『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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つい先日の和歌山知事選を見ても分かるように、反与党で結束することで、必ず共産党にはプラスに繋がる。ただまだお互いの障壁となっている点は、天皇でも何でもなく、やっぱり「安全保障」の点なのかなという気がする。安全保障の議論は、良くも悪くも現実的に議論されなければいけない。分けるとするなら、強硬派か穏健派しかないと思う。
つまり、「タカ派」(自分の理念・主張を貫くために、相手と妥協せず、強硬に事に対処していく人々。また、武力をもってしても主張を達しようとする人々)か「ハト派」(強硬手段をとらず、相手と協調しつつ事を収めようとする立場)のどちらかしかない。ハト派が軍の存在自体を否定しているものではない。軍の存在自体を否定してしまったら、自国の安全保障が一切語れなくなる。その議論に参加できなくなれば、自分たちの存在感を誇示することすらできなくなる。
既に本来任務へ既に格上げされてしまった自衛隊の海外派遣に関しては、自衛隊を海外へ強硬に派遣させる自民党・公明党を「タカ派」、自衛隊を海外へ強硬には派遣させない野党側を「ハト派」と分けて、議論を進めていった方がいい。
そうすれば民主党も、共産や社民と共同歩調を取りやすくなる。結果的に自衛隊を海外へ派遣させなければ、武力行使することもない。自衛隊の存在を解体する以前に、どんどんと海外へ派遣されてしまっている。この現実を直視し、共産や社民はちゃんと敗北を認めなければいけない気がする。この敗北をしっかりと認めた上で、これから何が出来るかを考えなきゃいけない。
つまり、「タカ派」(自分の理念・主張を貫くために、相手と妥協せず、強硬に事に対処していく人々。また、武力をもってしても主張を達しようとする人々)か「ハト派」(強硬手段をとらず、相手と協調しつつ事を収めようとする立場)のどちらかしかない。ハト派が軍の存在自体を否定しているものではない。軍の存在自体を否定してしまったら、自国の安全保障が一切語れなくなる。その議論に参加できなくなれば、自分たちの存在感を誇示することすらできなくなる。
既に本来任務へ既に格上げされてしまった自衛隊の海外派遣に関しては、自衛隊を海外へ強硬に派遣させる自民党・公明党を「タカ派」、自衛隊を海外へ強硬には派遣させない野党側を「ハト派」と分けて、議論を進めていった方がいい。
そうすれば民主党も、共産や社民と共同歩調を取りやすくなる。結果的に自衛隊を海外へ派遣させなければ、武力行使することもない。自衛隊の存在を解体する以前に、どんどんと海外へ派遣されてしまっている。この現実を直視し、共産や社民はちゃんと敗北を認めなければいけない気がする。この敗北をしっかりと認めた上で、これから何が出来るかを考えなきゃいけない。
+ + + + +
そうしなければ「自衛隊の存在」そのものを否定して仕舞うと、「守る側」と「守らない側」という対立軸が作られてしまう。その舞台では、必ず負ける。そのような「ありき論」は、具体的な中身が議論されない傾向がある。安全保障を考える上では、これはむしろ致命的のような気がする。イケイケどんどんの思考停止の強硬派も然り、それも思考停止の一種に過ぎない。むしろ「何で、自衛隊は駄目なんですか?別に、自衛隊は駄目ではないでしょ。つまり、自衛隊は海外へ派遣しても大丈夫でしょ」という危険な流れを生む可能性がある。結果的に墓穴も掘ってしまうから、「自衛隊の在り方」を問うていくとか、多少の路線変更を考慮しなければならないと思われる。
「議論が深まる=強硬路線ばかりに傾く」では決してない。もしそう思い込んでいるとするなら、思考停止していると言わざるを得ない気がする。究極的な理想は、軍隊も武器もない方がいい。その理想を崩す必要はないが、ただそれは安全保障論を語る上で、大前提として控えている存在なのだ。その今ある前提自体を否定してしまったら、何も議論できなくなってしまう。結果的に、具体的な議論の席上から追い出されてしまうことが、プラスに働くのか働かないのかということだ。安全保障論や国防を語る上での前提を、今更議論しても意味がない。
少なくともそれは控えるべきであって、それを意固地になりすぎて頑なにそこばかりを主張し続ければ、むしろ野党間の結束が弱まり、結果的に空中分解してしまうだろう。野党全体の攻撃力や批判能力も弱まる。民主党自体に力はないのだから、結果的に野党の力が弱まって得をするのは与党自民党なのだ。
昔の左翼は、閉塞的で議論がしにくい環境を作り上げていた。しかし、今はネットなどを見てもオープンさや透明さが好まれる傾向にある。現実問題として、その閉塞的な昔の環境から逃れたい一心から、反対側に立っていた保守に流れたことも見逃せない。つまり、保守的な国民の多くは、単なる「被れ」が多いということの証左でもある。結局、昔と同じ論法を使ったとしても、一時的に左側についてもまた同じ轍を踏むだけなのだ。
保守的な自民党が嫌いであるにも関わらず、共産党や社民党も一部の思想や考えに凝り固まった保守的な政党なのだ。特定の思想に凝り固まりすぎると、「何故、その思想や考え以外は認めては駄目なんだ?」というむしろ自分たちの思いとは裏腹の世論が形成されてしまう。ここ数年を考えてみれば、顕著に明白だろう。少なくとも、それを巧みに自民党シンパに利用され、ズルズルと来てしまったのが現実だ。共産党や社民党の中にも、小泉純一郎的な人間が出てこない限り、自滅する公算は極めて高いのだ。
憲法改悪だと盛んに叫んでいた時期があった(今でもかな?)が、憲法改正するか否かを最終的に選択・判断するのは国民。その選択をさせない行為自体が、特定の思想や考えを押しつけているに等しく、また国民を信頼していないと受け取られても仕方がない。そもそも憲法改正については、その憲法自体に書かれていることで、国民投票法自体に反対するのは論外。
別に、共産党や社民党の考えが間違っていると言っているわけではない。ただ具体的に自民党の思想が間違っていて、彼らの思惑通りの憲法改正が許せないのであれば、彼らの改正案のどこが間違っているかを具(つぶさ)に取り上げて批判すればいい。共産や社民が具体的に何を主張したいのかが、見えてこない。
自衛隊の存在自体が違憲だと主張するならば、憲法裁判所を作るという選択肢をむしろ率先的に作るべき。共産社民が視野狭窄だなと思わせるのは、別に「自衛隊の存在≠違憲」ではないと思ってる国民がいるからと言って、必ずしも、その人間が「自衛隊の存在をマンセーしてる」かと言えば、そういうわけではないし、「自衛隊をどんどんと海外派遣させよう」と目論んでいる国民などごく少数に限られている。
思考が極端。左が駄目だから右(敵である自民党)が正解かという話ではな。そういう強迫観念を無くす努力を一度してみる必要がある。そうしなければ、ずっと壊れたテープのように主張し続け、それが曲げられないように執着し続ける。良くも悪くも、それが自分たちの手足を縛り、魅力のない政党になっているし、皮肉な話だが、自民党の行為などに対して、具体的な検証もなく、するするっと正当化されてしまう材料にもされている。
社民党や共産党は、自民党の行為や政策に対して、何の根拠もなく批判していると思われている節がある。そういう前提に終始しているから、具体的にここはどういう理由で駄目であるとか、感情だけではなく相手を理性的に、論理的に批判できていない。安保に関しては、非現実的な政党だと思われていて、民主党の方がむしろ現実的な政党だと思い込まれている。実際問題として、現実的か非現実的かどうかは関係なく、有権者に思われていることが問題なのである。でも、格差問題や経済問題や他の問題に関して、政府や与党を追及できている。共産党はちゃんと仕事をしていると思われている。それはちゃんと論理的に責めることが出来ているからだと感じる(個人的には、もっと責めて欲しいが)。安保に関しては、感情に頼っている部分があると思う。
またその理想が現実問題として実現可能なのかと言えば、甚だ疑問。社会党が好例で、政権を取っても、自衛隊を解体することは出来なかった。違憲だと言うことで解体したいのであれば、解体のプロセスを国民に対して開示すべき。もう昔みたいに、そういう論理を示すだけで「歯止めにできる」効果は流石に崩壊してる。そこに固執する意味はないということに、早く気付くべき。別にその理想を諦める必要もないが、そればかり声高に主張するのではなく、とりあえず様子見すべきだろう。「政治」とはいったい何なのかという話。
それよりもまず自民党の論理を、どうやれば突き崩せるかと頭を働かさなければならない。民主党の対案に似てて、自分の言いたいことだけを言ってれば、それでいいんだ、みたいな実に浅はかな政治だなと痛感させられる。野党政党なんだから、「何かを作り出すこと」に精を出すよりも、「相手が作り上げてきたモノを突き崩すこと」に精を出さなければ意味がない。
「駄目なモノは、駄目」と責めるんではなくて、「駄目なモノが、何故駄目なのか」と責めなければならない。
共産党や社民党は弱者の味方と言ってる割に、国会ではそんな下らないことばかりに終始しているから、国民からなかなか信頼も得られない。そういう利己主義的な性質を改めるべきである。それは野党共闘を考える以前の問題。結局、弱者のことを考えてくれているのかと疑われても仕方がないのである。下の方の共産党員は弱者に尽くしていても、上の方の共産党議員は全く弱者を蔑ろにしているのだ。下らない功名心や虚栄心は捨てて欲しい。
非現実的な主張ばかりしていたら、そういう分野においても非現実的な対応ばかりしかできないのではないかと思い込んでしまう。現状の共産党や社民党では、安全保障について何も喋らない方がメリットがある。ちゃんと格差社会について危機意識を持ち、政府に悪事については追及する姿勢は目を見張るものがあるのだ。共産党は「経済問題に関しては素晴らしいが…」というレスを2chで見かけたこともある。それを無駄にしてはならない。
自民党が改憲を党是としてたからと言って、国会で改憲ばかりを主張していたわけではない。ある程度、世論の下地ができた(いやTMのように世論誘導を図っていた可能性も低くない)からこそ、今になって盛んに自民党に投票していた多くの有権者も、改憲を党是と掲げているからと言って、自民党に投票していたわけではない。利権に尽きる。有権者の直接利益になることをしていたから、票を確保できていた。
では、共産党らが格差社会の日本で貧困に喘いでいる大半の国民を考えているというのであれば、もっと弱者や貧民に対して尽くすべき。国民が下らないと思っていることに心血を注いでも意味がない。それは自分たちが絶対的多数の議席を稼いだ後、ゆっくり考えればいいことなのだ。少なくとも、今は内輪だけに止めておくべき主張であろう。
結局「駄目なモノは駄目」と貫くだけでは、安保の議論自体が深まらない。結果的に安保の議論が深まらないことで、損をするのは共産や社民なのだ。自衛隊の存在自体が駄目という解釈一辺倒の結果、何の交渉もしてこれなかった結果、自衛隊が海外へ派遣される回数が増え、今後もそれは増えるだろう。自衛隊の解体などハードルが高すぎる桃源郷。その理想を捨てろとは言わないが、現実的な議論から逃げていることが問題なのだ。理想を唱えるだけでは、その理想は近寄ってこないのだ。その仕事は市民団体の方々に任せればいい。
その解釈一辺倒では通用しないことは明白で、思考停止の状態から抜け出さなければならない。今後はどうすれば自衛隊を海外へ派遣させずに済むか、軍事力が増大させずに済むかということを、具体的に現実的な視点から考えなければならない。誰も、米軍再編に何兆円もの莫大な血税なんか注ぎ込ませたくはない。新たな解釈を求めていかない限りは、それを食い止めることは難しい。
「古い武器を新しくする理由は分かるが、その武器は果たして本当に必要だったのか」
「これは何千億円という血税を出してまで、購入する価値や、どういうメリットがあるのか」
「自衛隊や米軍の周囲の国民や市民の安全は、本当に確保されているのか」
「自衛隊を今回海外派遣をして、どういう国益に繋がるのか、デメリットはないのか」
「現地は危ないらしいが、自衛隊員の安全の確保は大丈夫なのか」
「もし自衛隊員が負傷したり、殺されれば、一体誰が責任を取るのか」
という具合に、真の意味での現実的な視点から、軍備や軍の必要性を問うていかなければならない。そうすれば、この積み重ねによって、いずれ「自衛隊は本当に必要なのか」という世論が形成されるかも知れない。だが今の調子を続ければ、そういう世論が形成される可能性は極めて低い。だからこそ、今は焦って「自衛隊は駄目だよね」という結論に発展させない方がいい。
まず自分たちが柔軟な姿勢を示さなければ、自民党らが自衛隊を強硬に海外へ派遣させたいという構図を作り上げることも難しい。強硬すぎて、意思を押しつけられる方は嫌われるのである。忘れて欲しくないのは、それで「何もするな」と懇願しているのではない。共産社民のバイタリティーはやはり国政の場には必要だ。ただ、「その行動の在り方を考え直せ」と懇願しているだけなのだ。結局、そのバイタリティー溢れる行動が、票や党にプラスに繋がらなければ意味がない。
ただやはり、民主党は左右の幅が大きすぎる。狂気法(教基法)改正に関する対案で、『愛国心』とハッキリ明記した一方、市民団体などを極端に毛嫌いする傾向もある。和歌山知事選で独自候補を擁立できなかった一因であろう。県連が一度推薦した市民活動をしていた候補者を降ろしてしまった。
結局、民主党に右が多いからこそ、地方では自民党議員とズブズブなんだろうと思う。和歌山県の前の知事選でも、同じく独自候補を立てずに、むしろ木村を推薦していた。どこまで腐っても、和歌山県は「保守王国」だったという裏返しであった。これは和歌山県だけの話ではないだろう。残念ながら、保守同士では「良い意味で対立できない」という証左であろう。「保守的」と言うよりも、「保身的」と言った方がいいかも知れないが…。
だから、個人的には前原のような議員は民主党に要らないと思う。思想的に自民党と共鳴できる部分が多すぎるから、現実問題として彼は対立を拒む傾向があった。アメリカで中国脅威論を唱えるなど、お粗末極まりなかった。そういう状況で、自民党とまともにやり合えるはずもなかったのだ。だからこそ、対案路線という柔和な路線に舵を取り、国民に委ねすぎる道を選択した。結果的に、耐震偽装など与党側の数々の諸問題を追及できない処か、メール問題で自爆した。
将来的に見れば、民主党に在籍している右側の議員は追い出す形で、分裂した方がいい。小沢一郎は「壊し屋」という異名を持っているが、個人的には来夏以降、今のままなら民主党を潰してもいいと思われる。長い目で見れば、できるだけ民主党は左を固める必要がある。もしくは前原のような保守的な議員を、どう左寄りの考えも持たせるかということを考えなければいけないだろう。そうしなければ、日本の政治は与党の腐敗政治に毒され続けるだろう。
民主と共産と社民が啀み合っている様は、まるで醜い自民党の派閥争いを見せつけられている気分。そういう仲違いをしても、国民は興醒めするだけなのだ。民主の右の方こそ、もう少し現実的な道を選択するべきなのだ。
そして「左は駄目だ」という固定観念を払拭する必要が、日本の国全体として求められている。左の中の人も、当然変革を求められている。
共産党や社民党などはもう少し右に寄り、民主党はもっと左へ寄らなければ駄目だと思われる。そうしなければ、第二の与党は民主党になるのである。また共産党や社民党は、国民からはそっぽむかれる。そのためにも、現実的な問題である安全保障論について、お互いが譲歩できれば、結束は強まる気がするし、民主党ももう少し左に傾くのではないかと思う。
前原のような自民党シンパを見ても、民主党に右が多かった場合、結局自民党が得をするだけなのだ。前原は安全保障論には詳しいだけで、それを国会で自民党を追及することに発展させることや、応用するだけの知能や能力がない。ましてやバイタリティーすらもない。だから自民党にどうしても同調しやすい傾向がある。政府や自民党の監視役になる資格がないという意味で、逆に安全保障論を語る上で、民主党の保守派は、共産党ら以上に役立たずと言わざるを得ない。今後、民主党の中で邪魔な存在になっていくだけだろう。
やはり野党のあるべき姿は、「リベラル・自由」だと思う。そして、社会(共産)主義。
つまり、個人の思想・言論の自由、信教の自由を認めつつ、貧富のない社会(大きな政府)の実現。グローバル経済が進み、下層庶民は諸外国の低賃金者と同じぐらいの生活レベルを送らざるを得なくなっている中、貧富のない社会の実現を標榜することで、票は確実に得られる。11月の沖縄知事選で、与党推薦の仲井真が勝利を収めたのも、沖縄という最も格差の犠牲となった土地だからである。有効求人倍率はたった0.2倍と、全国最下位である。どうしても在日米軍よりも、今の生活を最優先した有権者が多かった。
その一方、しっかり国民の様々な自由を掲げることは絶対に必要。ここで統一できてさえいればいい。だから瑣末なレベルにいつまでも拘っていたら、お互い連帯することは不可能だと思う。国民や有権者が興味があるのは、この程度の範疇に過ぎないと思う。
また自民党や公明党が忌み嫌っている「市民色」も強めた方がいい。「地域社会色」と言い換えても良いのかもしれない。もし民主党内に同じように訝しがっている因子がいたとしたら、ガン細胞だと指摘せざるを得ない。常識的に考えて、与党の後追いでは厳しい。ちゃんと与党に対する監視機能が効いていたら別であるが、やはり現実を直視すれば(ry。
来夏の選挙の目的は、とにかく最終的に自民党に大勝させなければいいのである。片山鰓之助が言ってるが、過半数さえ割ることができれば、安部自民党内閣は絶命する。それだけでも、十分野党の成果として評価できるはずである。それを契機に、野党間で何かが変革されればいいなぁと思う今日この頃。
そうしなければ「自衛隊の存在」そのものを否定して仕舞うと、「守る側」と「守らない側」という対立軸が作られてしまう。その舞台では、必ず負ける。そのような「ありき論」は、具体的な中身が議論されない傾向がある。安全保障を考える上では、これはむしろ致命的のような気がする。イケイケどんどんの思考停止の強硬派も然り、それも思考停止の一種に過ぎない。むしろ「何で、自衛隊は駄目なんですか?別に、自衛隊は駄目ではないでしょ。つまり、自衛隊は海外へ派遣しても大丈夫でしょ」という危険な流れを生む可能性がある。結果的に墓穴も掘ってしまうから、「自衛隊の在り方」を問うていくとか、多少の路線変更を考慮しなければならないと思われる。
「議論が深まる=強硬路線ばかりに傾く」では決してない。もしそう思い込んでいるとするなら、思考停止していると言わざるを得ない気がする。究極的な理想は、軍隊も武器もない方がいい。その理想を崩す必要はないが、ただそれは安全保障論を語る上で、大前提として控えている存在なのだ。その今ある前提自体を否定してしまったら、何も議論できなくなってしまう。結果的に、具体的な議論の席上から追い出されてしまうことが、プラスに働くのか働かないのかということだ。安全保障論や国防を語る上での前提を、今更議論しても意味がない。
少なくともそれは控えるべきであって、それを意固地になりすぎて頑なにそこばかりを主張し続ければ、むしろ野党間の結束が弱まり、結果的に空中分解してしまうだろう。野党全体の攻撃力や批判能力も弱まる。民主党自体に力はないのだから、結果的に野党の力が弱まって得をするのは与党自民党なのだ。
昔の左翼は、閉塞的で議論がしにくい環境を作り上げていた。しかし、今はネットなどを見てもオープンさや透明さが好まれる傾向にある。現実問題として、その閉塞的な昔の環境から逃れたい一心から、反対側に立っていた保守に流れたことも見逃せない。つまり、保守的な国民の多くは、単なる「被れ」が多いということの証左でもある。結局、昔と同じ論法を使ったとしても、一時的に左側についてもまた同じ轍を踏むだけなのだ。
保守的な自民党が嫌いであるにも関わらず、共産党や社民党も一部の思想や考えに凝り固まった保守的な政党なのだ。特定の思想に凝り固まりすぎると、「何故、その思想や考え以外は認めては駄目なんだ?」というむしろ自分たちの思いとは裏腹の世論が形成されてしまう。ここ数年を考えてみれば、顕著に明白だろう。少なくとも、それを巧みに自民党シンパに利用され、ズルズルと来てしまったのが現実だ。共産党や社民党の中にも、小泉純一郎的な人間が出てこない限り、自滅する公算は極めて高いのだ。
憲法改悪だと盛んに叫んでいた時期があった(今でもかな?)が、憲法改正するか否かを最終的に選択・判断するのは国民。その選択をさせない行為自体が、特定の思想や考えを押しつけているに等しく、また国民を信頼していないと受け取られても仕方がない。そもそも憲法改正については、その憲法自体に書かれていることで、国民投票法自体に反対するのは論外。
別に、共産党や社民党の考えが間違っていると言っているわけではない。ただ具体的に自民党の思想が間違っていて、彼らの思惑通りの憲法改正が許せないのであれば、彼らの改正案のどこが間違っているかを具(つぶさ)に取り上げて批判すればいい。共産や社民が具体的に何を主張したいのかが、見えてこない。
自衛隊の存在自体が違憲だと主張するならば、憲法裁判所を作るという選択肢をむしろ率先的に作るべき。共産社民が視野狭窄だなと思わせるのは、別に「自衛隊の存在≠違憲」ではないと思ってる国民がいるからと言って、必ずしも、その人間が「自衛隊の存在をマンセーしてる」かと言えば、そういうわけではないし、「自衛隊をどんどんと海外派遣させよう」と目論んでいる国民などごく少数に限られている。
思考が極端。左が駄目だから右(敵である自民党)が正解かという話ではな。そういう強迫観念を無くす努力を一度してみる必要がある。そうしなければ、ずっと壊れたテープのように主張し続け、それが曲げられないように執着し続ける。良くも悪くも、それが自分たちの手足を縛り、魅力のない政党になっているし、皮肉な話だが、自民党の行為などに対して、具体的な検証もなく、するするっと正当化されてしまう材料にもされている。
社民党や共産党は、自民党の行為や政策に対して、何の根拠もなく批判していると思われている節がある。そういう前提に終始しているから、具体的にここはどういう理由で駄目であるとか、感情だけではなく相手を理性的に、論理的に批判できていない。安保に関しては、非現実的な政党だと思われていて、民主党の方がむしろ現実的な政党だと思い込まれている。実際問題として、現実的か非現実的かどうかは関係なく、有権者に思われていることが問題なのである。でも、格差問題や経済問題や他の問題に関して、政府や与党を追及できている。共産党はちゃんと仕事をしていると思われている。それはちゃんと論理的に責めることが出来ているからだと感じる(個人的には、もっと責めて欲しいが)。安保に関しては、感情に頼っている部分があると思う。
またその理想が現実問題として実現可能なのかと言えば、甚だ疑問。社会党が好例で、政権を取っても、自衛隊を解体することは出来なかった。違憲だと言うことで解体したいのであれば、解体のプロセスを国民に対して開示すべき。もう昔みたいに、そういう論理を示すだけで「歯止めにできる」効果は流石に崩壊してる。そこに固執する意味はないということに、早く気付くべき。別にその理想を諦める必要もないが、そればかり声高に主張するのではなく、とりあえず様子見すべきだろう。「政治」とはいったい何なのかという話。
それよりもまず自民党の論理を、どうやれば突き崩せるかと頭を働かさなければならない。民主党の対案に似てて、自分の言いたいことだけを言ってれば、それでいいんだ、みたいな実に浅はかな政治だなと痛感させられる。野党政党なんだから、「何かを作り出すこと」に精を出すよりも、「相手が作り上げてきたモノを突き崩すこと」に精を出さなければ意味がない。
「駄目なモノは、駄目」と責めるんではなくて、「駄目なモノが、何故駄目なのか」と責めなければならない。
共産党や社民党は弱者の味方と言ってる割に、国会ではそんな下らないことばかりに終始しているから、国民からなかなか信頼も得られない。そういう利己主義的な性質を改めるべきである。それは野党共闘を考える以前の問題。結局、弱者のことを考えてくれているのかと疑われても仕方がないのである。下の方の共産党員は弱者に尽くしていても、上の方の共産党議員は全く弱者を蔑ろにしているのだ。下らない功名心や虚栄心は捨てて欲しい。
非現実的な主張ばかりしていたら、そういう分野においても非現実的な対応ばかりしかできないのではないかと思い込んでしまう。現状の共産党や社民党では、安全保障について何も喋らない方がメリットがある。ちゃんと格差社会について危機意識を持ち、政府に悪事については追及する姿勢は目を見張るものがあるのだ。共産党は「経済問題に関しては素晴らしいが…」というレスを2chで見かけたこともある。それを無駄にしてはならない。
自民党が改憲を党是としてたからと言って、国会で改憲ばかりを主張していたわけではない。ある程度、世論の下地ができた(いやTMのように世論誘導を図っていた可能性も低くない)からこそ、今になって盛んに自民党に投票していた多くの有権者も、改憲を党是と掲げているからと言って、自民党に投票していたわけではない。利権に尽きる。有権者の直接利益になることをしていたから、票を確保できていた。
では、共産党らが格差社会の日本で貧困に喘いでいる大半の国民を考えているというのであれば、もっと弱者や貧民に対して尽くすべき。国民が下らないと思っていることに心血を注いでも意味がない。それは自分たちが絶対的多数の議席を稼いだ後、ゆっくり考えればいいことなのだ。少なくとも、今は内輪だけに止めておくべき主張であろう。
結局「駄目なモノは駄目」と貫くだけでは、安保の議論自体が深まらない。結果的に安保の議論が深まらないことで、損をするのは共産や社民なのだ。自衛隊の存在自体が駄目という解釈一辺倒の結果、何の交渉もしてこれなかった結果、自衛隊が海外へ派遣される回数が増え、今後もそれは増えるだろう。自衛隊の解体などハードルが高すぎる桃源郷。その理想を捨てろとは言わないが、現実的な議論から逃げていることが問題なのだ。理想を唱えるだけでは、その理想は近寄ってこないのだ。その仕事は市民団体の方々に任せればいい。
その解釈一辺倒では通用しないことは明白で、思考停止の状態から抜け出さなければならない。今後はどうすれば自衛隊を海外へ派遣させずに済むか、軍事力が増大させずに済むかということを、具体的に現実的な視点から考えなければならない。誰も、米軍再編に何兆円もの莫大な血税なんか注ぎ込ませたくはない。新たな解釈を求めていかない限りは、それを食い止めることは難しい。
「古い武器を新しくする理由は分かるが、その武器は果たして本当に必要だったのか」
「これは何千億円という血税を出してまで、購入する価値や、どういうメリットがあるのか」
「自衛隊や米軍の周囲の国民や市民の安全は、本当に確保されているのか」
「自衛隊を今回海外派遣をして、どういう国益に繋がるのか、デメリットはないのか」
「現地は危ないらしいが、自衛隊員の安全の確保は大丈夫なのか」
「もし自衛隊員が負傷したり、殺されれば、一体誰が責任を取るのか」
という具合に、真の意味での現実的な視点から、軍備や軍の必要性を問うていかなければならない。そうすれば、この積み重ねによって、いずれ「自衛隊は本当に必要なのか」という世論が形成されるかも知れない。だが今の調子を続ければ、そういう世論が形成される可能性は極めて低い。だからこそ、今は焦って「自衛隊は駄目だよね」という結論に発展させない方がいい。
まず自分たちが柔軟な姿勢を示さなければ、自民党らが自衛隊を強硬に海外へ派遣させたいという構図を作り上げることも難しい。強硬すぎて、意思を押しつけられる方は嫌われるのである。忘れて欲しくないのは、それで「何もするな」と懇願しているのではない。共産社民のバイタリティーはやはり国政の場には必要だ。ただ、「その行動の在り方を考え直せ」と懇願しているだけなのだ。結局、そのバイタリティー溢れる行動が、票や党にプラスに繋がらなければ意味がない。
ただやはり、民主党は左右の幅が大きすぎる。狂気法(教基法)改正に関する対案で、『愛国心』とハッキリ明記した一方、市民団体などを極端に毛嫌いする傾向もある。和歌山知事選で独自候補を擁立できなかった一因であろう。県連が一度推薦した市民活動をしていた候補者を降ろしてしまった。
結局、民主党に右が多いからこそ、地方では自民党議員とズブズブなんだろうと思う。和歌山県の前の知事選でも、同じく独自候補を立てずに、むしろ木村を推薦していた。どこまで腐っても、和歌山県は「保守王国」だったという裏返しであった。これは和歌山県だけの話ではないだろう。残念ながら、保守同士では「良い意味で対立できない」という証左であろう。「保守的」と言うよりも、「保身的」と言った方がいいかも知れないが…。
だから、個人的には前原のような議員は民主党に要らないと思う。思想的に自民党と共鳴できる部分が多すぎるから、現実問題として彼は対立を拒む傾向があった。アメリカで中国脅威論を唱えるなど、お粗末極まりなかった。そういう状況で、自民党とまともにやり合えるはずもなかったのだ。だからこそ、対案路線という柔和な路線に舵を取り、国民に委ねすぎる道を選択した。結果的に、耐震偽装など与党側の数々の諸問題を追及できない処か、メール問題で自爆した。
将来的に見れば、民主党に在籍している右側の議員は追い出す形で、分裂した方がいい。小沢一郎は「壊し屋」という異名を持っているが、個人的には来夏以降、今のままなら民主党を潰してもいいと思われる。長い目で見れば、できるだけ民主党は左を固める必要がある。もしくは前原のような保守的な議員を、どう左寄りの考えも持たせるかということを考えなければいけないだろう。そうしなければ、日本の政治は与党の腐敗政治に毒され続けるだろう。
民主と共産と社民が啀み合っている様は、まるで醜い自民党の派閥争いを見せつけられている気分。そういう仲違いをしても、国民は興醒めするだけなのだ。民主の右の方こそ、もう少し現実的な道を選択するべきなのだ。
そして「左は駄目だ」という固定観念を払拭する必要が、日本の国全体として求められている。左の中の人も、当然変革を求められている。
共産党や社民党などはもう少し右に寄り、民主党はもっと左へ寄らなければ駄目だと思われる。そうしなければ、第二の与党は民主党になるのである。また共産党や社民党は、国民からはそっぽむかれる。そのためにも、現実的な問題である安全保障論について、お互いが譲歩できれば、結束は強まる気がするし、民主党ももう少し左に傾くのではないかと思う。
前原のような自民党シンパを見ても、民主党に右が多かった場合、結局自民党が得をするだけなのだ。前原は安全保障論には詳しいだけで、それを国会で自民党を追及することに発展させることや、応用するだけの知能や能力がない。ましてやバイタリティーすらもない。だから自民党にどうしても同調しやすい傾向がある。政府や自民党の監視役になる資格がないという意味で、逆に安全保障論を語る上で、民主党の保守派は、共産党ら以上に役立たずと言わざるを得ない。今後、民主党の中で邪魔な存在になっていくだけだろう。
やはり野党のあるべき姿は、「リベラル・自由」だと思う。そして、社会(共産)主義。
つまり、個人の思想・言論の自由、信教の自由を認めつつ、貧富のない社会(大きな政府)の実現。グローバル経済が進み、下層庶民は諸外国の低賃金者と同じぐらいの生活レベルを送らざるを得なくなっている中、貧富のない社会の実現を標榜することで、票は確実に得られる。11月の沖縄知事選で、与党推薦の仲井真が勝利を収めたのも、沖縄という最も格差の犠牲となった土地だからである。有効求人倍率はたった0.2倍と、全国最下位である。どうしても在日米軍よりも、今の生活を最優先した有権者が多かった。
その一方、しっかり国民の様々な自由を掲げることは絶対に必要。ここで統一できてさえいればいい。だから瑣末なレベルにいつまでも拘っていたら、お互い連帯することは不可能だと思う。国民や有権者が興味があるのは、この程度の範疇に過ぎないと思う。
また自民党や公明党が忌み嫌っている「市民色」も強めた方がいい。「地域社会色」と言い換えても良いのかもしれない。もし民主党内に同じように訝しがっている因子がいたとしたら、ガン細胞だと指摘せざるを得ない。常識的に考えて、与党の後追いでは厳しい。ちゃんと与党に対する監視機能が効いていたら別であるが、やはり現実を直視すれば(ry。
来夏の選挙の目的は、とにかく最終的に自民党に大勝させなければいいのである。片山鰓之助が言ってるが、過半数さえ割ることができれば、安部自民党内閣は絶命する。それだけでも、十分野党の成果として評価できるはずである。それを契機に、野党間で何かが変革されればいいなぁと思う今日この頃。
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