『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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ちょうど約1年前の2005年9月11日、第44回衆議院総選挙において民主党が敗北した。当時の代表であったフランケンこと岡田克也は辞意を表明し、6日後の17日、党代表選出選挙が行われた。前原誠司は見事に菅直人を破り、民主党の代表に選ばれた。前原は、民主党内では「プリンス」などと呼ばれていたらしい。
当時の前原は、「民主党支持基盤である自治労などとの関係を見直す、今までの労組依存の関係から脱却する」と述べるなど、改革の旗手であるかのようにメディアに大きく取り上げられた。また前原は安全保障問題を専門とし、自民党保守・極右派が主張している外交論、安全保障論と共通する部分が多かった。例えば、集団的自衛権の保持を憲法で認めるといった憲法9条改憲論など。そのため、自民党に隷属している2ちゃんねるでは「コイツは期待できる」という声も多かった。前原が民主党の代表である限り「改憲」の現実性が高まるため、前原に媚びるレスも散見した。例えば、自分たちの意見にそぐう意見が多いためか、「現実的な外交論を論じられる政治家」などとコッチがこそばゆくなるほど礼賛レスが典型だ。
同年、12月9日にアメリカで開かれた米戦略国際問題研究所(CSIS)では、「中国の毎年の驚異的な軍事力増強の伸び率は、日本にとって現実的な脅威である」と『中国脅威論』を述べたことは、2ちゃんで喝采を浴びた。しかしながら、その後、中国首脳と予定されていた会談が急遽キャンセルされた。この会見の中で同時に『シーレーンの防衛』、つまり『台湾海峡・台湾問題』に触れてしまったことが大きい。アフォの小泉でも台湾問題に関しては触れようとしなかった。参議院と同じように「聖域扱い」をしていた。
また岡田フランケンが衆議院選挙で敗北した理由を、郵政民営化に対案を示しせず、国民に対して存在感を示せなかったからだと判断した前原は「対案路線」を掲げ、「戦う民主党・政治家」をアピール。前原は、1995年にフジテレビの番組『報道2001』で行われた一年生議員9人によるディベート大会で優勝するほどの論客であったことから、野党第一党としてその役割を期待された。その9人の中に、「安倍晋三」がいたことも注目すべきだろう。
そして、何より国民はまず初めに「若さ」に注目をした。民主党も若返り、元気に自民党に食いつてくれて、国会論戦や政治そのものが面白くなりそうだと国民は期待を膨らませた。また、その「端正なルックス」も注目された。読売新聞は「永田町の“郷ひろみ”」と持ち上げていたそうだ。しかし例えが古すぎる。そして、そんなルックスにも関わらず鉄道ヲタク、そして石破茂と親密で、共著を出すほどの軍事ヲタクであった意外な一面は、メディアで取り上げられるなどして好感を持たれた。
しかし前原民主党の蓋を開けてみると、何かびっくり箱のような仕掛けでもあるのかと思ったら、何も入ってなかった。「対案路線」をぶち上げたはいいものの、岡田フランケンと同じくほとんど対案を提出できなかった。そして、今年2006年2月、最早日本国民で知らない人間がいない周知の事件が起きた。どこぞの大馬鹿が「ライブドアのブタエモンが自民党のアフォの武部に送金するよう指示した」というメールが見つかったと国会で取り上げた。しかし、それは捏造メールだった。
それをすっかり信じてしまった前原や野田佳彦は、意固地になって「本物のメールだ」とメディアや国会などで流布。往生際も極めて悪く、ぐだぐだ辞任と言った責任を取ることは一貫して拒否し続けた。結果、メディアや世論の批判の煽りを受けて、その責任を取る形で辞任に追い込まれざるを得なくなった。前原は人から使われると実力を発揮できた政治家だったかも知れないが、自分が全体を統率して、ある一点の目標を作り上げ、そこに到達するだけのリーダー素質がなかった。
前原民主党は、誰もメールを送信してくれないがらんとしたただの「メールボックス」だったのだ。そして、1年も経たずに前原民主党は砂上の楼閣の如く見事に崩れ去った。
当時の前原は、「民主党支持基盤である自治労などとの関係を見直す、今までの労組依存の関係から脱却する」と述べるなど、改革の旗手であるかのようにメディアに大きく取り上げられた。また前原は安全保障問題を専門とし、自民党保守・極右派が主張している外交論、安全保障論と共通する部分が多かった。例えば、集団的自衛権の保持を憲法で認めるといった憲法9条改憲論など。そのため、自民党に隷属している2ちゃんねるでは「コイツは期待できる」という声も多かった。前原が民主党の代表である限り「改憲」の現実性が高まるため、前原に媚びるレスも散見した。例えば、自分たちの意見にそぐう意見が多いためか、「現実的な外交論を論じられる政治家」などとコッチがこそばゆくなるほど礼賛レスが典型だ。
同年、12月9日にアメリカで開かれた米戦略国際問題研究所(CSIS)では、「中国の毎年の驚異的な軍事力増強の伸び率は、日本にとって現実的な脅威である」と『中国脅威論』を述べたことは、2ちゃんで喝采を浴びた。しかしながら、その後、中国首脳と予定されていた会談が急遽キャンセルされた。この会見の中で同時に『シーレーンの防衛』、つまり『台湾海峡・台湾問題』に触れてしまったことが大きい。アフォの小泉でも台湾問題に関しては触れようとしなかった。参議院と同じように「聖域扱い」をしていた。
また岡田フランケンが衆議院選挙で敗北した理由を、郵政民営化に対案を示しせず、国民に対して存在感を示せなかったからだと判断した前原は「対案路線」を掲げ、「戦う民主党・政治家」をアピール。前原は、1995年にフジテレビの番組『報道2001』で行われた一年生議員9人によるディベート大会で優勝するほどの論客であったことから、野党第一党としてその役割を期待された。その9人の中に、「安倍晋三」がいたことも注目すべきだろう。
そして、何より国民はまず初めに「若さ」に注目をした。民主党も若返り、元気に自民党に食いつてくれて、国会論戦や政治そのものが面白くなりそうだと国民は期待を膨らませた。また、その「端正なルックス」も注目された。読売新聞は「永田町の“郷ひろみ”」と持ち上げていたそうだ。しかし例えが古すぎる。そして、そんなルックスにも関わらず鉄道ヲタク、そして石破茂と親密で、共著を出すほどの軍事ヲタクであった意外な一面は、メディアで取り上げられるなどして好感を持たれた。
しかし前原民主党の蓋を開けてみると、何かびっくり箱のような仕掛けでもあるのかと思ったら、何も入ってなかった。「対案路線」をぶち上げたはいいものの、岡田フランケンと同じくほとんど対案を提出できなかった。そして、今年2006年2月、最早日本国民で知らない人間がいない周知の事件が起きた。どこぞの大馬鹿が「ライブドアのブタエモンが自民党のアフォの武部に送金するよう指示した」というメールが見つかったと国会で取り上げた。しかし、それは捏造メールだった。
それをすっかり信じてしまった前原や野田佳彦は、意固地になって「本物のメールだ」とメディアや国会などで流布。往生際も極めて悪く、ぐだぐだ辞任と言った責任を取ることは一貫して拒否し続けた。結果、メディアや世論の批判の煽りを受けて、その責任を取る形で辞任に追い込まれざるを得なくなった。前原は人から使われると実力を発揮できた政治家だったかも知れないが、自分が全体を統率して、ある一点の目標を作り上げ、そこに到達するだけのリーダー素質がなかった。
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