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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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何かを調べようとググったとき、たまたま引っかかったブログをたまに閲覧することがある。ただ自発的、率先的に閲覧しているブログはない。AV女優やU-15のブログはたまに見る。と言っても、1ヶ月に2・3回ぐらいと、頻度はかなり低い。何かの撮影をやったかなと、ちょっと調べるぐらい。ただ政治的なブログは一切見ない。ましてや中朝韓を扱ったブログは眼中すらない。たまにGoogleで引っかかったブログを、流し読みしていていつも思う。ほとんどコメント欄が0の記事が多いなと。

コメントは、何のために存在しているのだろうと。エログについても、コメントがいっぱいついてるブログは少ない気がする。エログは『Firefox』のAdblockで消しても、広告がうざすぎるので、そもそもまったくと言っていいほど見てないから、あんまり当てになる意見ではないが。

共通の職種や業種の人間がやってるブログを発見して、思わず「昔の友達に遭遇した感情」を抱いて、挨拶コメントを送信していても、それ以降の記事を見ていても、コメントが0ってのが多い。所詮希薄な関係しか築けない。ほとんど利用されているとは思えない。では、何のためにコメントを許可しているのか。

もし第三者・他人との交流を求めていて、その入り口としてコメント欄を設けているのか。自分の意見に対して、誰かの評価や感想を聞きたいから設けているのか。

+ + + + +


しかし新しい記事でも書かない限り、相手がコメントのしようがない。誰かと知り合いになっても、定期的に自分は記事を書かなければ、関係や交流を維持できないし、発展もさせることも出来ない。あまり便利なコミュニケーションツールとは言えないかも知れない。

下手したらコメントして貰うために記事を書く、という何だか不思議な状況が出来上がる。あることに対して自分が思った丈を書きたいから記事にするのではなく、誰かにコメントして欲しいから、その手段として記事を書くのだ。自分が記事を書かなければ成立しない。こういう交流は、ある意味、一方方向なコミュニケーションであり、全然開かれた交流とはなかなか言い難い面もある。

つまらない何でもない記事を書いたとしても、相手もコメントがしづらい。むしろ、2行3行で記事で終わらせれば、相手に不愉快すら与えてしまう。良好な関係を築くどころか、これからの関係に悪影響を与えてしまう。だからといって、記事を書かなければ、交流が成立しないので、これもこれでお互いの関係に悪影響を与える。そんな面白いネタなんてポンポン落ちてる訳ではない。

だからといって、自民党・杉村太蔵のように誰かの文章なりをパクる訳にもいかない。誰かの声が欲しいが為に、特に書きたくもない記事を無理矢理書く。何のためにブログを書いてるのか、訳が分からんようになってくる。それに頭をもたげて、ブログを続ける熱情が失せて、更新が滞ってるAV女優が何人いることか分からない。



ましてや有名になりすぎると、冷やかしや悪戯のコメントも増えてくるそういうコメントを監視したり、削除したり、非常に管理が面倒くさくなる。そして、コメント欄が制限されたり、下手したら急にコメントができなくされることすらある。具体的に名前は出さないけど、女性アイドルとか結構多い気がする。

きっことか有名すぎるブログは、逆にコメント欄は用意されていない。それが証左かも知れない。自分の考えや疑問主張を世間に伝えたいとしたら、コメントを無くすのが一番効果的で効率的。いちいち第三者の意見に耳を貸す義務を負ったり、相手をしてあげる義務がなくなる言わば、コメント欄はカウンセラー的役割をこちら側は負わされる。相手が送信してきたコメントには必ず、耳を貸して、適切で、だからといって、自分の異議や主張を曲げない答えを返してやらなければならない。そして、面倒くさいからと言って、ちゃんとコメントを返さなければこっちが無礼者に映る。何もしてなくても、こっちが悪い人間が映るのだ。ウンコをしてて電話に出られなかったからと言って、相手が一方的にこっちを糾弾・非難するようなものである。

コメント欄で延々と議論が始まることがある。掲示板でやれよみたいな話。ブログの管理人は自分だから、その議論から逃れることは出来ない。自分の家にズカズカ不法侵入してきた強盗を、暴力や公権力に頼らず、延々と自らの口で説得して出て行ってもらうみたいな理不尽な状況で、独りで戦わなければならない。俗に「炎上」と呼ばれ、これで潰れたブログは数知れず。こんな面倒くさいことを強いられれば、何のためのブログを開設するか分からなくなる。

ましてや自分が気に入らないコメントを消せば、消された方は言論弾圧だと叫ぶ。これも馬鹿らしい。相手の家に勝手に土足で入り込んで、わーわー喚いてれば、警察に通報されて、強制的に追い出されるに決まってる。自分の家なんだから、どういうコメントを残そうが、個人の自由で、誰もそれを侵害できないはず。

しかも、そういうことはブログ持てば、誰でも出来るのは周知の事実。与えられている権利を行使したに過ぎない。つまり、ブログは誰にとっても平等で公平な環境ではない。だから、議論したければ、公平な目で見てくれる第三者しか削除権限のない2ちゃんねるとかのような掲示板とかに場所を移すのが最も適切。元々不公平な環境で延々と議論しようと思う方が馬鹿。ましてや自分のコメントが消されたことに逆恨みしたのか、余程日常的に何かを書くネタがないのか分からないけど、鬼の首を取ったかのようにブログに「Ψ(`∀´)Ψケケケ」ってな具合に、短絡的な罵倒記事を載せる。

そして、「コメントを許可してないブロガーはへたれの王様なんだぜ」みたいな捨て台詞を吐く。コメントなんて所詮オマケみたいなもの。自分の記事に第三者の他人が意見させてやる権利や余地を与えてやっているに過ぎない。

肝心なことは、記事で自分の本音をぶつけられてるかどうか。こういうコメント欄での議論の応酬(所謂、炎上)を気にして、言葉を選びながら、遠慮しながら、記事を書いてるなんて本末転倒だし、何が面白くてブログなんかやってるんだと小一時間問い質(ただ)したい。リアルでも自分を押し殺し、ネットでも自分を押し殺して、何が楽しいんだと。

全面的にコメントを開放してるならまだしも、制限付きでコメントを許可してるブログは、ますます分からない。送信されたコメントを公開するかしないかを、そこのブログの管理人が一度閲覧して、許可を出す。自分に対する非難のコメントでも、許可するかしないかを判断するには、一度は見なければいけない。つまり、一度は自分は傷つけられるわけですね。

企業やタレントのブログであれば、第三者の会社とかスタッフとかに任せることは出来る。でも、個人の場合は、そうはいかない…。そこまでしてコメント欄を維持するメリットはあるのか。他人の庭である2ちゃんですら、自分に向けられた敵意ではないのだけれども、スレを荒らしてるような奴を見ると、イラッとさせられる。その敵意が自分に向いているにも関わらず、それを我慢できる人間は勝手に脳内で快楽に変換できる余程のマゾな方なんだろう。羨ましい才能だ。そこまでして、全く金にならないコメント欄を維持させたい情熱が理解できない。



でも、一方的に批判するのもあれなんで、一応そのメリットを考えた。アクセス数の多いブログにコメントを残せば、自分のブログを宣伝することが出来る。でも、自分が継続的に面白い記事を書いていなければ、結果的にアクセス数が減る。一時的な効果は見られても、ほとんどそれは意味はない。直接、タレントが開設してるブログに書き込むことで、彼・彼女が直接読んでくれると思いこめる。ただ携帯でブログを書いてるタレントも多く、コメント欄は他の誰かが管理してる場合も少なくない。実際、見てるかどうか分からない。たまにコメントしてくれた人間に、コメントを返してるブログがあるけど、それはそれでコメントしてない人間からすれば見づらいだけ。そんな記事を書くよりも、さっさと日常のことを書いてくれよと思ってしまう。

でも、これも結果的には「金」である。アクセス数が増えることは、単純に知名度が向上してるということ。結果的に、多くの人間に知って貰えることが出来れば、DVDの売り上げが伸びたり、業界関係者も多く閲覧してたりもするため、次の作品やTV番組やドラマに出演するためのキッカケ作りという側面がかなり大きい。タレントやタレント予備軍にしてみれば、コメント欄を設けるメリットはあるかも知れない。ファンとの交流は、ファンが何を求めているか知ることと、自分を知って貰える手段の一つで、アクセス向上のために一助にはなるかも知れない。そのために、ブログを書くモチベーションを維持できるかも知れないが、ブログを開設しているユーザーのほとんどは一般人。

TVメディアで取り上げられているブログをたまに見かけるが、そのほとんどはアフィリエイト関連。「私、これぐらい儲けざましたのよ(^0^ヘュオッホホ」ってな具合に、成金ぶりを見せつけられる程度である。つまり、金こそがブログを開設している根源的なモチベーションという訳である。また他には本当に些細な日記も見られる。リアルで知人とかが書き込みしてたりする場合もある。ただそういうブログに限って、長続きしない。日常的に面白いことが頻発するわけがない。



コメントを貰う側が、他のブログに対して頻繁にコメントを送信してるかと言えば、そうではない。ブログなんて所詮『個人の日記』。何故、第三者である他人を第一義的に考えて、運営しなければならないのか疑問で仕方がない。そういう見えない相手に気を取られ、そこに労力を割けば、自分が記事を書く時間や労力がかなり割かれてしまう。結果的に、そのブログは廃れてしまう。金が絡む訳でもなし、何故、こちらが無意味なストレス(コメント)と対峙しなければいけないのか、その必要性を見いだすことは不可能だ。

基本的にブログを開く動機として、世間に何かを伝えたいから開設をする訳だ。そもそも、その明確な動機がなければ長続きしない。「何となく」という気持ちで初めて、長続きした試しなんてほとんどの国民はないだろう(仕事を除いて)。ブログで金を稼ぐことは不可能に等しい。つまり、金でブログの持続力を維持することは無理らしいということ。だから、なおさらその明確な動機が必要となる。金は結果的について来るもの。

コメント欄は、熱情を萎えさせる青髭バーコードのブリーフハゲ親父のような存在でしかない。コメントが付いたら楽しい。でも付かなかったら楽しくない。当初はコメントが付いてたのに、何でコメントが付かなくなったんだろう。とか考え込んで、いちいち他人の動向に左右されちゃう訳ですね。非常に下らない。コメントはあってもなくても、害悪でしかない。

逆に人の動向や顔色さえ窺っていれば、相手がコメントしてくれるような記事を書けるのかと言えば、そういう訳でもない。いや、そもそも「コメントが付いてない=駄記事」という訳でもない。コメント欄があると、どうしても「他人の意見絶対主義」が先行してしまう。コメントは、「百害あって一利なし」なのだ。

ブログは誰でも意見を表明できたり、参加できたりするWeb2.0を代表するとか言われてるけど、結局「自分が世界に対して意見を表明できる」ところまでが限界。そして、それがブログの最終形態であり、本随(字合ってるのかな)ではないかとも思う。自分の異議や主張を世間に伝えた時点で、ブログの役目は終わる。それ以上でもそれ以下でもない。

他人のリアクションや意見が欲しければ、それこそ多くの人が一挙に集まる掲示板で、自分から話を振ったり、スレッドを立ててみたり、話しかけたりした方が遙かに効率的。ブログ開設しても、まず色んな所で宣伝したりして、様々な人間に知って貰わなきゃならないですから、非常にたるい。最近では、gooやYahoo!でおせっかいにも人の質問にわざわざ答えてあげたりするサイトがある。そういう所を利用するというのも一つの手。個人的な交流・他人との繋がりを求めてるなら、色々最近は問題になってるMixiとか、もっと他に適切な場所がある。

そもそも、自分が書いた記事にコメントが0だと、「誰も君のブログなんて見てないよ」という三行半を下されたに等しく、何だか空しく感じないものなのだろうか。
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