『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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12月17日、長崎市内で開かれた講演で、自民党政調会長の中川昭一が、「第二次世界大戦で長崎(広島は言及してない?)の原爆投下は、アメリカの大罪である」「人道に対する罪で戦犯は裁かれたが、アメリカこそ戦犯である」などと語ったらしい。
また「日本では今、『非核5原則』がある。“作らず、持たず、持ち込ませず、喋らず(議論せず)、考えず”」とも宣った。既に手垢にまみれつつあることを、まだ執拗に言っているのかと半ば呆れかえったが、「議論」や「考える」こともまるで日本ではタブー視・禁止されているかのような無知蒙昧なことをおっしゃられておられるので、これから自分そのは『核議論』とやらを始めたいと思う。
その前に、まず酔いどれは中川の「核保有=核抑止力」という短絡的な結論に対して、説得力ある説明を国民や有権者に対してしてほしい。どういう発想や論理を辿れば、そういう短絡的な結論を導き出せるか、誰も理解できないのである。その幼稚な提案に至った過程を詳らかに見せてくれない以上、「核保有=核抑止=日本平和」という発想は、平和ボケだと度々罵られているプロ市民や社民党以上に、短絡的で発想で、極めて平和ボケな結論(安全保障論)であると指摘せざるを得ない。何度も言っている気がするが、国民はエスパーではない。もし中川の脳内妄想でないとするならば、ちゃんとその酒臭いお口から、言葉に出して私たちに伝えてくれないと、いつまで経っても国民は理解の一端すら示してくれないだろう。
鉄砲を持てば、相手が鉄砲で撃ち返してこないのか。
そもそも鉄砲を持っていないと、必ず相手が鉄砲で撃ってくるのか。
それを少し考えてみればいい。
相手が冷静であったと想定した場合、前者でも後者でも、残念ながら中川の意向には反して、こっちに対しては撃ってこない。自分と同じぐらいに力を持ち、抵抗してくる相手であれば、もし喧嘩をふっかければ、こちらが勝つ可能性がどれだけあるかも疑問であるし、仮に勝てたとしても、自分は相応の負傷を負う可能性は極めて高い。無抵抗な相手であれば、なおさら撃つ意味がない。鉄砲を自分が持ってても持ってなくても、自分が撃たれる可能性もあるし、撃たれない可能性もある。つまり、「鉄砲所持=銃殺抑止」には繋がらない。
また「日本では今、『非核5原則』がある。“作らず、持たず、持ち込ませず、喋らず(議論せず)、考えず”」とも宣った。既に手垢にまみれつつあることを、まだ執拗に言っているのかと半ば呆れかえったが、「議論」や「考える」こともまるで日本ではタブー視・禁止されているかのような無知蒙昧なことをおっしゃられておられるので、これから自分そのは『核議論』とやらを始めたいと思う。
その前に、まず酔いどれは中川の「核保有=核抑止力」という短絡的な結論に対して、説得力ある説明を国民や有権者に対してしてほしい。どういう発想や論理を辿れば、そういう短絡的な結論を導き出せるか、誰も理解できないのである。その幼稚な提案に至った過程を詳らかに見せてくれない以上、「核保有=核抑止=日本平和」という発想は、平和ボケだと度々罵られているプロ市民や社民党以上に、短絡的で発想で、極めて平和ボケな結論(安全保障論)であると指摘せざるを得ない。何度も言っている気がするが、国民はエスパーではない。もし中川の脳内妄想でないとするならば、ちゃんとその酒臭いお口から、言葉に出して私たちに伝えてくれないと、いつまで経っても国民は理解の一端すら示してくれないだろう。
鉄砲を持てば、相手が鉄砲で撃ち返してこないのか。
そもそも鉄砲を持っていないと、必ず相手が鉄砲で撃ってくるのか。
それを少し考えてみればいい。
相手が冷静であったと想定した場合、前者でも後者でも、残念ながら中川の意向には反して、こっちに対しては撃ってこない。自分と同じぐらいに力を持ち、抵抗してくる相手であれば、もし喧嘩をふっかければ、こちらが勝つ可能性がどれだけあるかも疑問であるし、仮に勝てたとしても、自分は相応の負傷を負う可能性は極めて高い。無抵抗な相手であれば、なおさら撃つ意味がない。鉄砲を自分が持ってても持ってなくても、自分が撃たれる可能性もあるし、撃たれない可能性もある。つまり、「鉄砲所持=銃殺抑止」には繋がらない。
+ + + + +
また相手が冷静ではなく、血迷った、もしくは快楽殺人犯的な相手であったと想定した場合、こちらは逆に、前者でも後者でも撃ってこられる可能性がある。つまり、これも「鉄砲所持=銃殺抑止」には繋がらない。むしろそういう快楽殺人犯的な相手であるかも知れないと思い込んだ、勘違いした、第三者の銃を所持した国によって背後から銃殺される可能性が発生してしまう。いや現実そういう変質的な国に日本はなるかも知れないと誰も否定が出来ない。
そもそも、一度酒を飲むのを止めて、素面の状態で現実を見てみろと言いたい。核保有国である中国やアメリカの命令には、一切耳を貸していないし、それどころか核は全く抑止力として何の効果も働いていない。アメリカのそういう好戦的な態度に感化されて、むしろ好戦的になっている。核保有大国であるアメリカと肩を並べる唯一の手段であると言わんばかりに、むしろ核を率先的の保有しようとしているのである。何故なら、アメリカは核爆弾を投下しないからだ。つまり、投下するためにも相当な覚悟や労力が必要とされ、むしろ自縄自縛に陥る可能性も極めてたかい。
「核爆弾を保有していれば、核爆弾が投下されないのか」という思想は極めて短絡的。強力な武器を保有していたら、相手に攻撃されないわけではない。大量に核兵器を保有しているアメリカやイギリスなどでも、テロは横行している。武器で武器を防ぐことができるという発想は、最早妄想に近い。
世界唯一の核保有大国であるアメリカの忠告や命令も聞かない国が、日本が数発核兵器や核爆弾などを保有したところで、何の抑止力が働くというのだろうか。これらの例からも核保有は何の武器にもなっていないし、抑止力なんて論外であることも明らかである。武器など「百害あって一利なし」なのだ。その武器の最も足るが、核であることは指摘するまでもない。
もちろん相手が銃を所持した凶悪犯だったら、其奴を逮捕する警官には安全のため警棒など相応の武器の所持は認めてあげた方がいい。ただ、どこの国も犯罪者ではないのだ。厄介者ではあるかも知れないが、自分の口や態度や人脈などを用いて、国益に繋がるような方向へ自らの力で持っていかなければならない。今の場合で言えば、北朝鮮の核保有・放棄についてのこと。
国益のため核に頼らざるを得ないのだとするなら、自国の交渉力がないと自ら吐露しているに過ぎない。「日本の外交交渉力がお粗末なのは、核保有していないからである」と言い訳がましい論法は、極めて本末転倒なのだ。そもそも相手が犯罪者であっても、警官は「どこから来たの?何してるの?ちょっと車を拝見させて貰っていい?」などと軽い交渉ぐらいはする。
則ち、核保有とは日本政府の『無能さ』や交渉力のなさから散々彼らが味わった『敗北感』から出てきた、一種の悪あがきのようなものに過ぎないのである。親が超富裕層であったならば、小学校から私立の学校へ通ってさえいれば、自分は確実に100%東京大学へ入学できたと、平然と自分の学歴コンプレックスを晒しているような有名私立大学生のようなモノなのだ。
また、原爆を投下したことがアメリカの犯罪だというのであれば、日本が原爆を持てば、そういう犯罪を今後起こすと言うことを、暗におっしゃってる・認めてらっしゃるに等しい。もし日本が原爆を投下したとするならば、この発言をした中川のように「犯罪国家である!」と強く世界から糾弾されるのである。そういう危険性が多分に孕んでいる状態で、核保有するメリットは一切ないのである。その危険性に着火するのは国民ではなく、酔いどれ中川のような為政者なのだ。
これも何度も言うが、そもそも核実験を国土の狭い日本のどこでおっぱじめるつもりなのか聞いてみたい。またこの軍事的負債を、沖縄に押しつけるつもりなのだろうか。こんな疑問にすら答えられない知能が低い馬鹿が、どういう高度で濃密な議論を始められるのだろうか、酔いどれを賛辞している人間に聞いてみたいものである。この点が最も国民が、自民党に対して恐怖感に近い不信感を抱いている根源でもある。そもそも何十万人と殺害せしめる核兵器を保有する覚悟が、中川昭一にあるのかどうかは、あの軽すぎる発言を聞いていると疑問で仕方がない。
何故なら、為政者が「核保有したい」と駄々をこねることは、「核実験したい」と駄々をこねていると言い換えたとしても、性質的には何ら変わらないからなのである。例えば、中学生とセックルしたい高級官僚が、「中学生とセックルはしないから、出会い系で中学生と出会うこと自体は違法にしないでくれ」「“中学生と出会う=中学生とセックルする”では必ずしもないから、中学生と出会わせてくれ」と懇願している輩に等しいのである。
以上の自分なり議論から、最初の酔いどれ中川が宣った嘘っぱちの「非核5原則」を否定しておきたい。何故なら、こうやって一市民や国民が核保有に対して少しだけ深く考え、意見(議論・お喋り)を世間に対して述べている。日本に、『核議論』自体が封殺されるような風潮は存在していないことは明らかである。
自分はあくまで「核保有する意味がない」という前提で議論を始めた。しかし中川昭一を極めて卑怯な人間であると、糾弾せざるを得ないのだが、中川が宣っている『核議論』は、あくまで「核保有する」という前提に立った上での議論に過ぎないのだ。自分だけではなく、数多くの国民もこういう前提で、核に対して考えておられるだろうし、議論も掲示板やブログなどで議論されていることであろう。
そう、酔いどれ中川は自分の意見が世間に認められないからと言って、さも世間にはそういう議論を封殺する風潮があると論点をすげ替えている点にある。個人的にそういう考えがあるなら、有志を集めて、勝手に議論をすればいいのだ。法律上違反ではないし、誰もそのことについては諌めていないであろう。何も恐れなくても、内心の自由は憲法上保証されている(ただし改憲時、自民党がどんな飛んでもない憲法草案を持ち出して、その保証が奪われるかも知らないが(´▽`*)アハハ )。
ただし、政務会長という役職柄、自民党は「核保有を考えている」と受け取られても仕方がないし、それを封殺することはできない。しかし、そこを追及されそうになると、「核保有するとは言っていない」と、おめおめと自分から吹っ掛けた議論から逃げ回る。
では一体、具体的に「核」の何を議論したいのか。中川昭一の発言からは、全くそれが見えてこない。「核保有」を主眼に全く置いてないと盛んに拒否しているのであれば、「核処理」に関する議論をしたいのか?「核が生まれた歴史」について、議論したいのか?「核が生成される過程」について議論したいのか?「核」と言っても色々あるが、一体「核」の何について議論したいのかが全く見えてこないし、それを説明すらしようとしない。「北朝鮮の核放棄」云々について議論をしたいのだとしても、既にそれはずーっと前から行われ続けているわけで、それを改めて議論するというのも解せない点が多すぎる。
しかし、中川昭一はそこを敢えて避けて何も言及しない。議論を始めたい具体的な動機がないにも関わらず、議論だけはいっちょ前に始めたいとは、一体どういう意図を持って議論を始めたいと駄々をこねているのか。不信感を募らせざるを得ない。
しかも、この不信感だけを取り上げて、さも言論封殺の諸悪の根源などと、まるで鬼の首を取ったかのようにはしゃぐ。これでは、自分が悪いことをして叱られたにも関わらず、それをまるで体罰であるかのように主張する生意気な糞餓鬼と何ら変わらない。自分のワガママ(核保有)が世間に認められないから、ただママンにごねているだけの糞餓鬼と何ら変わらない。いや知能レベルはそれ以下だ。言いがかりもいいところだ。
それだけではなく、自分のような「核兵器保有反対」という前提に立った上での『核議論』は、『核議論』の中に入れていない。自分のような立場の『核議論』が認めないということは、「核保有否定」という考えを封殺しようとしているに等しい。そして、同時に自らが宣う『核議論』は「核保有」のことであり、決して「核廃絶」ではないと自ら認めてしまっているに等しい。こういう極めて身勝手な前提で議論を始めようとしている以上、誰も賛同してくれるどころか、誰もその不条理な議論に生理的に参加したくないと思うのは、極めて自然な感情なのである。
むしろ『核議論』を不自然なまでに萎縮させ、閉鎖的な議論に収縮させ、結果的に議論自体を封殺しようとしているのは、中川昭一、その人以外の誰でもない。だから中川昭一に対して、誰も賛同を示せないのである。決して、日本に『核議論』の言論封殺をする風潮は決してないことが分かる。
最後に、非核3原則に色々追加することが流行っているみたいなので、自分は中川昭一に対して、一つそれに加えた『非核4原則』を提案しておきたい。
「作らず、持たず、持ち込ませず、そして、(核保有=核抑止力と)思い込まず」
また相手が冷静ではなく、血迷った、もしくは快楽殺人犯的な相手であったと想定した場合、こちらは逆に、前者でも後者でも撃ってこられる可能性がある。つまり、これも「鉄砲所持=銃殺抑止」には繋がらない。むしろそういう快楽殺人犯的な相手であるかも知れないと思い込んだ、勘違いした、第三者の銃を所持した国によって背後から銃殺される可能性が発生してしまう。いや現実そういう変質的な国に日本はなるかも知れないと誰も否定が出来ない。
そもそも、一度酒を飲むのを止めて、素面の状態で現実を見てみろと言いたい。核保有国である中国やアメリカの命令には、一切耳を貸していないし、それどころか核は全く抑止力として何の効果も働いていない。アメリカのそういう好戦的な態度に感化されて、むしろ好戦的になっている。核保有大国であるアメリカと肩を並べる唯一の手段であると言わんばかりに、むしろ核を率先的の保有しようとしているのである。何故なら、アメリカは核爆弾を投下しないからだ。つまり、投下するためにも相当な覚悟や労力が必要とされ、むしろ自縄自縛に陥る可能性も極めてたかい。
「核爆弾を保有していれば、核爆弾が投下されないのか」という思想は極めて短絡的。強力な武器を保有していたら、相手に攻撃されないわけではない。大量に核兵器を保有しているアメリカやイギリスなどでも、テロは横行している。武器で武器を防ぐことができるという発想は、最早妄想に近い。
世界唯一の核保有大国であるアメリカの忠告や命令も聞かない国が、日本が数発核兵器や核爆弾などを保有したところで、何の抑止力が働くというのだろうか。これらの例からも核保有は何の武器にもなっていないし、抑止力なんて論外であることも明らかである。武器など「百害あって一利なし」なのだ。その武器の最も足るが、核であることは指摘するまでもない。
もちろん相手が銃を所持した凶悪犯だったら、其奴を逮捕する警官には安全のため警棒など相応の武器の所持は認めてあげた方がいい。ただ、どこの国も犯罪者ではないのだ。厄介者ではあるかも知れないが、自分の口や態度や人脈などを用いて、国益に繋がるような方向へ自らの力で持っていかなければならない。今の場合で言えば、北朝鮮の核保有・放棄についてのこと。
国益のため核に頼らざるを得ないのだとするなら、自国の交渉力がないと自ら吐露しているに過ぎない。「日本の外交交渉力がお粗末なのは、核保有していないからである」と言い訳がましい論法は、極めて本末転倒なのだ。そもそも相手が犯罪者であっても、警官は「どこから来たの?何してるの?ちょっと車を拝見させて貰っていい?」などと軽い交渉ぐらいはする。
則ち、核保有とは日本政府の『無能さ』や交渉力のなさから散々彼らが味わった『敗北感』から出てきた、一種の悪あがきのようなものに過ぎないのである。親が超富裕層であったならば、小学校から私立の学校へ通ってさえいれば、自分は確実に100%東京大学へ入学できたと、平然と自分の学歴コンプレックスを晒しているような有名私立大学生のようなモノなのだ。
また、原爆を投下したことがアメリカの犯罪だというのであれば、日本が原爆を持てば、そういう犯罪を今後起こすと言うことを、暗におっしゃってる・認めてらっしゃるに等しい。もし日本が原爆を投下したとするならば、この発言をした中川のように「犯罪国家である!」と強く世界から糾弾されるのである。そういう危険性が多分に孕んでいる状態で、核保有するメリットは一切ないのである。その危険性に着火するのは国民ではなく、酔いどれ中川のような為政者なのだ。
これも何度も言うが、そもそも核実験を国土の狭い日本のどこでおっぱじめるつもりなのか聞いてみたい。またこの軍事的負債を、沖縄に押しつけるつもりなのだろうか。こんな疑問にすら答えられない知能が低い馬鹿が、どういう高度で濃密な議論を始められるのだろうか、酔いどれを賛辞している人間に聞いてみたいものである。この点が最も国民が、自民党に対して恐怖感に近い不信感を抱いている根源でもある。そもそも何十万人と殺害せしめる核兵器を保有する覚悟が、中川昭一にあるのかどうかは、あの軽すぎる発言を聞いていると疑問で仕方がない。
何故なら、為政者が「核保有したい」と駄々をこねることは、「核実験したい」と駄々をこねていると言い換えたとしても、性質的には何ら変わらないからなのである。例えば、中学生とセックルしたい高級官僚が、「中学生とセックルはしないから、出会い系で中学生と出会うこと自体は違法にしないでくれ」「“中学生と出会う=中学生とセックルする”では必ずしもないから、中学生と出会わせてくれ」と懇願している輩に等しいのである。
以上の自分なり議論から、最初の酔いどれ中川が宣った嘘っぱちの「非核5原則」を否定しておきたい。何故なら、こうやって一市民や国民が核保有に対して少しだけ深く考え、意見(議論・お喋り)を世間に対して述べている。日本に、『核議論』自体が封殺されるような風潮は存在していないことは明らかである。
自分はあくまで「核保有する意味がない」という前提で議論を始めた。しかし中川昭一を極めて卑怯な人間であると、糾弾せざるを得ないのだが、中川が宣っている『核議論』は、あくまで「核保有する」という前提に立った上での議論に過ぎないのだ。自分だけではなく、数多くの国民もこういう前提で、核に対して考えておられるだろうし、議論も掲示板やブログなどで議論されていることであろう。
そう、酔いどれ中川は自分の意見が世間に認められないからと言って、さも世間にはそういう議論を封殺する風潮があると論点をすげ替えている点にある。個人的にそういう考えがあるなら、有志を集めて、勝手に議論をすればいいのだ。法律上違反ではないし、誰もそのことについては諌めていないであろう。何も恐れなくても、内心の自由は憲法上保証されている(ただし改憲時、自民党がどんな飛んでもない憲法草案を持ち出して、その保証が奪われるかも知らないが(´▽`*)アハハ )。
ただし、政務会長という役職柄、自民党は「核保有を考えている」と受け取られても仕方がないし、それを封殺することはできない。しかし、そこを追及されそうになると、「核保有するとは言っていない」と、おめおめと自分から吹っ掛けた議論から逃げ回る。
では一体、具体的に「核」の何を議論したいのか。中川昭一の発言からは、全くそれが見えてこない。「核保有」を主眼に全く置いてないと盛んに拒否しているのであれば、「核処理」に関する議論をしたいのか?「核が生まれた歴史」について、議論したいのか?「核が生成される過程」について議論したいのか?「核」と言っても色々あるが、一体「核」の何について議論したいのかが全く見えてこないし、それを説明すらしようとしない。「北朝鮮の核放棄」云々について議論をしたいのだとしても、既にそれはずーっと前から行われ続けているわけで、それを改めて議論するというのも解せない点が多すぎる。
しかし、中川昭一はそこを敢えて避けて何も言及しない。議論を始めたい具体的な動機がないにも関わらず、議論だけはいっちょ前に始めたいとは、一体どういう意図を持って議論を始めたいと駄々をこねているのか。不信感を募らせざるを得ない。
しかも、この不信感だけを取り上げて、さも言論封殺の諸悪の根源などと、まるで鬼の首を取ったかのようにはしゃぐ。これでは、自分が悪いことをして叱られたにも関わらず、それをまるで体罰であるかのように主張する生意気な糞餓鬼と何ら変わらない。自分のワガママ(核保有)が世間に認められないから、ただママンにごねているだけの糞餓鬼と何ら変わらない。いや知能レベルはそれ以下だ。言いがかりもいいところだ。
それだけではなく、自分のような「核兵器保有反対」という前提に立った上での『核議論』は、『核議論』の中に入れていない。自分のような立場の『核議論』が認めないということは、「核保有否定」という考えを封殺しようとしているに等しい。そして、同時に自らが宣う『核議論』は「核保有」のことであり、決して「核廃絶」ではないと自ら認めてしまっているに等しい。こういう極めて身勝手な前提で議論を始めようとしている以上、誰も賛同してくれるどころか、誰もその不条理な議論に生理的に参加したくないと思うのは、極めて自然な感情なのである。
むしろ『核議論』を不自然なまでに萎縮させ、閉鎖的な議論に収縮させ、結果的に議論自体を封殺しようとしているのは、中川昭一、その人以外の誰でもない。だから中川昭一に対して、誰も賛同を示せないのである。決して、日本に『核議論』の言論封殺をする風潮は決してないことが分かる。
最後に、非核3原則に色々追加することが流行っているみたいなので、自分は中川昭一に対して、一つそれに加えた『非核4原則』を提案しておきたい。
「作らず、持たず、持ち込ませず、そして、(核保有=核抑止力と)思い込まず」
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