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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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●運営に携わっている人間の少なさ
現在、運営に携わっている人間はちょうど30人らしい。記事数25万のWikipediaを監視するにしては、余りに少ない。だから、記事を保護状態(編集できない状態)にしておきながら、いつまでたってもそれが解消されないこともある。記事の増加と、運営に携わっている人間の数が全く比例していない。しかも、こいつは物理、あいつは政治という風に役割分担されているわけでもなく、あくまでまったくの着の身着のままである。作業分担が極めて曖昧だから、作業効率も極めて悪い。Wikipediaは2ちゃんねる以上に多ジャンルに渡り、専門性も求められているにも関わらずだ。

2ちゃんねるですら、レスやスレの削除は「削除人」、ISPの規制は「規制人」、ISPに通報するのは「通報人」、N即+など特定の板でスレを立てるのは「記者」、などと細かく役割分担が決まっている。運営に携わっている人数自体も、Wikipediaの比にならない。

2ちゃんねると同じように「人海戦術」で対応していくしかないのに、たかだか30人という人数で対応できるはずがない。

実際、明らかにあるサイトからコピペしただけの記事があったが、それを運営に報告しても、対応は遅いだろうと判断したため、自分が一から書き直した経験もある。著作権侵害の疑いがあれば、その記事は運営がハッキリ対応するまで閲覧することは不可能となるからだ。そんなことされる程度なら、自分で全部書き直してしまった方が余程Wikipediaのためになる。
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●運営に携わっている人間の資質
「Wikipediaを辞めた理由①」でも述べたが、Wikipediaには30人の運営がいる。誰がどういう理由で選ばれたかがハッキリしない。いつの間にか、誰々というユーザーが運営に携わっていたと言うことがままある。特にWikipedia当初から携わっていた人間が今でも携わっている。当初はかなりユーザー数も少なく、要求されるレベルも低く、運営に向けられる視線も厳しくなかった。

どういう活動をしているか報告する義務もない。誰からも評価もされることは決してない。一度運営になってしまえば、余程の荒らし的な行為をしない限り、辞めさせられることもない。

運営の中には、大した記事を書いてる人間はほとんどいない。何か仲裁に入って、問題を収める能力がある人間がいるわけでもない。何故なら、幅広いジャンルの知識、それも専門的な知識があるわけでもないからだ。優れた問題処理能力のある人間もいない。

何か特別な才能や資格や、優れた部分があるから運営に携わっている人間はほとんどいない。Wikipediaの運営に携わろうとしているぐらいだから、Wikipediaに熱い情熱を持ったフリークなんだろうな程度が臭ってくるぐらいである。前にTVに出ていた運営の人間がまさにそれである。名前や顔やユーザー名は覚えていないが、コイツじゃ駄目だなというのが感想しか芽生えなかった。リアルでもそれが実感できた。

一般的、平均的レベルのユーザーの延長線上程度の人間が仕事ではなく、単なる日常生活の片手間のボランティアでやってるのだ。誰が考えても、一人当たりがこなせる仕事量の限界は自ずと知れている。であるならば、なおさら、この「30人」という数字が異様に少なく見えてくる。ボランティアだから常に監視できるわけじゃない。だからこそ、増やさなければいけないのである。

そもそも、誰が見てもこのユーザーが明らかに運営であると分かるようなシステムがない。監視されているという意識がないから、運営側が『緊張感』や『自覚』を持って仕事をすることがない。レベルも至って向上していないのであろう。

Wikipediaの運営は、小学校の学級委員程度の「お粗末」なものであるから、基本的に自分は運営側を全く信用していなかった。ハッキリ言って2ちゃんねる以下だという考えに変化はない。2ちゃんねるで言えば、リアルの日常生活で充実感が得られない何の取り柄もないアフォが、名無しの中でコテハンを付けて、何となく目立っているという錯覚で詰まらない精神的充実を得るそういう名無し的コテと性質が酷似している。

あとでも述べるが、Wikipediaはユーザーから多額の募金をせびっている。そのWikipediaに渡っている多額の金と、この運営とを比較すると、どう考えても釣り合っていなかった。しかもその運営が、他ユーザーよりも多額に寄付している訳でもない。もろもろ全般的に、Wikipediaを利用しやすくしている訳でもない。この運営がWikipediaにどんな貢献をしているのかと考えると、酷く興ざめした。

日々、肥大化していくWikipediaと、彼らごく少数の平凡な運営を対比させてみてみると、非常に空しくなった。そしてWikipediaに貢献する意欲が奪われた。
●他ユーザーについて
自分が主に編集した記事をノートに「ここはこうした方がいいんじゃないですか?」と、わざわざ教えに来る輩。「気付いたんだったらお前がやれ」っていう内容のことをわざわざ教えに来る輩。自由に編集できるんだから、「お前好みの記事にしたかったらお前が編集しろ」と、コッチがツッコんでやろうと思ったことが何度かあった。

ある記事を大きく編集したら、その記事に愛着を持ってるか知らないが、やたら細かく再編集しなおして、元の形に何とか持っていこうとする輩。逆に、文句があるならノートに書くなり、直接に言いに来いとツッコみたくなる輩。

自分が編集した場所を編集されて逆ギレする輩。「お前のサイトじゃねーんだよ」とツッコみたくなる輩。「ここはこうしなさい」「ここはこうするのが当たり前でしょ」とあたかも自分の編集方法にこだわり・哲学がWikipediaでもそれが大前提があるかのように命令してくるor無言で何度も再編集してくる輩。編集履歴を見たら大して編集経験もないペーペーの癖に、やたら偉そうにしてる糞。

本当、運営の人間も含めて金属バットで頭の形が変形するまでボコボコに殴り殺してやろうかなと思う人間ばかりだった。本当尊敬できる人間が一人もいなかった…自分が編集していたジャンルで出会わなかっただけだと信じたい。「能ある鷹は爪を隠す」という諺があるように、優秀な人間ほどあんまり目立たないのが世の摂理だ。ましてや日本では出る杭が打たれる風習があるのだから、なおさらのことである。

Wikipediaの閲覧自体を止めた理由にそれがある。「この人は次にどんな記事を編集して、こちらをアッと言わせてくれるんだろう」と期待を持たせてくれる人間がいなかったのだ。Wikipediaにいれば、Wikipediaを毎日覗いていれば、そういう人間に出会えるという動機を与えてくれなかったのだ。だから、躊躇なく閲覧することすら止めることができた。ただ自分がそういう人間を意識的に捜す努力をしなかったのも事実であるから、Wikipediaばかりを非難は出来ない。


まあそこには自由とは名ばかりの、2ちゃんねる以上にギスギスした、閉鎖的な空間しか待ってなかった。
だから、離れた。それだけのことである。
●著作権について
誰のものにもならなくて、また誰のものにもなるような存在であるかのように勘違いしていた。つまり自分が書いた・編集した記事をWikipediaに寄稿すれば、その記事がコピペし放題、商業利用もし放題の、その記事が完全に著作権フリーになると思い込んでたが、実際には違ったことが大きい。何のために書いてるのか分からなくなったのだ。最初はずっと多くの名も知らない人間のために書いていると思い込んでいたが、段々と実際には特定の誰かのために書いているような気がしてならなくなってきたのだ。


●運営予算について
Wikipediaはある財団から多額の寄付金を頂いて運営している。しかしながら、Wikipediaはたまに運営資金に底が付きそうになれば、募金を大々的に募るのだ。全ての記事の少し上あたりに、「募金お願いします。目標金額まであと○○万ドル(何千万円)」などと、自分が数ヶ月Wikipediaに滞在していただけで2回ほどあったと記憶している。いや、正確にはWikipediaは常に募金を募っているのだが、その募金が余り伸びないとユーザーに脅迫に近い催促をすると言った方がいい。

よくトップページの画面を思い出していただきたい。様々な他言語のWikipediaが存在し、Wikipediaだけではなく著名人の有名な言葉だけを集めたWikiQuoteなど、様々なWikiが用意されていることを、自分の記憶から辿り寄せられたことと思う。財団からの基金でまかなえないぐらいサイトの規模を大きくしておきながら、ユーザーに金をせびることは一体どういうことだと、利用していた当時からも常々疑問に思っていた。行き当たりばったりにも程がある。いくら2ちゃんねるでもユーザーにいやしくも金をせびったりはしない。

ちなみに、Wikipediaにびた一文の金すら募金をした経験がない。こういう本末転倒なことをしているトップにお灸を据えようと思ったからだ。しかし残念ながら、世界中からWikipediaに寄付をするような変わり者が現在でもたくさんいるようだ。


などなど、2004年の当初からこういう鬱憤が溜まりに溜まっていた。要は、Wikipediaにはいちいち「こっちの編集意欲が削がれてしまう要因」が多すぎたのだ。今もその根本的な性質は多分変わってないだろうと思う。もちろんWikipediaのメリットや必要性や、存在そのものを否定しているつもりは一切無い。ただ肌に合わなかったという下らない話であるw

本当に何かを伝えたい、誰かのためになりたいと熱心に思う人間はWikipediaには集まらないとつくづく思う。必死に食べかすをかき集めて、巣に持ち帰ろうとしているアリの行列が向かう先が『Wikipedia』だからだ。
9時から、TBSで「K-1 WORLD MAX」がやっていた。
『詰まらない』の一言だった。
何故ならそれは『日本人選手がたくさん出場してる』から。
そして、イコール『敵となる外人選手が目立ってない』ということ。
いくら日本人選手がたくさん出ても、敵選手が有名でなければ、
敵選手も知らないと、その試合に素直に感情移入が出来ない。

日本人の個々の身体能力はたかだか知れている。
外人選手と戦っても、負けるのが大抵見えている。
もちろん同じ日本人が負けたら、多少なりとも「気分が悪くなる」。
誰が、どの視聴者が「気分が悪くなる」番組を見たいと思うのだろう。

だから、「K-1 WORLD MAX」は駄目なんだ。
昨日は、安部がTVに出ずっぱりであった。どのチャンネルを回しても、安部安部安部安部づくしで、少々辟易した。何故なら、顔だけでなく壊れたレコードのように同じことばかり繰り返していたからだ。まあ番組によってコロコロ変わる方が政治家としてどうかと思うが、どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴というのも味気ない。2・3の番組で安部を拝見したが、最初の番組だけで十分だった。「あー時間を無駄に過ごしたな」と言うのが正直な感想として残った。

政府関係者か「幕が上がりきる前に、舞台の演目が終了していた」と揶揄していたらしい。なかなか当(とう)を得た上手い表現だなあと、感心するとともに少し嫉妬心すら覚えた。それぐらい当を得ていたのだから仕方ない。しかし、安部本人が正式出馬表明をするのが遅かった。早めに出馬表明してしまうと、麻生や谷垣と論戦をしなければいけなくなる。そこからおめおめと逃げ去っていたとしか思えない。そして、昨日の必死の答弁を見ていると、ただの独り相撲・一人問答を見ているようだった。特に報道ステーションなどでは、それが際だっていた気がする。

具体的にどんなことを言っていたのだろう。まず「一つの問題で首脳会談を開けないのは間違っている」と暗に中国を非難されていた。ここだけ漫然と聞くと、何となく安部が主張していることが正しいように思える。しかし逆に解釈すれば、「一つの問題さえ解決すれば首脳会談を開ける関係になれる」というわけだ。そして、一つの問題を発生させ、さらにこじらせているのは『日本側』である。靖国神社に参拝することは、中国側にボールを投げかけているようなもので、ボールを受けとった側の中国は、当然そのボールを日本に投げ返すに決まっている。日本から受けとったボールを露西亜やアメリカに投げ返しても仕方がない。自分から相手にボールを投げかけておいて、相手にそのボールを投げ返すなとは論理的に矛楯している。それが嫌だ・間違ってると駄々をこねたところで、現実問題そうなってる。物凄い静かな水面にボールを落としてると言ってもいい。中国だけではなく、当然色んな所に波及もしているからだ。

靖国神社参拝を批判していた経団連の元会長の守銭奴・奥田などは、自分たちの銭のことしか頭になかった。救いようがない輩共と批判があって然るべきである。しかしながら、ただ中国を挑発をしたいからという極めて短絡的で幼稚で個人的な感情のために、靖国神社に参拝している人間に対しても当然批判があって然るべきなのだ。しかも、小泉や安部は日中関係は経済的にも結びつきが強くなり、ますます重要な関係になっているとまで認識していた。なおさら、たちが悪い。不必要な喧嘩を相手に叩き売りするメリットは何もないのだ。しかも相手を挑発しておきながら、まるで相手が悪いかのようにブーを垂れる糞餓鬼はゲンコツの一発でも食らわして、まともな大人が其奴を叱ってやるのが道理であろう。

そして、「こちら側は中国に対して門戸を開けている」と小泉も安部も散々くどいくらいに言っていた。しかし、その開かれた門戸の前には相手が嫌がる・不快になる物体が置かれているのである。イスラム教徒で言えば、豚などである。ベジタリアンで言えば、牛肉豚肉魚肉肉肉肉肉である。普通一般の感覚で言えば、犬や猫の死骸、ゴキブリウジ虫がうじゃうじゃしている光景を思い浮かべればいい。誰もその門戸に入りたがらないのは当たり前である。その不快になる物体をいつまでも日本側は取り去ろうとしないのだ。それでこちら側の門戸に入りなさいとは、単なる嫌がらせである。それは立腹するに決まっている。相手からしたら、そのゴキブリウジ虫が『靖国神社参拝』なのだ。実に単純な話だ。日本側がその不快な汚物を取り去ればいいだけなのだ。

昨日のTV出演の中で、若年者に関する雇用問題を全く言及していない姿勢から、そのハテナが理解できる。若者が就職できても、非正規雇用ばかりである。そういった若者が増え続けている。自分たちが生きるだけで精一杯だから、子供も産まない。ましてや今ですら困窮しているのだから、犯罪をしてでも生き延びなければならない。行政から充てられる生活保護はたかだか知れてるし、つい先日行政から生活保護を貰えず自殺をした日本国民がいた。そして、それは究極的に将来の日本を背負える人間がいなくなるということだ。

靖国参拝で反中感情を盛り上げることは、一途に「国内の超危機的な雇用問題に目を向けさせない」ためであることがお分かりであろう。国内問題に関する不満を、外国に目を向けさせ、反中国・反韓国・反北感情を煽り、その不満を解消させるという、中国韓国の五流政治家がよく行っている愚かな常套手段である。しかしながら、それは『国内の危機的な状態が何も好転していない』という裏返しなのだ。

ただただ「美しい国」「美しい国」とうわごとのように叫んでいたのが好例だ。腐っている浮腫の部分を切除する具体的な方策を述べなければ、日本は美しくならない。「美しい国」と呪文のように唱えていれば、国民はまるで目くらましを食らったように「日本は美しい国」であるかのように思い込むとでも思っているのか。今の厳しい現状も仕方ないことなんだと妥協し、政治家はやるだけのことはやったんだと思い込むとでも思っているのか。本来、政府に向けるべき国民が持っている『牙』を姑息にも奪おうとしているとしか思えなかった。「日本が美しい国ではない」からこそ、本来は政治や政府に国民や市民がその『牙』を食い込ませなければいけない。

また安部は日本を再生させるためには「教育の改革」が必要だとものたまっていた。さも日本が腐った原因は「国民」であると言わんばかりである。しかしながら、日本が腐った根本的原因は、国を主導してきた『政治家』や『企業の経営者』である。最も「教育」を必要としているのは、歯車となりうる国民では決してなく、その歯車を回すトップの『政治家』や『企業の経営者』であり、最も叩きコロさ…直さなければいけない存在なのだ。安部の持論は、全く以て笑止千万である。

「ストップ借りすぎ」とまるで債務者側があたかも悪いかのように現在喧伝している消費者金融と、安部は酷似している。一番最も改めなければいけない側が、相手に対してその姿勢を改めろと要求しているのだ。現に自民党議員の大半は、金融業者から多額の選挙資金を頂いている。日本の最も腐った部分同志、仲良し小好し、実にお似合いだ。

昨日、改めて実感した。
自民党では、今の日本を変えられない。

安部が「日本は美しい国」と瀕死の重病患者のようなうわごとを繰り返すなら、
こちらも同じように、同じ事をただ繰り返させていただく。

「自民党以外の政党なら、どこでもいい」
「自民党以外の政党なら、どこでもいい」
「自民党以外の政党なら、どこでもいい」
「自民党以外の政党なら、どこでもいい」
「自民党以外の政党なら、どこでもいい」
「自民党以外の政党なら、どこでもいい」

さあ、まだまだ序の口ですぞ。

「自民党以外の政党なら、どの政党でもいい」
「自民党以外の政党なら、どの政党でもいい」
「自民党以外の政党なら、どの政党でもいい」

まだまだー、続けるどー。

「自民党以外の政党なら、新党大地でもいい」
「自民党以外の政党なら、国民新党でもいい」
「自民党以外の政党なら、社民党でもいい」
「自民党以外の政党なら、共産党でもいい」
「自民党以外の政党なら、共産党でもいい」
「自民党以外の政党なら、共産党でもいい」
「自民党以外の政党なら、民主党でもいい」
「自民党以外の政党なら、民主党でもいい」
「自民党以外の政党なら、民主党でもいい」
「自民党以外の政党なら、民主党でもいい」
「自民党以外なら、2ちゃんねらーでいい(゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」
厚生労働省が先月、パーキンソン病と潰瘍性大腸炎に充てている公費補助の絞り込みの提案をした。「重度の患者のみ」にその対象を絞ろうというのだ。患者数が5万人を超え、「希少な病気」と言えなくなった、予算がないというのがその理由らしい。しかし、患者数は既に数年前に5万人を超えてたにもかかわらず、「何故今?」というのが正直な感想である。これも小泉が医療改革に着手してしまった影響であろう。家で寝たきりの病人よりも、まずはママンの財布が大事と言うことか。

そもそも『難病』とは何であろう?

難病情報センターのサイトには、『難病』を「(1)原因不明、治療方針未確定であり、かつ、後遺症を残す恐れが少なくない疾病、(2)経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病」と定義している。そして、国が難病(特定疾患)を研究 するかわりに、難病患者が都道府県に『申請さえすれば』高額な治療費の一部分を都道府県と国が負担してくれる。しかしながら、1年ごとに自分で更新しに行かなければ、失効してしまい、医療費の控除を受けられなくなってしまう。

パーキンソン病などは経済的に困窮している高齢者が多い。潰瘍性大腸炎の患者数は日本では8万人と言われ、アメリカでは100万人と言われているほど身近な病気なのである。日本の約10倍である。食の欧米化により日本での患者数も急増している。ほとんどの患者が、20代・30代と若くして発症している病である。生活的に安定していない世代に極めて多い病気と言えるかも知れない。

しかも、こういう難病患者は一生その病気と付き合っていかなければならない。根治したいけれども根治させる方法がまだ見つかっていないのだ。「重度の患者」に絞ると言うことだが、「軽度」であっても放置しておけばいずれ重度に至る。そうなってしまえば、それこそ本末転倒だ。だから、「現状維持」を目的とした対症療法がいかに大事であるか、というよりもそれしか生き残る方法がない。そこから援助を取ってしまうなど、「社会福祉・社会保障」を掲げる省が聞いて呆れる。ましてやこういう特定疾患は100数十種類はあるが、実際援助を受けているのは40数種類程度で、ここ10年ぐらいは新しい援助対象となる特定疾患の数は増えていない。予算がないから対象者を減らすではなく、援助対象の数を増やさないではなく、財務省からその不足分の予算をもぎ取るのが厚生労働省の役目だろうと!

障害者の自立を助けると騙し、結果的に重税を課した小泉にしろ、「弱者イジメ」というのが政府の中ではブームのようである。一方で小泉はアメリカ様に対して、米軍基地移動という名目で『数兆円もの貢ぎ物』を奉ると約束しているのだ。金銭感覚のない人間が、財政削減と叫んでも説得力がない。

昨日、各省庁は財務省に対して概算要求を出した。しかし、各省庁が歳出削減で予算を抑えている中、防衛庁は北朝鮮ミサイルなどを理由に挙げ予算額を跳ね上げた。確かに、将来的に北朝鮮がミサイルを撃ってくるかも知れない。しかしながら、アメリカが掲げているミサイル防衛構想は極めてその効果は不透明である。ましてや、数兆円もの価格と釣り合うかどうかは甚だ疑問である。もちろん、「ミサイル防衛構想を掲げること自体が駄目である」と言っているのではない。ただ巨額の税金を投資するまでのメリットや効果があるかどうかが甚だ疑問であると言っているだけである。

将来、国民に被害を出さないためと言っておきながら、現在苦しんでいる国民を救おうとしないというのは、かなり矛楯しているのではなかろうか。言うまでもなく、「医療>>>>(越えられない壁)>>>>>軍事・安保・防衛」である。防衛や安保とは戦争を防ぐ・負けないということだが、戦争を回避するには「外交」など軍事以外にも方法論としてあまたに存在している。しかしながら、医療は一つだ。

そもそも常識的に考えていただきたい。自分が「ガンで死ぬのか」or「戦争で死ぬのか」?そのどちらで人生の最後を迎える可能性が現実的に高いか?これはもう明白と言ってもいいぐらい、明白じゃないですか。日本はイラクやイランでもレバノンでもイスラエルではない。またそういう戦地に赴くようなフリージャーナリストでもない。つまり、何を最優先事項として扱うべきかも自ずと明白になってくる。もちろん軍事や安保を完全否定するつもりはない。しかし、それらが国家の最優先事項とは絶対になり得ない。現在苦しんでいる国民も救えないのに、「将来的に国民を危機から救います」とは片腹痛い。詭弁にも程がある。

今日、9月1日、安部は総裁選に正式に出馬表明をした。そして同じ日(正確には前日か)、ハンカチ王子こと斉藤は、アメリカ相手に三振の山を築き、三振ショーを見事に披露してくれた。しかし、ボンボン王子こと安部はと見てみると、さっそく大空回りしているではないか。憲法改正など、国民生活・市民生活に直結している問題ではない。これからどんどん三振の山を築き、世間に無様な空振りショーを披露しないか心配である。視線が明後日の方向に向いているのに、まともにボールなど打てるはずがない。

今の日本は『美しい国』とはほど遠い。
『汚物』と言っても何ら遜色はない。
日本が果たして、子供達が誇りを持てる国なのだろうか?
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