『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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11月1日、全国高校生・必修科目未履修問題で、文科省は「補習授業を70時間を上限に」という与党協議の方針に原則合意を示した。未履修授業数の平均は70時間ということ。生徒数で言ったら、6万人程度。しかし、それでも多いと公明党の抗議から、授業時間数自体は実質50時間程度で収まり、残りの20時間分はレポートで済まるという結論に流れている感じ。
ただやはり思う。学習指導要領と学校現場には大きな乖離が存在しているということを。大勢の生徒を前にして、あからさまに文科省が推し進めている「ゆとり教育」を批判した校長もいたほど。何だか早々に自殺をして、あの世へ旅立ってしまった校長が哀れに思えてくる。
この乖離の根本的な原因は、やはり文部科学省にある。全国何千とある学校の全てを束ねることはできないし、一律に○○は悲愁科目にしたから絶対に学ばせなさい、◇◇は選択科目だから自由に選ばせなさい、など命令してはならない。何が必要な教科であるかなんて、それこそ地域地域に合わせて、地域の教育委員会が独自で考えるべき。裁量をもっと与えるべき。文科省は大きな顔をして、出しゃばるべきではない。この文科省に強い権限があるということが、そもそも大間違いなのだ。
ハッキリ言えば、国の関与は出来るだけ薄めるべきなのだ。この問題で露見したことは、文科省は役立たずということ。文科省が指定した必修科目が、生徒にとってどれだけ無駄な教科であったか、“被害者”である生徒がメディアに向かってそれを証言してくれている。文科省は彼らの声に、真摯に傾けるべきだ。
ただやはり思う。学習指導要領と学校現場には大きな乖離が存在しているということを。大勢の生徒を前にして、あからさまに文科省が推し進めている「ゆとり教育」を批判した校長もいたほど。何だか早々に自殺をして、あの世へ旅立ってしまった校長が哀れに思えてくる。
この乖離の根本的な原因は、やはり文部科学省にある。全国何千とある学校の全てを束ねることはできないし、一律に○○は悲愁科目にしたから絶対に学ばせなさい、◇◇は選択科目だから自由に選ばせなさい、など命令してはならない。何が必要な教科であるかなんて、それこそ地域地域に合わせて、地域の教育委員会が独自で考えるべき。裁量をもっと与えるべき。文科省は大きな顔をして、出しゃばるべきではない。この文科省に強い権限があるということが、そもそも大間違いなのだ。
ハッキリ言えば、国の関与は出来るだけ薄めるべきなのだ。この問題で露見したことは、文科省は役立たずということ。文科省が指定した必修科目が、生徒にとってどれだけ無駄な教科であったか、“被害者”である生徒がメディアに向かってそれを証言してくれている。文科省は彼らの声に、真摯に傾けるべきだ。
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安部晋三が提唱する「教育再生会議」が、つい先日鳴り物入りで始まった。
主に「学力向上」と「規範意識の再生」を重点的に掲げている。具体的には、全ての子供に高い学力と規範意識を身につけさせる機会を、国や自治体が保証するという内容を謳っている。つまり、大雑把(おおざっぱ)に言ってしまえば、「公教育の再生」な訳ですね。
そして10月30日、衆議院「教育基本法」特別委員会質疑が始まった。
当然の如く、「必修科目・未履修高校生問題」が野党の槍玉に挙げられた。「学習指導要領を破る」ということは、「規範意識」の放擲を意味している。しかしながら、それは同時に「学力向上」という正の側面も生み出している。安部が掲げている目標なり理想は、相反している要素が潜在的に含まれているのではないかと思ってしまう。
生徒自身がいくら知らなかったとは言え、少なくとも、その「規範意識」の放擲の恩恵は被っている。その「規範意識」を守らせる意識を芽生えさせようと思えば、自分の目標の大学合格処か、高校卒業すら危ぶまれる事実。それは彼らの現在の高い(多分)学力は、規範意識の放擲がなければ、確保できなかった事実を示している。そして、規範意識を遵守させれば、その高いとされる学力が低くなってしまう恐れが高いことも意味している。
もし、生徒達が「学力は低くならない」のだと強弁を張るつもりなのであれば、安部が主張しているような特例措置は全く必要がないことになる。安部は文科相の伊吹に対して、この未履修問題児達を早急に救う手立てを考えてやれと宣っている。
ただこれからの授業時間数減をもたらした「ゆとり教育」のあり方、大学受験のあり方、学習指導要領のあり方、この3点を同時並行的に処置していかなければならない。早急に救う手立てを考えてやれ、とは安部が将来的に日本の教育をどうしたいかを、元々考え切れていなかった証拠。ただノリで宣っていただけだったのだろうかとさえ疑いたくなる。
主に「学力向上」と「規範意識の再生」を重点的に掲げている。具体的には、全ての子供に高い学力と規範意識を身につけさせる機会を、国や自治体が保証するという内容を謳っている。つまり、大雑把(おおざっぱ)に言ってしまえば、「公教育の再生」な訳ですね。
そして10月30日、衆議院「教育基本法」特別委員会質疑が始まった。
当然の如く、「必修科目・未履修高校生問題」が野党の槍玉に挙げられた。「学習指導要領を破る」ということは、「規範意識」の放擲を意味している。しかしながら、それは同時に「学力向上」という正の側面も生み出している。安部が掲げている目標なり理想は、相反している要素が潜在的に含まれているのではないかと思ってしまう。
生徒自身がいくら知らなかったとは言え、少なくとも、その「規範意識」の放擲の恩恵は被っている。その「規範意識」を守らせる意識を芽生えさせようと思えば、自分の目標の大学合格処か、高校卒業すら危ぶまれる事実。それは彼らの現在の高い(多分)学力は、規範意識の放擲がなければ、確保できなかった事実を示している。そして、規範意識を遵守させれば、その高いとされる学力が低くなってしまう恐れが高いことも意味している。
もし、生徒達が「学力は低くならない」のだと強弁を張るつもりなのであれば、安部が主張しているような特例措置は全く必要がないことになる。安部は文科相の伊吹に対して、この未履修問題児達を早急に救う手立てを考えてやれと宣っている。
ただこれからの授業時間数減をもたらした「ゆとり教育」のあり方、大学受験のあり方、学習指導要領のあり方、この3点を同時並行的に処置していかなければならない。早急に救う手立てを考えてやれ、とは安部が将来的に日本の教育をどうしたいかを、元々考え切れていなかった証拠。ただノリで宣っていただけだったのだろうかとさえ疑いたくなる。
富山のある高校が国が定めた必修科目を履修させずに、受験に必要な科目を重点的に授業を行っていた。そして、結果的に単位が足らず、高校すら卒業できない状態に陥っている高校生が問題となっている。その数は3年生全員。つまり、この高校の今年(来年?)の卒業生は0(ゼロ)ということになる。進学校であるだけに、極めて不名誉な汚点を残す。
既に周知の事実だが事の経緯を簡単に説明すると、地理・日本史・世界史の内、いずれか2科目を履修しなければならなかったが、受験で世界史を取る生徒が居なくなったため、地理と日本史の授業で世界史の中身を済ませようとした模様。しかし、結果的に、学習指導要領の規定を満たさないことになり、卒業させないこととなった。当たり前だそんなことが認められてあっていいはずがない。
そして、10月25日には富山だけではなく、何と11道県で62校が不履修であることが続々と発覚した。
松井秀喜の母校である石川県の星陵高校も含まれていた。私学公立問わずである。ほとんどが国立大学や超私学の入学を目指している進学校、超進学校の高校ばかりが散見された。そもそも、高校すら卒業できない低学歴の烙印が押されてしまうかも知れない屈辱的な現実。もし就職活動をして、面接官に「高校卒業したのが、19歳となってるけど、留年でもしたの?」と聞かれるわけだ。超高学歴になりたがってる無駄に野心を抱いている糞餓鬼には、屈辱・汚辱・恥辱の三点セットである。
受験を重視した対策を取った結果、受験に泣くという皮肉な事実に、自分は同情すればいいのか、しっかりと嘲笑してあげればいいのか分からない。
既に周知の事実だが事の経緯を簡単に説明すると、地理・日本史・世界史の内、いずれか2科目を履修しなければならなかったが、受験で世界史を取る生徒が居なくなったため、地理と日本史の授業で世界史の中身を済ませようとした模様。しかし、結果的に、学習指導要領の規定を満たさないことになり、卒業させないこととなった。当たり前だそんなことが認められてあっていいはずがない。
そして、10月25日には富山だけではなく、何と11道県で62校が不履修であることが続々と発覚した。
松井秀喜の母校である石川県の星陵高校も含まれていた。私学公立問わずである。ほとんどが国立大学や超私学の入学を目指している進学校、超進学校の高校ばかりが散見された。そもそも、高校すら卒業できない低学歴の烙印が押されてしまうかも知れない屈辱的な現実。もし就職活動をして、面接官に「高校卒業したのが、19歳となってるけど、留年でもしたの?」と聞かれるわけだ。超高学歴になりたがってる無駄に野心を抱いている糞餓鬼には、屈辱・汚辱・恥辱の三点セットである。
受験を重視した対策を取った結果、受験に泣くという皮肉な事実に、自分は同情すればいいのか、しっかりと嘲笑してあげればいいのか分からない。
8月8日、奈良県大淀町立病院で分娩中の妊婦が、脳内出血のため意識不明の重体に陥り、受け入れ先の病院が見つからず、6時間も放置された。そして、大阪府内で見つかった受け入れ先の国立循環器病センターに搬送され、男児を帝王切開で出産した8日後に死亡した。
死因は脳内出血。8月7日に入院した亡くなった妊婦に、主治医は分娩誘発剤を投与。日をまたぐ8日午前0時ごろ頭痛を訴え、約15分後に意識を失う。全身痙攣も発症。この主治医は典型的な妊婦中毒症である「子癇発作」と判断。痙攣を和らげる薬を投与した直後、この主治医は仮眠室で仮眠を取る。しかし、同病院の内科医や遺族はCTスキャンすることを懇願していた。
そして、約2時間後の午前時50分ごろに、産婦人科拠点施設・県立医大付属病院に受け入れを依頼するも拒否される。その後も、19にも上る病院に依頼をするが全て県内の病院からは「ベッドが満床」という理由で拒否される。そして、6時間後の午前6時に約60キロ離れた大阪府吹田市の国立循環器病センターに搬送されるも、脳内出血で死亡した。そして、10月18には奈良県警が業務上過失致死容疑で主治医を捜査している。
メディアは、「満床」という理由で受け入れを拒んでいた病院を槍玉に挙げている。ちゃんと受け入れてさえいれば、彼女は助かっていただろうというのである。
しかし、事はそう簡単ではない。産科医が訴訟を起こされる割合は、医師全体が起こされる訴訟の約5%にも上る。非常に高い。2004年度の話だが、産婦人科医1000人あたり起こされる医療事故訴訟件数は11.8件。腹や脳にメスを入れる外科ですら9.8件であることを考えると、訴訟率が圧倒的に多いことが誰の目からも明らかである。現に、出生数2000人あたり1人以上に脳性まひが発生しているとされる。手術は医者の腕で何とかなるが、出産はまさしく自然の出来事。ただ無事産まれてくるように産科医は待ってるだけなのだ。本来やれることは少ないのかも知れない。
死因は脳内出血。8月7日に入院した亡くなった妊婦に、主治医は分娩誘発剤を投与。日をまたぐ8日午前0時ごろ頭痛を訴え、約15分後に意識を失う。全身痙攣も発症。この主治医は典型的な妊婦中毒症である「子癇発作」と判断。痙攣を和らげる薬を投与した直後、この主治医は仮眠室で仮眠を取る。しかし、同病院の内科医や遺族はCTスキャンすることを懇願していた。
そして、約2時間後の午前時50分ごろに、産婦人科拠点施設・県立医大付属病院に受け入れを依頼するも拒否される。その後も、19にも上る病院に依頼をするが全て県内の病院からは「ベッドが満床」という理由で拒否される。そして、6時間後の午前6時に約60キロ離れた大阪府吹田市の国立循環器病センターに搬送されるも、脳内出血で死亡した。そして、10月18には奈良県警が業務上過失致死容疑で主治医を捜査している。
メディアは、「満床」という理由で受け入れを拒んでいた病院を槍玉に挙げている。ちゃんと受け入れてさえいれば、彼女は助かっていただろうというのである。
しかし、事はそう簡単ではない。産科医が訴訟を起こされる割合は、医師全体が起こされる訴訟の約5%にも上る。非常に高い。2004年度の話だが、産婦人科医1000人あたり起こされる医療事故訴訟件数は11.8件。腹や脳にメスを入れる外科ですら9.8件であることを考えると、訴訟率が圧倒的に多いことが誰の目からも明らかである。現に、出生数2000人あたり1人以上に脳性まひが発生しているとされる。手術は医者の腕で何とかなるが、出産はまさしく自然の出来事。ただ無事産まれてくるように産科医は待ってるだけなのだ。本来やれることは少ないのかも知れない。
今月10日、高田と向井の子供達の出生届を東京高裁に受理するよう命じられた東京都品川区が、その決定が不服であるとして、最高裁への許可抗告を同高裁に申し立てた。この知らせを聞いた多くの不妊で悩んでおられる方々はさぞ落胆したに違いない。
高田の精子と、向井の卵子が結合して生まれた個体なのだ。遺伝的にも99.9999%、実子であると証明されている。向井は子宮ガンに罹患してしまい、子宮を全摘出して既に自分の体内にない。子供を欲しいと思えば、代理出産をするしか道が残されていないではないか。個体になるまで育まれた子宮が違うというだけで、自分の子供として認められないのは不自然極まりない。こんなことを言うと、養子で十分じゃないか、養子だと何か幸福になれないのか、という詭弁が聞こえてきそうである。
問題は父親の精子と母親の卵子で生まれた、普通の子供が何故、自分の子供として認められないかという点だけだ。いい加減、古い最高裁判決や、古い価値観の呪縛から抜け出さなくてはならないと思う。逆に何故、その古い考えに固執して、自分の子供として認めてやらないのか意味が分からない。
昔の知識や科学や医学と、今の知識や科学や医学とはかなり乖離している。比較にならないほど医学は進歩している。昔と今を、同じ土台で比較すべきでないことは明白。何を以てして自分の子供を定義づけるべきなのか、新たな段階に来ている。
代理母ビジネスが横行するという懸念があるらしいが、別にそれの何が問題というのだろう?
高田の精子と、向井の卵子が結合して生まれた個体なのだ。遺伝的にも99.9999%、実子であると証明されている。向井は子宮ガンに罹患してしまい、子宮を全摘出して既に自分の体内にない。子供を欲しいと思えば、代理出産をするしか道が残されていないではないか。個体になるまで育まれた子宮が違うというだけで、自分の子供として認められないのは不自然極まりない。こんなことを言うと、養子で十分じゃないか、養子だと何か幸福になれないのか、という詭弁が聞こえてきそうである。
問題は父親の精子と母親の卵子で生まれた、普通の子供が何故、自分の子供として認められないかという点だけだ。いい加減、古い最高裁判決や、古い価値観の呪縛から抜け出さなくてはならないと思う。逆に何故、その古い考えに固執して、自分の子供として認めてやらないのか意味が分からない。
昔の知識や科学や医学と、今の知識や科学や医学とはかなり乖離している。比較にならないほど医学は進歩している。昔と今を、同じ土台で比較すべきでないことは明白。何を以てして自分の子供を定義づけるべきなのか、新たな段階に来ている。
代理母ビジネスが横行するという懸念があるらしいが、別にそれの何が問題というのだろう?
去年9月、愛媛県の宇和島徳洲会病院で行われた生体腎臓移植手術で臓器売買があったとして、移植手術を受けた男とその妻が臓器移植法違反で逮捕されて5日ほど経つ。
この事件で面白かったのが、移植手術を受けた男が、臓器を提供した側のドナーに200万円ばかり借金をしていたいうことだ。普通逆ではないのかなと思う。臓器を提供した側のドナーが移植手術を受けた側の男に借金をし、借金返済をして貰う代わりに、自分の臓器を提供するという流れであれば、何となく納得は出来る。しかし借金をしてる側が、何故臓器を提供して貰えるのかが、世の中は本当に分からない。
何でも男はドナーに対して「臓器を提供してくれたら、300万円を上乗せして返済する」と言っていたそうだ。しかし現金30万円と150万円相当の新車しか渡して貰えず、ドナーは泣く泣く県警に相談し、事態が発覚した。このドナーは只のお人好しなのか、只のバカなのか良く分からない。
腎臓移植の希望登録者数は約1万1500人と言われているが、実際に腎移植が行われている件数は約1000件しか行われていない。この現実を見ると、どれだけの患者が日本国内で今も苦しんでいるか想像するに難くない。中には移植を10~20年近く待ち続けている患者も決して少なくない。
この容疑者の男は、糖尿病性腎不全で人工透析を受けていたが、症状が悪化してしまい、腎移植を早急に行わなければ死に至ったらしい。死の淵に追いやられた人間に対して、誰が「金で臓器を買ってはなりません」と諭すことが出来るのだ。誰が瀕死の状態の死にかけの人間に対して、「どうしてそこまでして生きようとするの?」と厚顔無恥丸出しに声を掛けることが出来るのだ。死の前では、「倫理」は無力なのだ。恐怖心すら取り去ってやることも出来なかった。
自分が常々「生き残るためなら、どんな犯罪行為も許される」と思っているのはこういう理由だ。
この事件で面白かったのが、移植手術を受けた男が、臓器を提供した側のドナーに200万円ばかり借金をしていたいうことだ。普通逆ではないのかなと思う。臓器を提供した側のドナーが移植手術を受けた側の男に借金をし、借金返済をして貰う代わりに、自分の臓器を提供するという流れであれば、何となく納得は出来る。しかし借金をしてる側が、何故臓器を提供して貰えるのかが、世の中は本当に分からない。
何でも男はドナーに対して「臓器を提供してくれたら、300万円を上乗せして返済する」と言っていたそうだ。しかし現金30万円と150万円相当の新車しか渡して貰えず、ドナーは泣く泣く県警に相談し、事態が発覚した。このドナーは只のお人好しなのか、只のバカなのか良く分からない。
腎臓移植の希望登録者数は約1万1500人と言われているが、実際に腎移植が行われている件数は約1000件しか行われていない。この現実を見ると、どれだけの患者が日本国内で今も苦しんでいるか想像するに難くない。中には移植を10~20年近く待ち続けている患者も決して少なくない。
この容疑者の男は、糖尿病性腎不全で人工透析を受けていたが、症状が悪化してしまい、腎移植を早急に行わなければ死に至ったらしい。死の淵に追いやられた人間に対して、誰が「金で臓器を買ってはなりません」と諭すことが出来るのだ。誰が瀕死の状態の死にかけの人間に対して、「どうしてそこまでして生きようとするの?」と厚顔無恥丸出しに声を掛けることが出来るのだ。死の前では、「倫理」は無力なのだ。恐怖心すら取り去ってやることも出来なかった。
自分が常々「生き残るためなら、どんな犯罪行為も許される」と思っているのはこういう理由だ。
腎移植には、「生体腎移植」と「死体腎移植」(献腎とも呼ばれる)がある。そして今回問題となったのが前者だ。
日本の「生体腎移植」は、日本移植学会の倫理指針によると臓器提供者を6親等以内か、配偶者の3親等以内の血縁者に限定されている。だから、今回ドナーとなった女は自分が男の「妹」だと嘘をついた。6親等とは例えば「玄孫の孫」「甥・姪の曾孫」「いとこの孫」を指す。見ての通り、かなり自分からは離れていることが分かる。ほとんど他人と言って差し支えない。誰がこんなに離れた血縁者を確認できるのだと疑問に思わざるを得ない。病院に対して、興信所でも雇えと言うのだろうか。
例えば、アメリカや欧州・オーストラリアでは殆どが後者の献腎、つまり「死体腎移植」によるもの。アメリカでは年間1万例以上もの腎移植が行われている。しかし、例えば日本の場合、2004年に実施された腎移植はたった900件。しかも、そのうちの8割の727件は「生体移植」によるものだった。
もっとオープンな形で、臓器の売買が行われるような制度作りを考えるべきだろう。日本は、アメリカ、欧州の場合では根本的に腎移植に対する関心も、手術例も天と地ほどの差がある。簡単に同列に比較してはならない。このまま「臓器売買」の再発防止を考えたところで意味はない。むしろ救われるべき患者の数が減るだけである。断言する。日本では死体腎移植が増えない。
宇和島徳洲会病院は、脳死や心臓停止後に提供される臓器を斡旋する「日本臓器移植ネットワーク」に加入していなかったらしい。しかし加入していたからと言って、今回の問題が起きなかったとは到底思えないし、腎臓病で苦しんでいる患者の命が救われたとは絶対に思えない。何故なら、前述通り日本の腎移植の殆どが「生体移植」によるものだからだ。
善意で臓器を提供する優しい日本人はいないのだ。金で何とか出来るなら、何とかしたいと思うのが人間だ。これを悪いことなどとは、誰も決して断罪は出来ない。健康体の何も苦労を知らない人間が何を言っても説得力がない。生きるためなら何でもしていいんだよ。それでも駄目だと非難するのであれば、お前らが彼らを救ってやれ。救ってもやれない癖に、減らず口を叩くな。日本で誰も助けてくれないから、こういう日本の腎臓移植の希望登録者数は中国などに助けを求めに渡っていることを忘れるな。
むしろ金で病気が何とか出来るなら、金で何とかしてやりたいと思うのが「人としての情」だろう。世の中、金で病気を根治できない病気は腐るほどある。無念の内に亡くなっていく患者も多い。「金で臓器を買うな」という下らない「倫理観」のために、圧倒的多数の健康体の理想論のために、何故、移植を待ちわびている多くの弱者である患者が犠牲にならなければいけないのか理由が見つからない。弱者を犠牲にしてまで守るべき「倫理」や「人の道」とは何ですか?教えてくださいよ。人の死や命よりも重要な概念や観念とは、一体全体何なんですか?
朝日新聞のコラムでは、「人間を形作り、その命を支えているものが、金銭で取引されてはたまらない。」と暗に臓器売買を非難していた。「倫理」という下らない概念を守るために、病で苦しんでいる患者をその取引にされてはたまらない。命を蔑ろにしているのはどっちだ、馬鹿野郎と。腎臓は二つある。一つ減ったところで、生活に大して支障はない。それで命を支えている一つの臓器で、命そのものを救うことが出来るのだ。何が悪い?
臓器を提供したドナーが逮捕された男の妹だと鵜呑みした医者を非難する大馬鹿もいる。臓器移植を速やかに行わせなくしてどうするのだ。ますます腎移植の手術の数自体が激減するだけである。それだけの患者の命が救われなくなるということだ。結果、苦しむのは健康体の人間ではなく、病気の患者なのだ。健康体の人間に病気の患者を苦しめる権利は絶対にない。
しかし、5日には、その手術を行った執刀医が、男の妻に対して「ドナーが約束の車を渡すのはいつだ?」と催促の電話していたらしいということが発覚している。もしこの臓器売買の仲介として金銭を授受していれば、臓器移植法に抵触する恐れが出てきた。ただこの執刀医が逮捕されてしまうと、これから手術をすれば助かるであろう患者の未来がどうなってしまうか心配である。
人を救うのに「綺麗事」は必要ない。
むしろ「邪魔者」以外の何者でもないのだ。
「人を救う」ということは一体どういう事かを、今一度考え直すべきである。
最優先すべきは「患者」だ。
それ以外の何者でもない。
役に立たない「倫理」など捨ててしまえ!
日本の「生体腎移植」は、日本移植学会の倫理指針によると臓器提供者を6親等以内か、配偶者の3親等以内の血縁者に限定されている。だから、今回ドナーとなった女は自分が男の「妹」だと嘘をついた。6親等とは例えば「玄孫の孫」「甥・姪の曾孫」「いとこの孫」を指す。見ての通り、かなり自分からは離れていることが分かる。ほとんど他人と言って差し支えない。誰がこんなに離れた血縁者を確認できるのだと疑問に思わざるを得ない。病院に対して、興信所でも雇えと言うのだろうか。
例えば、アメリカや欧州・オーストラリアでは殆どが後者の献腎、つまり「死体腎移植」によるもの。アメリカでは年間1万例以上もの腎移植が行われている。しかし、例えば日本の場合、2004年に実施された腎移植はたった900件。しかも、そのうちの8割の727件は「生体移植」によるものだった。
もっとオープンな形で、臓器の売買が行われるような制度作りを考えるべきだろう。日本は、アメリカ、欧州の場合では根本的に腎移植に対する関心も、手術例も天と地ほどの差がある。簡単に同列に比較してはならない。このまま「臓器売買」の再発防止を考えたところで意味はない。むしろ救われるべき患者の数が減るだけである。断言する。日本では死体腎移植が増えない。
宇和島徳洲会病院は、脳死や心臓停止後に提供される臓器を斡旋する「日本臓器移植ネットワーク」に加入していなかったらしい。しかし加入していたからと言って、今回の問題が起きなかったとは到底思えないし、腎臓病で苦しんでいる患者の命が救われたとは絶対に思えない。何故なら、前述通り日本の腎移植の殆どが「生体移植」によるものだからだ。
善意で臓器を提供する優しい日本人はいないのだ。金で何とか出来るなら、何とかしたいと思うのが人間だ。これを悪いことなどとは、誰も決して断罪は出来ない。健康体の何も苦労を知らない人間が何を言っても説得力がない。生きるためなら何でもしていいんだよ。それでも駄目だと非難するのであれば、お前らが彼らを救ってやれ。救ってもやれない癖に、減らず口を叩くな。日本で誰も助けてくれないから、こういう日本の腎臓移植の希望登録者数は中国などに助けを求めに渡っていることを忘れるな。
むしろ金で病気が何とか出来るなら、金で何とかしてやりたいと思うのが「人としての情」だろう。世の中、金で病気を根治できない病気は腐るほどある。無念の内に亡くなっていく患者も多い。「金で臓器を買うな」という下らない「倫理観」のために、圧倒的多数の健康体の理想論のために、何故、移植を待ちわびている多くの弱者である患者が犠牲にならなければいけないのか理由が見つからない。弱者を犠牲にしてまで守るべき「倫理」や「人の道」とは何ですか?教えてくださいよ。人の死や命よりも重要な概念や観念とは、一体全体何なんですか?
朝日新聞のコラムでは、「人間を形作り、その命を支えているものが、金銭で取引されてはたまらない。」と暗に臓器売買を非難していた。「倫理」という下らない概念を守るために、病で苦しんでいる患者をその取引にされてはたまらない。命を蔑ろにしているのはどっちだ、馬鹿野郎と。腎臓は二つある。一つ減ったところで、生活に大して支障はない。それで命を支えている一つの臓器で、命そのものを救うことが出来るのだ。何が悪い?
臓器を提供したドナーが逮捕された男の妹だと鵜呑みした医者を非難する大馬鹿もいる。臓器移植を速やかに行わせなくしてどうするのだ。ますます腎移植の手術の数自体が激減するだけである。それだけの患者の命が救われなくなるということだ。結果、苦しむのは健康体の人間ではなく、病気の患者なのだ。健康体の人間に病気の患者を苦しめる権利は絶対にない。
しかし、5日には、その手術を行った執刀医が、男の妻に対して「ドナーが約束の車を渡すのはいつだ?」と催促の電話していたらしいということが発覚している。もしこの臓器売買の仲介として金銭を授受していれば、臓器移植法に抵触する恐れが出てきた。ただこの執刀医が逮捕されてしまうと、これから手術をすれば助かるであろう患者の未来がどうなってしまうか心配である。
人を救うのに「綺麗事」は必要ない。
むしろ「邪魔者」以外の何者でもないのだ。
「人を救う」ということは一体どういう事かを、今一度考え直すべきである。
最優先すべきは「患者」だ。
それ以外の何者でもない。
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