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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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アニメ版を見て改めて思ったが、映画の方はやはり盛り上げ方というのか、演出が下手。原作(第一部)が完璧すぎた分、やはり映画は拙劣に思えた。

ライトのこだわり・執着が感じられない。本気で、新しい世界秩序の構築を考えていない。ただノートを使って、犯罪者を暗殺していってるだけ。実に機械的で、無機質。もっと毒々しく、禍々しい、エゴイズムが感じない。

Lを中途半端に似せようとするなら、ちゃんと原作通り、ライトは高校生で…という風に流れを踏襲すべき。

原作通りやりたくないのなら、中途半端に自分の独自色を出したいのなら、キャラも似せようとせず、徹底的に一から自分オリジナルの映画を制作すべきだったであろう。

映画では、ライトがリュークと外でペラペラと大声で喋っていた。FBIの細川に尾行されている時も、絶対にアレはバレていた。ライトが細川を発見したときは、海辺あたりで、声は通りづらかったかも知れないが、何もあの場所でしかリュークと喋っていなかったわけでないだろう。あのライトの調子では声が通りやすい場所でも喋っていたに違いない。

ライトとLの初対面時も、Lから仕掛けた感がない。ライトから瀬戸朝香を殺すことが契機で、Lと遭遇した。つまり、ライトが仕掛けた感じが強い。全く唐突感がなし、漫画と比較して、全然ドラマチックな出遭いではなかった。何を演出したかったのか。

+ + + + +


個人的な感想として、前編は既に早い段階でLと知り合っておくべきであった。そして、如何にLの名前を知ろうとするか、(つまり命を取り合う頭脳戦の攻防を展開して欲しかった。デスノの最大の見せ場が「頭脳戦」なのだ。何度も言うようだが、駆け引きが面白かった。狐と狐の化かし合い。電車男のように心の中の声が欲しかったところ。原作を見たら分かると思うが、ほとんど文字ばっかり。絵なんてオマケみたいなもの。

そして、ライトが自ら捕縛されに行き、自分のデスノートを埋めて、リュークと別れて…という時点で、前編を終了させ、後編に勿体ぶって繋げるべきだった。悪いが監督が瀬戸朝香にどんな思い入れがあったか知らんが、前半の山場にアレを持ってくるなんて、映画制作に絶望的と言ってもいい程、才能がないのではないか。いくら二部が詰まらなかったからと言って、一部を二回に分けるメリットはないに等しい。

アクションにしたいのなら、アクション映画にすれば良かった。
メロドラマにしたいのなら、メロドラマにすれば良かった。
推理映画にしたいのなら、推理映画にすれば良かった。
いや、むしろ映画もアニメで良かったじゃん的な? あれは何ていうジャンルと言ったらいいか、全く分からん。

日本の映画にしろドラマにしろ、最初の予告なりを見ると、そこそこ面白そうなんだけど、実際に見てみたら、中身がほとんど詰まっていないっていう典型的な映画だった。CGが凄いわけでもなく、出演している演者が凄いわけでもなく、『デスノート』という看板がなければ駄作の中野駄作だったことは間違いない。アニメの方が、クオリティーがかなり高い。日本の映画は駄目ぽ。
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