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『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!!  これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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「侍」とは言っても、別に自分の今年の世相を表した「今年の漢字」のことを言ってるわけではない。もちろん、自分の「今年の漢字」は毎年常に「貧」である。ちなみにそれ以外では「幼」。理由は…(ρw-).。o○ マニャマニャ

土曜日か日曜日かに放送されていた『ラストサムライ』のことである。期待してたよりかは、ちょっとだけ面白かった。日本人役者が多かったので、どうせ大根連中の演技なんて、見てて詰まらんだろうと思っていた。でも、案外彼ら日本人俳優の演技はそこそこ様になっていた。

ただ何故、日本人の俳優はそこそこ演技力があるにも関わらず、同じく日本人の俳優を多く起用しているにも関わらず、日本の映画やドラマが詰まらないのか、という疑問がふと湧き上がった。つまり、その裏返しとして監督や脚本家、カメラに至るまで周りのスタッフが低能だということが上げられる。そうでなければ、何故日本の映画やドラマが詰まらないかの説明が付かない。

ついさっき日本人の俳優にそこそこ演技力があると少し称賛してみたが、結果的に彼らが映画に抜擢されたのも、アメリカ人の監督やプロデューサーなどによる判断である。俳優自身が「貴様の映画に出てやるよ」と不貞不貞しく、撮影現場に勝手に乗り込んでくるはずもない。映画という舞台装置を最初から最後まで作り上げたのは、全部アメリカ人スタッフなのだ。結局の所、映画の面白くするのも、詰まらなくするのも、彼らの力に寄るところが大きいのではないかと痛感させられた。

+ + + + +


根本的に、日本人は映画の撮り方が下手なのである。セットの組み立ての大道具や、俳優のチョイス、言うまでもなく脚本など、全てにおいてアメリカなどに比較して、日本は技術も経験も未熟なのである。またそれがなくても、それを凌駕できるだけのセンスもないのだ。『デスノート』然り漫画を原作にして、映画が制作されることはままあるように、日本人には奇抜な発想力や、他国の人間にはない着眼点を持っている。そこは称賛してもいいところであると思うし、現に日本が世界で注目されている点もそこであると思う

しかし、ただそれだけなのである。奇抜な発想だけなのだ。日本の映画は、まるまるトリュフや松茸だけを持ってこられて、「はいそれで料理は終わり」と不遜極まりない、実に不躾な料理店なのだ。そもそも料理店と言えるかどうかも甚だ疑問である。鉱山を持っていても、それを掘削する技術も、その鉱物を商品に加工する高度な技術もない。油田や中国に盗掘されていることで今日本にはホットなガス田に言い換えてもいい。日本の映画はそれなのである。

つまり、面白い発想や着眼点(素材)だけでは、映画(料理)とは呼べないのだ。何の価値もないと言って、支障がない。

2時間という大体決められた枠内で、観客を引き込む導入部を作り、山場を作り、ちゃんときっかり最後で落とすという腕がないのである。いくら俳優が好演しても、いくら大仕掛けの舞台装置を作ったとしても、最後の最後で、きっちりパズルのピースを組み合わせるように、綺麗に、かつ整然とまとまっていなければ、全てにおいて台無しなのである。どれだけ原作の漫画や小説が面白かったとしても、脚本や編集やカメラワークとかが糞であったならば、全てが台無しになるである。「台無し=面白くない=詰まらない」ということである

ということは、同じ渡辺謙ら日本人俳優が多数出演している『硫黄島からの手紙』は面白そうな映画なんだろうなと思う(´▽`*)アハハ
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