『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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●運営に携わっている人間の資質
「Wikipediaを辞めた理由①」でも述べたが、Wikipediaには30人の運営がいる。誰がどういう理由で選ばれたかがハッキリしない。いつの間にか、誰々というユーザーが運営に携わっていたと言うことがままある。特にWikipedia当初から携わっていた人間が今でも携わっている。当初はかなりユーザー数も少なく、要求されるレベルも低く、運営に向けられる視線も厳しくなかった。
どういう活動をしているか報告する義務もない。誰からも評価もされることは決してない。一度運営になってしまえば、余程の荒らし的な行為をしない限り、辞めさせられることもない。
運営の中には、大した記事を書いてる人間はほとんどいない。何か仲裁に入って、問題を収める能力がある人間がいるわけでもない。何故なら、幅広いジャンルの知識、それも専門的な知識があるわけでもないからだ。優れた問題処理能力のある人間もいない。
何か特別な才能や資格や、優れた部分があるから運営に携わっている人間はほとんどいない。Wikipediaの運営に携わろうとしているぐらいだから、Wikipediaに熱い情熱を持ったフリークなんだろうな程度が臭ってくるぐらいである。前にTVに出ていた運営の人間がまさにそれである。名前や顔やユーザー名は覚えていないが、コイツじゃ駄目だなというのが感想しか芽生えなかった。リアルでもそれが実感できた。
一般的、平均的レベルのユーザーの延長線上程度の人間が仕事ではなく、単なる日常生活の片手間のボランティアでやってるのだ。誰が考えても、一人当たりがこなせる仕事量の限界は自ずと知れている。であるならば、なおさら、この「30人」という数字が異様に少なく見えてくる。ボランティアだから常に監視できるわけじゃない。だからこそ、増やさなければいけないのである。
そもそも、誰が見てもこのユーザーが明らかに運営であると分かるようなシステムがない。監視されているという意識がないから、運営側が『緊張感』や『自覚』を持って仕事をすることがない。レベルも至って向上していないのであろう。
Wikipediaの運営は、小学校の学級委員程度の「お粗末」なものであるから、基本的に自分は運営側を全く信用していなかった。ハッキリ言って2ちゃんねる以下だという考えに変化はない。2ちゃんねるで言えば、リアルの日常生活で充実感が得られない何の取り柄もないアフォが、名無しの中でコテハンを付けて、何となく目立っているという錯覚で詰まらない精神的充実を得るそういう名無し的コテと性質が酷似している。
あとでも述べるが、Wikipediaはユーザーから多額の募金をせびっている。そのWikipediaに渡っている多額の金と、この運営とを比較すると、どう考えても釣り合っていなかった。しかもその運営が、他ユーザーよりも多額に寄付している訳でもない。もろもろ全般的に、Wikipediaを利用しやすくしている訳でもない。この運営がWikipediaにどんな貢献をしているのかと考えると、酷く興ざめした。
日々、肥大化していくWikipediaと、彼らごく少数の平凡な運営を対比させてみてみると、非常に空しくなった。そしてWikipediaに貢献する意欲が奪われた。
「Wikipediaを辞めた理由①」でも述べたが、Wikipediaには30人の運営がいる。誰がどういう理由で選ばれたかがハッキリしない。いつの間にか、誰々というユーザーが運営に携わっていたと言うことがままある。特にWikipedia当初から携わっていた人間が今でも携わっている。当初はかなりユーザー数も少なく、要求されるレベルも低く、運営に向けられる視線も厳しくなかった。
どういう活動をしているか報告する義務もない。誰からも評価もされることは決してない。一度運営になってしまえば、余程の荒らし的な行為をしない限り、辞めさせられることもない。
運営の中には、大した記事を書いてる人間はほとんどいない。何か仲裁に入って、問題を収める能力がある人間がいるわけでもない。何故なら、幅広いジャンルの知識、それも専門的な知識があるわけでもないからだ。優れた問題処理能力のある人間もいない。
何か特別な才能や資格や、優れた部分があるから運営に携わっている人間はほとんどいない。Wikipediaの運営に携わろうとしているぐらいだから、Wikipediaに熱い情熱を持ったフリークなんだろうな程度が臭ってくるぐらいである。前にTVに出ていた運営の人間がまさにそれである。名前や顔やユーザー名は覚えていないが、コイツじゃ駄目だなというのが感想しか芽生えなかった。リアルでもそれが実感できた。
一般的、平均的レベルのユーザーの延長線上程度の人間が仕事ではなく、単なる日常生活の片手間のボランティアでやってるのだ。誰が考えても、一人当たりがこなせる仕事量の限界は自ずと知れている。であるならば、なおさら、この「30人」という数字が異様に少なく見えてくる。ボランティアだから常に監視できるわけじゃない。だからこそ、増やさなければいけないのである。
そもそも、誰が見てもこのユーザーが明らかに運営であると分かるようなシステムがない。監視されているという意識がないから、運営側が『緊張感』や『自覚』を持って仕事をすることがない。レベルも至って向上していないのであろう。
Wikipediaの運営は、小学校の学級委員程度の「お粗末」なものであるから、基本的に自分は運営側を全く信用していなかった。ハッキリ言って2ちゃんねる以下だという考えに変化はない。2ちゃんねるで言えば、リアルの日常生活で充実感が得られない何の取り柄もないアフォが、名無しの中でコテハンを付けて、何となく目立っているという錯覚で詰まらない精神的充実を得るそういう名無し的コテと性質が酷似している。
あとでも述べるが、Wikipediaはユーザーから多額の募金をせびっている。そのWikipediaに渡っている多額の金と、この運営とを比較すると、どう考えても釣り合っていなかった。しかもその運営が、他ユーザーよりも多額に寄付している訳でもない。もろもろ全般的に、Wikipediaを利用しやすくしている訳でもない。この運営がWikipediaにどんな貢献をしているのかと考えると、酷く興ざめした。
日々、肥大化していくWikipediaと、彼らごく少数の平凡な運営を対比させてみてみると、非常に空しくなった。そしてWikipediaに貢献する意欲が奪われた。
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