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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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12月9日、NHKで『日本の、これから ー”ネット社会”の安全、どう守りますか?ー』が放送されていた。内容は予想した通り手垢にまみれた、在り来たりの議論であった。驚きも何もなかったが、NHKがあれだけ2ちゃんねるを取り上げていたのには笑った。そして聴衆に数多くの2ちゃんねらー。ハゲメガネが歌い出すわ、てんやわんや。仕舞いには、ひろゆきが出てくる始末。あれには笑うしかなかった。

ただ驚いたことが一つあった。「ネットの『匿名性』を排除、もしくは国家による規制を強めた方がよい」という意見が、会場でも携帯のネット投票でも多かったことである。議論自体に目新しいものも、特筆すべきものも一切なかったが、こんなにもネットに関して無知な人間が多いのか、ネットに親しみのない人間が多いのかと驚いた。それはネットを仮想社会と思いこみ過ぎていることの証左でもある。ゲストとして呼ばれていた東京大学の教授も言ってたが、ネットはリアルな社会とほぼ何ら変わらなくなっている。

こういう人たちには、ネットの『匿名性』は、TV番組で言えば『モザイク』であると言い換えてあげれば、より現実的な問題として、どんなに無知蒙昧なことを宣っていたか実感できるのではないかと思う。

視聴者から寄せられていた意見でもあったが、ほとんどネットを利用しているユーザーは何の権威も権力も保持していない一般市民なのである。TV番組一つで言えば、TV局があり、プロデューサーなど上司がおり、様々なフィルターで守られている。芸能人や俳優にしても、プロダクションや事務所や、もしかしたら大勢のファンによっても守られているかも知れない。大手であればあるほど豊富な資金も保持していて、弁護士などを大量に抱え入れていて、いざとなればそういう特攻隊が敵を排除してくれる。大企業の重役などは当然言うまでもない。

オリックスの宮内は、確かメディアでライブドア問題で取り上げられたとき、会社を挙げてTV局に対して抗議を展開したことも記憶に新しい。これを見ても分かるように、いくら実名で報道されようが、お互いがお互い、「会社」という存在で守られていることを認識しなければならない。いくらTV番組に抗議を送ったところで、TV局の抗議専門に処理するスタッフが全て事前に処理をする。肝心のTV番組に出演している有名人や、スタッフに届かないことも珍しくない。

しかしながら、一般ユーザーは何の保証も権威も与えられていないのである。抗議は一般ユーザーに直接ぶつけられるのである。TV番組に出演している有名人に仮に抗議が届いても、「こんな文句やいちゃもんがありました」とせいぜい表現を和らげて伝えられるだけであろう。攻撃力の違いは言うまでもない。ましてや、彼らTV局で働いている人間のように、一時間数百万円という高額なギャラを貰えないのである。発言を一つするごとに、数百円でもギャラを貰えたらまだしも、一銭も貰えないのである。「百害あって一利なし」とはまさしくこのことである。

決して、ネット上の一般ユーザーと、TV上で高額なギャラを貰っている有名人やスタッフと同列に比較することは、土台不可能なのである。

+ + + + +


実名と顔も晒した状態で、何か政治的な発言をするということは、すごく危険な状態に自分が晒されるということである。精神的・肉体的負担も比較にならないはずである。これは誰に指摘されずとも、身を以て誰もが実感することであろう。例えば、ある芸能人を批判しても、何の利権も柵もないファンが抗議するのだ。政治的な発言となれば、抗議してくる人間の必死さも比較にならないであろう。

つまり個人が特定されるということは、『死』を意味する。野党・国民新党の若手議員が脅迫に晒されたことも記憶に新しい。数年前、国の不正を追及しようとした野党・民主党議員も殺害された。常に警護されている政治家ですら、命を脅かすような脅迫もされ、時には強権ロシアばりに暗殺される場合だってある。何の警護すらされていない一ネットユーザーを暗殺することなど、いとも容易い所行であることはどのネットユーザーでも理解できうることであろう。別に、これは大げさなことでも何でもない。

TVの場合、それは『モザイク』や『ボイスチェンジャー』によって、個人を特定することが不可能な状態にしておく。この方法でしか、唯一その人を保護することは不可能なのである。さもなければ、誰も重大な事件に関することをカメラに向かって、発言することなど有り得ないだろう。

そして、ネットの場合、それが『匿名性』に当たるのだ。特定の誰かだけが、ある不正な犯罪の問題を追及していたとしよう。その問題を追及されて、自分の利益や利権が奪われてしまい、誰か損をする人間がいたとしよう。当然、その損をする人間はその問題を追及している、特定の誰かを邪魔だと感じ、消したいと思う。そして、消せば、その問題は鎮火してしまう。

沖縄返還で日本政府はアメリカ政府に3億2000万㌦支払った。核撤去費用に7000億㌦支払ったが、それは国民や国会は納得するだろうと水増しされた額で、500万㌦で済んだと言われ、アメリカの情報宣伝機関の移転費用に回されたという話。こういう日米間で密約があったと暴いた西山という毎日新聞の記者が逮捕された事件が好例であろう。アメリカの公文書などで、確実にその日米の密約があったことは明白にも関わらず、記者が不当に逮捕された事件である。

その秘密が30数年経った今の今まで、ずっと日本政府が正しいと認識がメディアの中でも、世論の中でもあった。ある問題で追及している人間が一人潰されただけでも、ある問題が追及されない例など腐るほどある。そして、結果的に、損をさせられるのは国民であり、有権者であることは疑いようがない。

その特定の誰かだけが追及していたとしても、『匿名性』の庇護下においては不特定多数の一人にカムフラージュできるのだ。

もちろん、TVでもモザイクを悪用した過度な演出や、日テレの場合、6時台のニュース番組で捏造映像を作り上げた実績がある。現在進行形で、TVメディアによるこういう印象操作が行われているからといって、世間や世論の中で「モザイクを一切廃止汁」という時流はない。今後もそれはないであろう。ちゃんと有意義に、有効的に『モザイク』が働いて、視聴者・国民・有権者の利益に繋がっていると実感できているからである。

当然、多くの人たちがTVメディアのように、もっとネットメディアに親しみ多く触れるようになれば、その有効性や有意義性を実感するはずだと信じている。それにも関わらず、番組に出演していた教授らも言っていたが、また発達段階の今、ネットを国家や第三者による規制を強めてしまうことは決して得策ではないのである。

ましてや、個々人の動向がネット上で分かってしまえば、それこそ個人のプライバシーは蔑ろにされてしまう。ネット上に「実名性」を導入することは、自らプライバシーを晒していることと同じであるという認識が出来ていない。ここに一つの恐ろしさを感じてしまう。「実名性」を導入すれば、安全になるどころか、むしろ危険になるのだ。『匿名性』が確保されているから、色々な悪事が出来ていると感じているアフォな人が多いかも知れないが、「実名性」の場合、それより質が悪いことに、何の危険も侵さずに個人のプライバシーを手に入れることが出来て、それをリアルに発展できやすいのだ。

番組内でも取り上げられていたが、私怨目的である女性の個人情報をあちこちの掲示板に晒していたアフォがいた。そして、実際その女性は様々な被害を受けた。私怨目的で普通に過ごしている一般市民をネット上で攻撃することなど論外である。例えば、ブログのコメント荒らしも同罪である。駆け出しのタレントに対しても、同義であろう。これもたまに見かける。多分、同業者(元も含む)の人間なのであろう。

しかし「実名性」が義務になれば、こういうアフォがいなくても、誰でも難なくその情報・プライバシーを手に入れることができるのである。当然、悪用もできる。ましてや進んで自分の個人情報を晒しているのだから、自業自得と警察には処理されるだけで、誰も逮捕できないどころか泣き寝入りせざるを得ないのである。「実名性」とは、『匿名性』よりも遙かに危険なのである。

『匿名性』が悪意あるネットユーザーが、ネット上で犯した悪事を追及しづらい弊害を生んでいることは確かだが、「実名性」は悪意あるネットユーザーが、それをリアルで犯す犯罪を今以上に生む弊害を生むのである。ネット上の軽い悪戯から、リアルの悪質な犯罪に発展する。『匿名性』は安易に誰かに対して悪戯できるが、「実名性」は安易に個人情報を手に入れることが出来るのである。こう言えば、分かるのかな。立花らも言っていたが、『匿名性』に駄目なところがあるから「実名性」という、NHKの世論操作的な番組進行がそもそも安易ですわな。


つまり、ネットから『匿名性』を除去して問題が全て解決するのであれば、さっさとAVの『モザイク』など除去すればいいという話なのだ。そう長々と書いてきたが、結局これを言いたかっただけなのだ!自分は女性の可愛いおまんちょをありのままの姿で、ただただ見たいだけなのだ  m9(`・ω・´)シャキーン


ただ翌日の10日の『サンデープロジェクト』で同和問題が取り上げられていた。そこで「ネット上では、どんどん同和差別が過激化していて、見るに堪えない」という話をしていた。実際、その通り。あれを見ていたら、確かにネットの規制は必要なのかも知れないと誰もが感じるだろう。自分の同和出身の友人の中学教師も結婚するときに、相手方の親に相当反対されたとうなだれていた。それは数年前なので、国による同和事業が終了した後の話であったと思う。現前として、同和差別はまさに立ちはだかっている問題なのである。これが現実である。それが見事なまでに、今将にネット上に表出しているのだ。

同和利権だけを批判しているネットユーザーも少なくないが、大半は同和に対するノリで差別している。そして、誰もその差別を制止したりはしない。当然、同和利権だけを批判しているネットユーザーもである。ここで違和感を思わず覚えてしまう。同和利権を生んだ発端は、同和を差別している側の人間だからである。昔は「貧困」だから差別し、今は「不逞なヤクザ」だと位置づけて差別をしている。今も昔も、実は何も変化していない。

つまり、同和利権を非難しつつ、新たな同和利権を生もうと画策しているようにしか見えないのである。そして、こういう批判をすると、必ず決まって彼らはこう言い返してくる。「ただ利権を批判しているだけの人間に対して、差別発言扱いですか( ´,_ゝ`)プッ」という具合に。在日差別にしても同義だ。

彼らがそういういかがわしい「利権」なるものを増長させている張本人なのだ。残念ながら、それは今後も増長していく。特にNHKの番組について書くつもりはなかったが、何となく田原総一朗の歪な骨格を見ていたら書きたくなってきたので、暇つぶしに書いてみた。ただ決して、嫌らしい意味での「かきたい」という気持ちではなく…アッー!!


あと「いちいち何が書かれているかと、郵便の中身を開いて見るか」という例えをしていたブロガーがいた。それを批判していた大学教授がいた。最初、このブロガーなかなか良い例えをするなと感心していたが、大学教授の「郵便は一対一で、ネット上の掲示板とは違うから」という発言を聞いて、こっちの方に思わず軍配が上がった。ここで、このブロガーが郵便という例えから、チラシやビラという例えに変えれば良かったかも知れないと思った。つい先日、イラク戦争に反対するビラを投函した市民団体が不当に逮捕された事件があった。ある意味、不特定多数の人間に対して見せるわけだから、こっちの方が例としては適切で、こう言ってたら、どう発展してたかなぁとふと思った。
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