『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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今日12日の産経新聞で古森が「民主主義定着がテロを減らす」と書いていた。アメリカ政府の対テロ戦争の長期戦略として、効果的な民主主義を定着させることで、その民主主義が浄化装置のようにテロのイデオロギーを中和するというのだ。
しかし、イギリスで起きたテロの実行犯はイギリス生まれのパキスタン系イギリス人だった。イギリスという民主主義が十分に定着した国で醸成された人間が起こしたのだ。「民主主義定着がテロを減らせる」という主張は、幻想も甚だしい。民主主義という思想は、テロの前では無力なのだ。常識的に考えていただきたい。民主主義が「犯罪」を減らすか?「殺人」と言った「重大犯罪」を減らすか?また「自殺」を減らすことが出来るのか?また犯罪の究極体とも言うべき「戦争」をなくせるか?
もちろん、答えは否。できるわけがないのだ。どうやっても。
常にそういった背景には、『貧困』や『恨み』がある。
彼らはイギリス社会で「イスラム系だから」と言う理由だけで、不当な差別を受けていた。他のイギリス人と同じように生まれ、育っているのに、イスラムの血が流れているというだけで、就職ができなかったりしたわけだ。そして、『貧しい生活』を虐げられていた。ましてや、テロリストの中には、アメリカとの戦争で自分の家族が殺されたことが切っ掛けで、テロリストになる人間も多い。民主主義という思想で、その『貧困』や『恨み』の何を浄化できるというのだ。その根源を作っているのは、アメリカ自身なのだ。
古森はこの記事の中で「テロ犯の側は個人が自由に動けるオープンな民主主義社会でこそ無差別殺戮を断行しやすい。だが目的は民主主義の文明社会の否定にある。」と書いている。だがちょっと待ってくれ。民主主義社会でなくても、社会主義社会であっても、個人は自由に動ける。北朝鮮のような閉鎖的で独裁国家的社会であっても、今や民衆は好き勝手に動いている。もちろん程度こそ差はあれ、軍隊のように個人が街中を整然と一列に仲良く歩いている国などどこにあるというのか。
しかも民主主義社会の大黒柱と自負しているアメリカが、イラクの民家や街中の民衆に向けて、砲弾やミサイルをぶち込んでいるのだ。この言動とは相反する矛楯的な行為を誰が説明してくれよう。アメリカこそが「民主主義の文明社会の否定」を実行しているのだ。この国が「民主主義定着」を叫んでいるのだ。この国が定着させようとしている民主主義とは一体、どういう民主主義なのか甚だ疑問である。こんな腐った国が作り上げた「人工的な民主主義」に、その国民がついていくはずもない。
他国をグチャグチャにかき混ぜておきながら、その国民同士が化学反応を起こして、ポンッと爆発したら大騒ぎする。この国は駄目だと断罪する。そして、さらにグチャグチャにかき混ぜる。またポンッと爆発する。この国は救いようがないと断罪する。そして(ry。何と無責任で愚かな民主主義であろう。
テロ容疑者の人権擁護や、テロ組織と繋がっているかも知れない人間に対する通信傍受なども、テロ抑止のためには当然の如く容認されるべきだとも書いている。民主主義の根幹を守るために、民主主義の一部分を犠牲にしなければならないというのだ。しかし、そのことが返ってテロリズムを助長しているのだ。無実なイスラム系・イスラム人を逮捕しては、釈放の繰り返し。それをイスラム過激派やそれに支持しているイスラム系はどう感じるかは明白である。しかもそのことをテロリズムを肯定することに利用されている側面もある。
ただ単にアメリカが唱えている民主主義など、「イスラム社会への仇討ち・嫌がらせ」でしかないのだ。これではテロが減るはずもない。アメリカが民主主義という刀を収め、イスラム社会に土下座をすることが最も効果的なテロ抑止の手段である。それが勝負に負けて、試合に勝つと言うことだ。手段を選ばずに立ち向かってきているテロに対して、手段など細かに選んでいて対テロ戦争に勝利を収めることなど出来るはずがない。
しかし、イギリスで起きたテロの実行犯はイギリス生まれのパキスタン系イギリス人だった。イギリスという民主主義が十分に定着した国で醸成された人間が起こしたのだ。「民主主義定着がテロを減らせる」という主張は、幻想も甚だしい。民主主義という思想は、テロの前では無力なのだ。常識的に考えていただきたい。民主主義が「犯罪」を減らすか?「殺人」と言った「重大犯罪」を減らすか?また「自殺」を減らすことが出来るのか?また犯罪の究極体とも言うべき「戦争」をなくせるか?
もちろん、答えは否。できるわけがないのだ。どうやっても。
常にそういった背景には、『貧困』や『恨み』がある。
彼らはイギリス社会で「イスラム系だから」と言う理由だけで、不当な差別を受けていた。他のイギリス人と同じように生まれ、育っているのに、イスラムの血が流れているというだけで、就職ができなかったりしたわけだ。そして、『貧しい生活』を虐げられていた。ましてや、テロリストの中には、アメリカとの戦争で自分の家族が殺されたことが切っ掛けで、テロリストになる人間も多い。民主主義という思想で、その『貧困』や『恨み』の何を浄化できるというのだ。その根源を作っているのは、アメリカ自身なのだ。
古森はこの記事の中で「テロ犯の側は個人が自由に動けるオープンな民主主義社会でこそ無差別殺戮を断行しやすい。だが目的は民主主義の文明社会の否定にある。」と書いている。だがちょっと待ってくれ。民主主義社会でなくても、社会主義社会であっても、個人は自由に動ける。北朝鮮のような閉鎖的で独裁国家的社会であっても、今や民衆は好き勝手に動いている。もちろん程度こそ差はあれ、軍隊のように個人が街中を整然と一列に仲良く歩いている国などどこにあるというのか。
しかも民主主義社会の大黒柱と自負しているアメリカが、イラクの民家や街中の民衆に向けて、砲弾やミサイルをぶち込んでいるのだ。この言動とは相反する矛楯的な行為を誰が説明してくれよう。アメリカこそが「民主主義の文明社会の否定」を実行しているのだ。この国が「民主主義定着」を叫んでいるのだ。この国が定着させようとしている民主主義とは一体、どういう民主主義なのか甚だ疑問である。こんな腐った国が作り上げた「人工的な民主主義」に、その国民がついていくはずもない。
他国をグチャグチャにかき混ぜておきながら、その国民同士が化学反応を起こして、ポンッと爆発したら大騒ぎする。この国は駄目だと断罪する。そして、さらにグチャグチャにかき混ぜる。またポンッと爆発する。この国は救いようがないと断罪する。そして(ry。何と無責任で愚かな民主主義であろう。
テロ容疑者の人権擁護や、テロ組織と繋がっているかも知れない人間に対する通信傍受なども、テロ抑止のためには当然の如く容認されるべきだとも書いている。民主主義の根幹を守るために、民主主義の一部分を犠牲にしなければならないというのだ。しかし、そのことが返ってテロリズムを助長しているのだ。無実なイスラム系・イスラム人を逮捕しては、釈放の繰り返し。それをイスラム過激派やそれに支持しているイスラム系はどう感じるかは明白である。しかもそのことをテロリズムを肯定することに利用されている側面もある。
ただ単にアメリカが唱えている民主主義など、「イスラム社会への仇討ち・嫌がらせ」でしかないのだ。これではテロが減るはずもない。アメリカが民主主義という刀を収め、イスラム社会に土下座をすることが最も効果的なテロ抑止の手段である。それが勝負に負けて、試合に勝つと言うことだ。手段を選ばずに立ち向かってきているテロに対して、手段など細かに選んでいて対テロ戦争に勝利を収めることなど出来るはずがない。
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昨日、民主党代表選挙に正式に出馬表明をひっそりと果たした小沢が今日、民主党の代表選が無投票再選を果たした。しかし、小沢は4月に一度、既に管と激しく戦いに勝利を収めているのだ。約5ヶ月後の間に、2度の選挙もあるとは民主党は少しせわしない。ただ、今回は対立候補がおらず、政策論争が全く行われず、いまいち小沢民主党のやりたいことが国民に余り伝わらなかった感がある。具体的にどういう道筋で、自ら打ち出した基本政策を可能にするかという点が最も重要な点である。
しかし、小沢が最も論争すべき相手は、次期自民党総裁の安部である。基本的に、麻生や谷垣は安部の噛ませ犬・引き立て役のデザートに過ぎない。いくら谷垣が額に汗をし、論戦を戦わせようと所詮、安部が総裁になることは決定事項である。実質、自民党総裁選は無投票再選に近しい。
でも、自民党が政権を持ったままでは何も変わらないのは、最早明白だ。結局、自民党は「風見鶏」政党なのだ。その時の世論ばかり気にして長期的な視野や戦略性がない。ただその場の空気に流されて、漂ってるクラゲみたいなもん。迫力もエネルギーも魅力もない。小泉がその代表格である。総裁選などを見ていても、「論戦の中身重視」で総裁を選んでいるのではなく、「人気」だけで自民党員などは安部を支持している。小泉が約5年半、首相の座に座っていたが、国民の暮らしが良くなったのだろうか?「人気」だけで総裁になれる政党を支持しても、国民が得られる利益やメリットがないことが白日の下にさらされた。
つまり、日本人が取るべき道として、自民党以外の政党に政権を取らせなきゃいけない。安部などは「物質的より心の豊かさ」と、低所得者・格差社会には知らぬ存ぜんを突き通している。そういう現実を見ようとはしない。何故なら、それは『日本の負の部分』だからだ。当然、そんな状況で「美しい、日本」などとはまかり間違っても宣えない。自民党の政策の結果で生まれた弱者を蔑ろにし、「国民を幸せにする」ことなどは眼中にないのだ。自民党が「国民政党」と自負するなど片腹痛い。自民党は庶民の敵である。
よく日本のアフォな政治家が「中国を一党独裁」と非難してるが、戦後の日本は自民党がほぼ一党独裁が続いていることを忘れちゃいけない。本来の民主主義国家なら、何回かコロコロ政権が変わっていていてもいいはずだ。それがない日本は、中国と同じく閉鎖的な政治体制が続いていると言っていい。これで、麻生などは「自民党は開かれている政党だ」と宣っている。ちょっと待て。お前を筆頭に、自民党、ほとんど二世や三世議員ばかりの役立たずではないか。安部など二世・三世議員の代表格である。「父親の地盤を引き継いで、国会議員になっている奴ばかり」。つまり、限られた人間しか国会議員になっていないのが、今の自民党である。「開かれた政党」などとは片腹痛い。
しかも、自民党はありとあらゆる民間市場で規制緩和を実行している。労働者派遣法などが好例である。庶民を無意味なまでに競争に晒しているのだ。そして国民の生活はますます不安定化していき、不当なまでの格差が国民の間で浸透してしまった。違法な雇用も急増している。弱い立場の人間は声すら上げられない状況がずーーーっと続いている状態だ。そのくせ、自分たち政治家は馴れ合い、談合体質で、ガチガチに自分の身を固めている。その競争社会からコソコソと逃れているのだ。庶民を苦しませておきながら、政治家自身は苦しみたがらない。政治の本質とは何たるか、自民党議員は一から勉強し直した方がいい。
しかし、小沢が最も論争すべき相手は、次期自民党総裁の安部である。基本的に、麻生や谷垣は安部の噛ませ犬・引き立て役のデザートに過ぎない。いくら谷垣が額に汗をし、論戦を戦わせようと所詮、安部が総裁になることは決定事項である。実質、自民党総裁選は無投票再選に近しい。
でも、自民党が政権を持ったままでは何も変わらないのは、最早明白だ。結局、自民党は「風見鶏」政党なのだ。その時の世論ばかり気にして長期的な視野や戦略性がない。ただその場の空気に流されて、漂ってるクラゲみたいなもん。迫力もエネルギーも魅力もない。小泉がその代表格である。総裁選などを見ていても、「論戦の中身重視」で総裁を選んでいるのではなく、「人気」だけで自民党員などは安部を支持している。小泉が約5年半、首相の座に座っていたが、国民の暮らしが良くなったのだろうか?「人気」だけで総裁になれる政党を支持しても、国民が得られる利益やメリットがないことが白日の下にさらされた。
つまり、日本人が取るべき道として、自民党以外の政党に政権を取らせなきゃいけない。安部などは「物質的より心の豊かさ」と、低所得者・格差社会には知らぬ存ぜんを突き通している。そういう現実を見ようとはしない。何故なら、それは『日本の負の部分』だからだ。当然、そんな状況で「美しい、日本」などとはまかり間違っても宣えない。自民党の政策の結果で生まれた弱者を蔑ろにし、「国民を幸せにする」ことなどは眼中にないのだ。自民党が「国民政党」と自負するなど片腹痛い。自民党は庶民の敵である。
よく日本のアフォな政治家が「中国を一党独裁」と非難してるが、戦後の日本は自民党がほぼ一党独裁が続いていることを忘れちゃいけない。本来の民主主義国家なら、何回かコロコロ政権が変わっていていてもいいはずだ。それがない日本は、中国と同じく閉鎖的な政治体制が続いていると言っていい。これで、麻生などは「自民党は開かれている政党だ」と宣っている。ちょっと待て。お前を筆頭に、自民党、ほとんど二世や三世議員ばかりの役立たずではないか。安部など二世・三世議員の代表格である。「父親の地盤を引き継いで、国会議員になっている奴ばかり」。つまり、限られた人間しか国会議員になっていないのが、今の自民党である。「開かれた政党」などとは片腹痛い。
しかも、自民党はありとあらゆる民間市場で規制緩和を実行している。労働者派遣法などが好例である。庶民を無意味なまでに競争に晒しているのだ。そして国民の生活はますます不安定化していき、不当なまでの格差が国民の間で浸透してしまった。違法な雇用も急増している。弱い立場の人間は声すら上げられない状況がずーーーっと続いている状態だ。そのくせ、自分たち政治家は馴れ合い、談合体質で、ガチガチに自分の身を固めている。その競争社会からコソコソと逃れているのだ。庶民を苦しませておきながら、政治家自身は苦しみたがらない。政治の本質とは何たるか、自民党議員は一から勉強し直した方がいい。
政権の座に一度もついたことのない政党と、ずーっと長年無駄に政権に居座り続けている政党と、どちらが勝負で有利な試合運びを展開できるか、これは目に見えている。勝負は時の運と言われるぐらいだから、どちらが勝つかというのは箱を開けてみないともちろん分からない。しかし、民主党と自民党が得られる「官僚から与えられる絶対的な情報量の差」は歴然としてるわけ。国際Aマッチ経験してる選手が多くいるチームと、高卒・大卒・ユース上がりのチームと戦っているのと同じ。この試合を面白くしようと思ったら、後者のチームをもっと経験豊富な選手に替えるか、そのチーム自体を海外遠征させるなどしてもっと試合経験を積ませることしかない。前者のチームを弱くすればいいという意見もあるが、弱いチーム同志で戦ったって詰まらないに決まってる。誰もそんな試合は見ない。それこそ誰にとっても利益がない。
そこでもし「じゃあ自民党に、政権をずっと任せてればいいじゃん」ってなったら、それこそ今日本が非難している中国のような一党独裁の政治体制を確立すればいい。自民党一党独裁でも日本を運営できるんであれば、衆議院・参議院もいらなくて、議員の総数も100人ぐらいに減らすべきだ。世界的に見ても、日本の議員数は多いからなおさらだ。
そういう政治体制こそが、安部が最も主張している官邸政治を実行できるのだから。誰も自分たちに逆らう人間がいない、これこそ究極のトップダウンである。そして、安部が政権を握ってしまったら、さっさと日本から『民主主義国家』という冠を捨て去ってしまおう。自民党が政権を握り続けていると言うことは、つまりそういうことだ。
しかし、自民党のメンバーをよく見てみよ。山本一太、パクリの杉村太蔵、大仁田厚…自民党は、『ゲテモノばかりが集まる動物園』かと小一時間(ry。民主党のことをよく「寄り合い所帯」と、自民党は非難するが、自分たちを少しでも振り返ってみればそんなことを大きな声で非難など出来るはずがない。自民党の残党がちらほらいる政党と、知能も経験もないゲテモノ人間ばかりを適当に集めただけの政党と、どちらがまともな政党であるかは明白だ。
ずっと北朝鮮拉致問題を放置し続けてきたのも、自民党。竹島や尖閣諸島、北方領土と言った領土問題を全く進展させなかったのも、自民党。経済的格差を拡大させ、弱者を増えさせ、国民を苦しませ続けているのも、自民党。まるで、何も出来ていないではない。ましてや諸外国よりも無駄に政治家の数が多かった。政権政党にずっと胡座をかいていると、勉強も学習も努力もしなくなるのだ。それは小泉や安部を見ても一目瞭然。常に、「政府与党の言うことは絶対正しいんだから、庶民は黙ってろ」という横柄な心構えなのだ。「民主党は政府を批判するために批判することが仕事」と自民党は非難しているが、自民党は「ただ黙って何もしないで寝て、野党からの批判は聞き流すのが仕事」、つまり何もしないことが仕事の政党ではないか。
自民党はずっと政権与党であり続け、国民から何度もチャンスを与えて貰っていたにも関わらず何も出来ていない。
何もしていない間も、自民党議員の汚い金にまつわる事件が多発している。
自民党とは誰のための政党なのか。
もう自民党の時代は終わった。
自民党以外の政党ならどこでもいい。
そこでもし「じゃあ自民党に、政権をずっと任せてればいいじゃん」ってなったら、それこそ今日本が非難している中国のような一党独裁の政治体制を確立すればいい。自民党一党独裁でも日本を運営できるんであれば、衆議院・参議院もいらなくて、議員の総数も100人ぐらいに減らすべきだ。世界的に見ても、日本の議員数は多いからなおさらだ。
そういう政治体制こそが、安部が最も主張している官邸政治を実行できるのだから。誰も自分たちに逆らう人間がいない、これこそ究極のトップダウンである。そして、安部が政権を握ってしまったら、さっさと日本から『民主主義国家』という冠を捨て去ってしまおう。自民党が政権を握り続けていると言うことは、つまりそういうことだ。
しかし、自民党のメンバーをよく見てみよ。山本一太、パクリの杉村太蔵、大仁田厚…自民党は、『ゲテモノばかりが集まる動物園』かと小一時間(ry。民主党のことをよく「寄り合い所帯」と、自民党は非難するが、自分たちを少しでも振り返ってみればそんなことを大きな声で非難など出来るはずがない。自民党の残党がちらほらいる政党と、知能も経験もないゲテモノ人間ばかりを適当に集めただけの政党と、どちらがまともな政党であるかは明白だ。
ずっと北朝鮮拉致問題を放置し続けてきたのも、自民党。竹島や尖閣諸島、北方領土と言った領土問題を全く進展させなかったのも、自民党。経済的格差を拡大させ、弱者を増えさせ、国民を苦しませ続けているのも、自民党。まるで、何も出来ていないではない。ましてや諸外国よりも無駄に政治家の数が多かった。政権政党にずっと胡座をかいていると、勉強も学習も努力もしなくなるのだ。それは小泉や安部を見ても一目瞭然。常に、「政府与党の言うことは絶対正しいんだから、庶民は黙ってろ」という横柄な心構えなのだ。「民主党は政府を批判するために批判することが仕事」と自民党は非難しているが、自民党は「ただ黙って何もしないで寝て、野党からの批判は聞き流すのが仕事」、つまり何もしないことが仕事の政党ではないか。
自民党はずっと政権与党であり続け、国民から何度もチャンスを与えて貰っていたにも関わらず何も出来ていない。
何もしていない間も、自民党議員の汚い金にまつわる事件が多発している。
自民党とは誰のための政党なのか。
もう自民党の時代は終わった。
自民党以外の政党ならどこでもいい。
今、自民党は「一つの法案だけで自民党を離れてしまうことはもったいない」「その他に関しては同じベクトルなのだから、また共闘しよう」と必死に、郵政”造反”議員の君たちに対しておべっかを使っている。総裁選の論戦の中で安部などは声を震わせながら、「私とほとんど同じ考えを持っている人が野党にいる方が、国民にわかりにくい」と何とかして復党して貰おうと必死に懇願していたのが印象的であった。このことからも、やはり安部政権の最大の命題は、拉致問題や外交問題、はたまた内政問題でもなく、「参院選の勝利」しかないことが伺える。他の5流政治家と同じく、自分の保身しか興味を持たれていないのだ。安部が国民のための政治を実行してくれると思い込んでいた方には、実に残念なお知らせだ。
しかし、その一つの法案だけで君たちの首を切ったのは自民党・小泉である。逆に言えば、また一つの法案だけで首を切られるかも知れないのである。小泉が総理の座を降りたといっても、奴は安部支持を早い段階で表明している。小泉はこれからも自分の影響力は残したいと考えてることは最早明白。安部は単なる傀儡人形でしかない。「同じベクトルだから頑張りましょう」というのは、詭弁もいいところ。じゃあ何故、君たちは現在、自民党に在籍していないのだろう。
誰が見ても、君たちを姑息にも、来夏の参院選に利用しようとしていることは明々白々である。この世の誰が、君たちを裏切った組織に対して、敢えてまた自分の首を差し出すような愚行を選ぶのだろうか。金属バットで思い切り後頭部を殴られた相手に、こちらから何故か慰謝料を其奴に差し出してるようなものだ。そんな風に身を粉にして、犠牲にしてまで尽くす価値が、今の自民党にあるのだろうか。そもそも、君たちには何のプライドもないのか。
もし復党したところで、自民党は君たちに謝罪をするどころか、恩を売ってくる。「わざわざ、こっちが譲歩してやって、君たちを小泉の魔の手から救ってやったんだぞ」「これからも黙って自民党の上層部の言うことだけを聞いてろ」「前回のように少しでも反旗を翻せば、お前の首をナタでちょん切るぞ」という具合に。これでは恩ではなく、人質を取って恐喝されているようなものだ。自民党に復党して、君たちのこれからにどういう明るい未来が待っているというのだろう。選挙資金を援助して貰っても、党に対しては何の口も出せない状況は変わらない。
郵政問題で離党させられた君たちは、周りにペコペコしない、ちゃんと自分の意思を持った人間だったはずだ。だから離党させられたのだ。そもそも君たちが離党させられる理由が皆無だったのだ。その人間が何故、今になって自民党にペコペコして復党を懇願しなければならないのだろう。自民党が厚顔無恥だったのだ。
逆に言えば、自民党はペコペコしない人間しか受け入れない。多用な意見や考えは受け入れない。これが「自由民主主義」を掲げているのだ。共産党も真っ青である。このどこが同じベクトル同志の仲間か。ペコペコしない人間は、これからも首を切るという、その根本的な組織体質も変わっていない。仲間を裏切る政党に戻ったところで、ドブネズミのようにこそこそと生きていくつもりか?
もう一度、思い出せ。
何のために、君たちは政治家になったのか。
何をしたいから、政治に携わりたいと思ったのか。
復党するぐらいなら、潔く「死」んでしまえ!
しかし、その一つの法案だけで君たちの首を切ったのは自民党・小泉である。逆に言えば、また一つの法案だけで首を切られるかも知れないのである。小泉が総理の座を降りたといっても、奴は安部支持を早い段階で表明している。小泉はこれからも自分の影響力は残したいと考えてることは最早明白。安部は単なる傀儡人形でしかない。「同じベクトルだから頑張りましょう」というのは、詭弁もいいところ。じゃあ何故、君たちは現在、自民党に在籍していないのだろう。
誰が見ても、君たちを姑息にも、来夏の参院選に利用しようとしていることは明々白々である。この世の誰が、君たちを裏切った組織に対して、敢えてまた自分の首を差し出すような愚行を選ぶのだろうか。金属バットで思い切り後頭部を殴られた相手に、こちらから何故か慰謝料を其奴に差し出してるようなものだ。そんな風に身を粉にして、犠牲にしてまで尽くす価値が、今の自民党にあるのだろうか。そもそも、君たちには何のプライドもないのか。
もし復党したところで、自民党は君たちに謝罪をするどころか、恩を売ってくる。「わざわざ、こっちが譲歩してやって、君たちを小泉の魔の手から救ってやったんだぞ」「これからも黙って自民党の上層部の言うことだけを聞いてろ」「前回のように少しでも反旗を翻せば、お前の首をナタでちょん切るぞ」という具合に。これでは恩ではなく、人質を取って恐喝されているようなものだ。自民党に復党して、君たちのこれからにどういう明るい未来が待っているというのだろう。選挙資金を援助して貰っても、党に対しては何の口も出せない状況は変わらない。
郵政問題で離党させられた君たちは、周りにペコペコしない、ちゃんと自分の意思を持った人間だったはずだ。だから離党させられたのだ。そもそも君たちが離党させられる理由が皆無だったのだ。その人間が何故、今になって自民党にペコペコして復党を懇願しなければならないのだろう。自民党が厚顔無恥だったのだ。
逆に言えば、自民党はペコペコしない人間しか受け入れない。多用な意見や考えは受け入れない。これが「自由民主主義」を掲げているのだ。共産党も真っ青である。このどこが同じベクトル同志の仲間か。ペコペコしない人間は、これからも首を切るという、その根本的な組織体質も変わっていない。仲間を裏切る政党に戻ったところで、ドブネズミのようにこそこそと生きていくつもりか?
もう一度、思い出せ。
何のために、君たちは政治家になったのか。
何をしたいから、政治に携わりたいと思ったのか。
復党するぐらいなら、潔く「死」んでしまえ!
今日、9月11日は911テロからちょうど丸5年の節目に当たる。NYのグラウンドゼロで追悼式典が行われている映像が、ニュースなどで頻繁に流れた。あれからもう5年も経つんだと少し感慨深いものがある。5年という月日はこれほど早く流れるものとは。。。
自分が9.11で思い浮かべることと言えば、2ちゃんぐらい。ちょうど一機目の飛行機がビルに突っ込んだ映像がTVで流れ始めた時、初めて2ちゃんを見た。単純に、世間の人間はどんな反応してるんだろうって好奇心から。でも、みんなアクセスしてて、全く繋がらなかった。今の2ちゃんねらーの数と、頻繁に起きる祭りにも関わらず、全く落ちない鯖の強固さを考えると、信じられる人は少ないかも知れない。
それまではずっと2ちゃんは怖い(?)ところだと思っていた。というよりも、NEET君ヨロシク「2ちゃんを見たら負け」だと何故か思い込んでいた。その理由はいまいち明確には分からない。その当時から、2ちゃんは人気だった。いや、正確に言えば世間を騒がせていた。2ちゃんはどういう所なんだろう、見てみたいな、面白いところ何だろうかとは思いつつ、そこを見てる自分を想像すると何かこっぱずかしかった。だから、ちょっと見てみても、「いやいや見ちゃ駄目だ」とすぐIEの窓を閉じていた。膨大な情報量に圧倒されてしまったのかも知れない。一度でも見てしまうと、何時までも見てしまいそうな感じだった。それが底なし沼に足をツッコンで、そのまま引きずり込まれ、現実世界に戻れないような気がした。そして、今思うことは、その時の自分の考えは「間違ってなかった」ということだ。
2ちゃんを見ない・書き込まない日はほとんどないし、アク禁を食らった日にゃあ、運営の人間に対して「何やっとんじゃ(#゚Д゚)ゴルァ!! 早よ解除せんかい」とヤクザばりの恫喝をする始末。書き込めない日にゃあ、イライライライラ、もう一種の禁断症状まで発病してしまう。こないだなんか、思わずPCを窓から放り投げてしまった。次の日の朝起きたら、ドアの前に自分のPCが置かれていた。「まだまだ日本には優しい人がいるもんだな、日本もまだまだ捨てたもんじゃないな」と、朝からほのぼのさせr(ry
せっかくの節目の日に、下らないことしか書けない自分が悔しいですッ!!(ザブングル風)
じゃあ、せっかくなので小泉批判を。
イラク戦争が始まった契機は、もちろんこの911テロが始まりである。イラクのフセインが大量破壊兵器を保有しているという嫌疑があるということで、アメリカがイラクに対して攻撃を開始した。しかし、そんなものはなかった。もちろん、国連の査察を拒んだなど、イラク側は自ら嫌疑を深めてしまったという一定の非はあるかも知れない。だが、そんな「査察を受け入れない」「自ら保有していないという立証が出来ない」という理由だけで、あれだけミサイルや放射能を振りまくミニ原爆みたいなのを打ち込まれたらたまらない。
アフォブッシュですら、イラク戦争を開戦してしまった理由が間違っていたと謝罪した。だが小泉は今の今まで、謝罪のsの文字すらない。のらりくらりと、自分の非を認めようとしなかったのだ。潔さの欠片もない。典型的な嘘つき野郎である。
このまま小泉は何の謝罪もせず、フェードアウトしていくのだ。卑怯千万。許すまじ。おめおめと逃げていくのだ。「勇退」という文字がメディアで躍ろうものなら、その社長の家のドアにマヨネーズで「ケチャップ」って書いてやる。二度とメディアの名前を騙るな。厚顔無恥も甚だしい。
小泉は、「史上最低の総理大臣」という汚名を残して去っていくのだ。そして、その「謝罪義務のバトン」は安部に渡される。しかし、こいつも卑怯千万の代表格である。謝罪などするつもりはないだろう。小泉お得意の『逃げの政策』を受け継いでいるからだ。
「美しい、日本」を作ろうと日夜オナニーに励んでいる安部だが、「2(機の飛行機)」と「911」を逆にしてみると、「1192」。そう「いい国作ろう」何とやらだ。アメリカがテロとの戦争に突入し、築き上げた「いい国」は飛んでもない荒んだ国だった。テロは世界中に蔓延し、イラクの国民やアメリカの兵士は無惨にも殺され続け、ただただ無駄に死に続けた人間がどれだけ増えたろう。アメリカのイラク・テロ政策は、もはや出口が全く見えない状況に陥っている。
そのアメリカの政策ただただ追従するだけの、単純外交を展開した小泉はスタートラインにすら立てていない。人として当たり前のケジメを付けていないからだ。そして今や日本国民の大半は、低所得で喘ぎ、苦しみ続けている。日本も内政や外交の様々な問題で立ちゆかなくなっている。日本はアメリカの迷走ぶりすら追従しているらしい。何と無能な政府であろう。
その子供の安部が飛んでもない、いやぶっ飛んだ国しか作れないのは目に見えている。間違いない!
自分が9.11で思い浮かべることと言えば、2ちゃんぐらい。ちょうど一機目の飛行機がビルに突っ込んだ映像がTVで流れ始めた時、初めて2ちゃんを見た。単純に、世間の人間はどんな反応してるんだろうって好奇心から。でも、みんなアクセスしてて、全く繋がらなかった。今の2ちゃんねらーの数と、頻繁に起きる祭りにも関わらず、全く落ちない鯖の強固さを考えると、信じられる人は少ないかも知れない。
それまではずっと2ちゃんは怖い(?)ところだと思っていた。というよりも、NEET君ヨロシク「2ちゃんを見たら負け」だと何故か思い込んでいた。その理由はいまいち明確には分からない。その当時から、2ちゃんは人気だった。いや、正確に言えば世間を騒がせていた。2ちゃんはどういう所なんだろう、見てみたいな、面白いところ何だろうかとは思いつつ、そこを見てる自分を想像すると何かこっぱずかしかった。だから、ちょっと見てみても、「いやいや見ちゃ駄目だ」とすぐIEの窓を閉じていた。膨大な情報量に圧倒されてしまったのかも知れない。一度でも見てしまうと、何時までも見てしまいそうな感じだった。それが底なし沼に足をツッコンで、そのまま引きずり込まれ、現実世界に戻れないような気がした。そして、今思うことは、その時の自分の考えは「間違ってなかった」ということだ。
2ちゃんを見ない・書き込まない日はほとんどないし、アク禁を食らった日にゃあ、運営の人間に対して「何やっとんじゃ(#゚Д゚)ゴルァ!! 早よ解除せんかい」とヤクザばりの恫喝をする始末。書き込めない日にゃあ、イライライライラ、もう一種の禁断症状まで発病してしまう。こないだなんか、思わずPCを窓から放り投げてしまった。次の日の朝起きたら、ドアの前に自分のPCが置かれていた。「まだまだ日本には優しい人がいるもんだな、日本もまだまだ捨てたもんじゃないな」と、朝からほのぼのさせr(ry
せっかくの節目の日に、下らないことしか書けない自分が悔しいですッ!!(ザブングル風)
じゃあ、せっかくなので小泉批判を。
イラク戦争が始まった契機は、もちろんこの911テロが始まりである。イラクのフセインが大量破壊兵器を保有しているという嫌疑があるということで、アメリカがイラクに対して攻撃を開始した。しかし、そんなものはなかった。もちろん、国連の査察を拒んだなど、イラク側は自ら嫌疑を深めてしまったという一定の非はあるかも知れない。だが、そんな「査察を受け入れない」「自ら保有していないという立証が出来ない」という理由だけで、あれだけミサイルや放射能を振りまくミニ原爆みたいなのを打ち込まれたらたまらない。
アフォブッシュですら、イラク戦争を開戦してしまった理由が間違っていたと謝罪した。だが小泉は今の今まで、謝罪のsの文字すらない。のらりくらりと、自分の非を認めようとしなかったのだ。潔さの欠片もない。典型的な嘘つき野郎である。
このまま小泉は何の謝罪もせず、フェードアウトしていくのだ。卑怯千万。許すまじ。おめおめと逃げていくのだ。「勇退」という文字がメディアで躍ろうものなら、その社長の家のドアにマヨネーズで「ケチャップ」って書いてやる。二度とメディアの名前を騙るな。厚顔無恥も甚だしい。
小泉は、「史上最低の総理大臣」という汚名を残して去っていくのだ。そして、その「謝罪義務のバトン」は安部に渡される。しかし、こいつも卑怯千万の代表格である。謝罪などするつもりはないだろう。小泉お得意の『逃げの政策』を受け継いでいるからだ。
「美しい、日本」を作ろうと日夜オナニーに励んでいる安部だが、「2(機の飛行機)」と「911」を逆にしてみると、「1192」。そう「いい国作ろう」何とやらだ。アメリカがテロとの戦争に突入し、築き上げた「いい国」は飛んでもない荒んだ国だった。テロは世界中に蔓延し、イラクの国民やアメリカの兵士は無惨にも殺され続け、ただただ無駄に死に続けた人間がどれだけ増えたろう。アメリカのイラク・テロ政策は、もはや出口が全く見えない状況に陥っている。
そのアメリカの政策ただただ追従するだけの、単純外交を展開した小泉はスタートラインにすら立てていない。人として当たり前のケジメを付けていないからだ。そして今や日本国民の大半は、低所得で喘ぎ、苦しみ続けている。日本も内政や外交の様々な問題で立ちゆかなくなっている。日本はアメリカの迷走ぶりすら追従しているらしい。何と無能な政府であろう。
その子供の安部が飛んでもない、いやぶっ飛んだ国しか作れないのは目に見えている。間違いない!
昨日、NHKでマグロの特集をやっていた。何でもマグロが高騰しているらしい。しきりに、日本人が近い将来マグロを食えなくなると煽っていた。いや、いくら巫山戯たNHKでも、その指摘は案外当たっている。
まず、何故マグロの値段が沸騰しているか、その原因として4つ上げられる。
①鳥インフルエンザ、BSEの影響で肉類が、欧米などで敬遠されていること。
②中国や露西亜など経済成長が著しい国が増えたこと(要は世界が飽食の時代になった)。
③寿司ブームに伴い、生魚を食べる習慣が根付いた国が増えたこと。
④乱獲されすぎて、マグロの漁獲高が抑えられていること。
①や②については、どうしようもないですね。
強いて、①で言えるなら「アメリカのバカヤロー」ってことですかね。
③については、日本人にとって嬉しいやら悲しいやらである。日本人のナショナリズムのお腹を肥やすことは出来た反面、日本人のお腹自体を肥やすことを難しくなってしまった。日本の一食文化を広めることが出来た一方、結果としてマグロを奪い合う敵を作ってしまったのだ。何と悲しいお知らせであろう。日本人が「仲間になりませんか?」と声をかけたことが切っ掛けで、その相手の国の人間が「日本人の持ってる自分の敵となったのだから、何とも切ない。
④について、日本の主なマグロの輸入先は台湾であった。その台湾は乱獲に次ぐ乱獲をしていた無法国家だったらしい。だから、日本に多くのマグロを輸出できていたし、大量の安いマグロが出回っていた。台湾は国を挙げて規制に励んでいる。そのため、日本に輸出できるマグロが減っている。しかも、台湾も寿司ブームなのか、マグロを食す機会が格段に増えている。ますます日本に輸入されるマグロの量はべらぼうに減ってる。
原油高に伴う燃料費の高騰も影響しているかも知れない。マグロに留まらず、魚全般に通じることかも知れないが、マグロは遠洋性回遊魚である。近海魚とは比較にならないほど、燃料費がかかる。そのため日本では燃料費と人件費を節約するため、波の抵抗が極端に低い、また鮪も自動的に引き揚げられる新たな漁船なども開発されているらしい。
要はマグロの需要が高まり、供給が伸びていない現象が起きているのだ。少ない限られたパイを各国が奪い合ってる状態なのだ。つまり、日本はその熾烈なマグロ争奪戦の真っ直中に立っている。マグロを食べるのは日本人だけではなくなった。
元々、マグロは高級な魚であったと思う。いつからこんなにも大衆的な魚になったのか、もうすっかり忘れてしまったぐらい大衆的な魚となっている。日本国民はマグロに対する認識を改めなければならない。大衆魚と呼ばれていたイワシですら、今やマグロの値段よりも高くなっている。マグロもいつまでも安い手頃な魚であり続けるはずがないのだ。昔以上にもっと高級な魚にきっと変貌するに違いない。今後は回転寿司屋などで食おう・食えるなどとは思わない方がいいかも知れない。ピーチクピーチク、親鳥の餌をただ待っているひな鳥で居続けても、誰も餌(マグロ)は与えてくれない。
庶民は潔く諦めるのが一番ヤキモキしない無難な逃げ道である。日本は世界に誇れる水産国家であるはずだ。ここでうろたえてはならない。マグロが水産資源の全てではない。様々な水産資源を知り尽くし、その調理法もその数以上に知り尽くしているのだ。何もマグロのようにただ真っ直ぐ猪突猛進に進むことはない。正規の道を歩む必要はない。回り道をしたっていいではないか。
まず、何故マグロの値段が沸騰しているか、その原因として4つ上げられる。
①鳥インフルエンザ、BSEの影響で肉類が、欧米などで敬遠されていること。
②中国や露西亜など経済成長が著しい国が増えたこと(要は世界が飽食の時代になった)。
③寿司ブームに伴い、生魚を食べる習慣が根付いた国が増えたこと。
④乱獲されすぎて、マグロの漁獲高が抑えられていること。
①や②については、どうしようもないですね。
強いて、①で言えるなら「アメリカのバカヤロー」ってことですかね。
③については、日本人にとって嬉しいやら悲しいやらである。日本人のナショナリズムのお腹を肥やすことは出来た反面、日本人のお腹自体を肥やすことを難しくなってしまった。日本の一食文化を広めることが出来た一方、結果としてマグロを奪い合う敵を作ってしまったのだ。何と悲しいお知らせであろう。日本人が「仲間になりませんか?」と声をかけたことが切っ掛けで、その相手の国の人間が「日本人の持ってる自分の敵となったのだから、何とも切ない。
④について、日本の主なマグロの輸入先は台湾であった。その台湾は乱獲に次ぐ乱獲をしていた無法国家だったらしい。だから、日本に多くのマグロを輸出できていたし、大量の安いマグロが出回っていた。台湾は国を挙げて規制に励んでいる。そのため、日本に輸出できるマグロが減っている。しかも、台湾も寿司ブームなのか、マグロを食す機会が格段に増えている。ますます日本に輸入されるマグロの量はべらぼうに減ってる。
原油高に伴う燃料費の高騰も影響しているかも知れない。マグロに留まらず、魚全般に通じることかも知れないが、マグロは遠洋性回遊魚である。近海魚とは比較にならないほど、燃料費がかかる。そのため日本では燃料費と人件費を節約するため、波の抵抗が極端に低い、また鮪も自動的に引き揚げられる新たな漁船なども開発されているらしい。
要はマグロの需要が高まり、供給が伸びていない現象が起きているのだ。少ない限られたパイを各国が奪い合ってる状態なのだ。つまり、日本はその熾烈なマグロ争奪戦の真っ直中に立っている。マグロを食べるのは日本人だけではなくなった。
元々、マグロは高級な魚であったと思う。いつからこんなにも大衆的な魚になったのか、もうすっかり忘れてしまったぐらい大衆的な魚となっている。日本国民はマグロに対する認識を改めなければならない。大衆魚と呼ばれていたイワシですら、今やマグロの値段よりも高くなっている。マグロもいつまでも安い手頃な魚であり続けるはずがないのだ。昔以上にもっと高級な魚にきっと変貌するに違いない。今後は回転寿司屋などで食おう・食えるなどとは思わない方がいいかも知れない。ピーチクピーチク、親鳥の餌をただ待っているひな鳥で居続けても、誰も餌(マグロ)は与えてくれない。
庶民は潔く諦めるのが一番ヤキモキしない無難な逃げ道である。日本は世界に誇れる水産国家であるはずだ。ここでうろたえてはならない。マグロが水産資源の全てではない。様々な水産資源を知り尽くし、その調理法もその数以上に知り尽くしているのだ。何もマグロのようにただ真っ直ぐ猪突猛進に進むことはない。正規の道を歩む必要はない。回り道をしたっていいではないか。
最近、公務員の飲酒運転による事故がクローズアップされている。福岡市職員が起こした先月の事故が一番影響しているのだろう。ただ、飲酒運転は公務員だけが起こしているのか?また公務員という職業柄、起こしやすい事故なのか?そんなことは決して有り得ない。もちろん公務員を擁護するつもりは当然無い。
昨今の行政批判は素晴らしいことである。京都市職員、特に環境局の犯罪は目に余るものがある。薬物やら何やら、正常な社会人が犯す犯罪ではない。ただ論点がずれている。自分の目にはそういう行政叩きの一環として、飲酒事故を利用しようとしているだけにしか映らない。いや、それが悪いと言っているのではない。しかし、その一環として飲酒事故を起こした公務員を批判をした場合、いずれすぐにでもまた違う公務員の犯罪・事件に焦点が移ってしまう。それでは、国民の飲酒事故に対する認識は何も変わらない。つまりは、陰惨な事故は防げないのである。
ここ数年減少傾向にあった飲酒運転の事故件数が一転増加傾向に転じている。飲酒運転の検挙件数も増えている。それは何故か。危険運転致死罪が新設された当初から、徐々に適用件数は減っていってるからだ。自分は酒に弱い体質なので、「新設されて良かったな」程度で、特に気にも留めてなかったが、ヘビードランカーはやはり気になるところである。危険運転致死傷罪が有名無実の法律とまでは言わないが、実際飲酒をしてても適用される可能性は低いと既に学習してしまったのだ。「飲酒運転=怖くない」という認識が広まってしまったのだ。
危険運転致死傷罪が適用されるためには、正常な判断が出来ないと運転手自身が自覚していたことを立証する必要がある。事故を起こしたドライバーが、「ちゃんと正常な判断が出来ると思って運転してました」と証言すれば、それだけで適用されないのだ。そこで適用しようと思えば、第三者の証言が必要になる。例えば、「コンビニから千鳥足で出てくるところを見た」とか、「事故を起こす前に、フラフラ路側帯や中央線などをまたがって運転してたのとを見た」といった証言が。
しかも、ひき逃げの方が刑事罰としては軽い。危険運転致死罪に適用されるぐらいなら、その場から逃げてしまえと言うのだ。実際、先月3人の子供を死亡させた福岡市職員もそれである。同乗していた友人から大量の水を飲み、アルコール度数を下げようと工作した。あとからいくらでも危険運転致死傷罪から逃れる術が存在している。
福岡市職員の飲酒事故の煽りを受け、様々な市で飲酒運転事故を起こすだけで直ちに懲戒免職を取られるようになった。しかし今日のNHKのニュースによると、県や県庁所在地や政令指定都市の約4割で処分基準は不明なままらしい。決して誉められたものではない。しかし、これだけで飲酒事故が減るわけではない。飲酒運転するドライバーは、絶対に「自分が事故を起こす」と思って運転していない。みんな、検挙されることばかり懸念しても、「事故だけは起こさない」と思い込んでいる。過酷な労働環境を強いられているトラックドライバーに関しても通用する。事後的に対応しても遅すぎる。対応するときはいつも誰か犠牲になってからの話なのだ。
つまり、ドライバーが「飲んだら乗れない」「飲んだら乗りたくない」状況を作っていく必要があるのだ。
例えば、そのために自分の息を吹き込んで、アルコールが検出されなければ、エンジンが掛かるという車や鍵が開発されている。しかし、全ての車に実装されるまで何十年という時間が掛かる。誰が考えても即効性、現実性のある案ではない。もちろん、開発の有効性を否定しているわけではない。
そこでだ。車一台に必ず、ホームレスのオッサンを飼うことにしよう。ドライバーが飲酒をしたら、このオッサンが「ちょっと、アンサン待ちなはれ!ワシが運転しまっさ」とドライバーに注意喚起もし、運転も代行してくれる。というか、そもそもそんな車に誰も乗りたくない。そして、ホームレスの雇用問題も解消される。何と完璧な案だろう。我ながらほれぼれする。
昨今の行政批判は素晴らしいことである。京都市職員、特に環境局の犯罪は目に余るものがある。薬物やら何やら、正常な社会人が犯す犯罪ではない。ただ論点がずれている。自分の目にはそういう行政叩きの一環として、飲酒事故を利用しようとしているだけにしか映らない。いや、それが悪いと言っているのではない。しかし、その一環として飲酒事故を起こした公務員を批判をした場合、いずれすぐにでもまた違う公務員の犯罪・事件に焦点が移ってしまう。それでは、国民の飲酒事故に対する認識は何も変わらない。つまりは、陰惨な事故は防げないのである。
ここ数年減少傾向にあった飲酒運転の事故件数が一転増加傾向に転じている。飲酒運転の検挙件数も増えている。それは何故か。危険運転致死罪が新設された当初から、徐々に適用件数は減っていってるからだ。自分は酒に弱い体質なので、「新設されて良かったな」程度で、特に気にも留めてなかったが、ヘビードランカーはやはり気になるところである。危険運転致死傷罪が有名無実の法律とまでは言わないが、実際飲酒をしてても適用される可能性は低いと既に学習してしまったのだ。「飲酒運転=怖くない」という認識が広まってしまったのだ。
危険運転致死傷罪が適用されるためには、正常な判断が出来ないと運転手自身が自覚していたことを立証する必要がある。事故を起こしたドライバーが、「ちゃんと正常な判断が出来ると思って運転してました」と証言すれば、それだけで適用されないのだ。そこで適用しようと思えば、第三者の証言が必要になる。例えば、「コンビニから千鳥足で出てくるところを見た」とか、「事故を起こす前に、フラフラ路側帯や中央線などをまたがって運転してたのとを見た」といった証言が。
しかも、ひき逃げの方が刑事罰としては軽い。危険運転致死罪に適用されるぐらいなら、その場から逃げてしまえと言うのだ。実際、先月3人の子供を死亡させた福岡市職員もそれである。同乗していた友人から大量の水を飲み、アルコール度数を下げようと工作した。あとからいくらでも危険運転致死傷罪から逃れる術が存在している。
福岡市職員の飲酒事故の煽りを受け、様々な市で飲酒運転事故を起こすだけで直ちに懲戒免職を取られるようになった。しかし今日のNHKのニュースによると、県や県庁所在地や政令指定都市の約4割で処分基準は不明なままらしい。決して誉められたものではない。しかし、これだけで飲酒事故が減るわけではない。飲酒運転するドライバーは、絶対に「自分が事故を起こす」と思って運転していない。みんな、検挙されることばかり懸念しても、「事故だけは起こさない」と思い込んでいる。過酷な労働環境を強いられているトラックドライバーに関しても通用する。事後的に対応しても遅すぎる。対応するときはいつも誰か犠牲になってからの話なのだ。
つまり、ドライバーが「飲んだら乗れない」「飲んだら乗りたくない」状況を作っていく必要があるのだ。
例えば、そのために自分の息を吹き込んで、アルコールが検出されなければ、エンジンが掛かるという車や鍵が開発されている。しかし、全ての車に実装されるまで何十年という時間が掛かる。誰が考えても即効性、現実性のある案ではない。もちろん、開発の有効性を否定しているわけではない。
そこでだ。車一台に必ず、ホームレスのオッサンを飼うことにしよう。ドライバーが飲酒をしたら、このオッサンが「ちょっと、アンサン待ちなはれ!ワシが運転しまっさ」とドライバーに注意喚起もし、運転も代行してくれる。というか、そもそもそんな車に誰も乗りたくない。そして、ホームレスの雇用問題も解消される。何と完璧な案だろう。我ながらほれぼれする。
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