埋めるのは、まずは『物質』が必要だ。
それ以外には不可能だ。
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