『格差』と『貧困』と『不平等』を広げる自民党・創価学会・経団連を抹殺せよヽ(´∀`)9 ビシ!! これでは、日本のお先は真っ暗(*∀*)YO!!
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自分が住んでる地域では10月21日土曜日深夜に、『24』Ⅳシーズンの24話目が放送され、何とか最終回を迎えた。約2週間。長丁場だった。フジテレビのサイトを見たら、関東ではとっくの10日には終わってた模様。
そして、下らない関西ローカルの番組が先に放送され、どれだけ『24』が深夜の方に後回しされたか分からない。面白い番組だったらまだしも、十中八九に渡って下らない番組だから、五臓六腑から湧き出てくる嫌気も相当のものだった。頼むから、関西のTVマンは変に関東を意識せず、面白い番組を先に流すような努力をしましょうよ。関西の番組は「地域」独特のアットホーム感も薄ければ、「都会」独特の洗練さもない。つまり、どっちつかずの中途半端。まず面白い番組とは何なのか、一から考え直した方がいい。関東に対して、特に東京に対して、変な意地やコンプレックスを抱きすぎ。それが変なフィルターを掛けている。関西のTVマンの大きな障害となっている。これで人並み以上の給料を貰ってるんだから、ちゃんちゃらおかしい。猛省しろ。
そのためには、まず『24』を全話0時台で放送すべきだった。面白い番組であれば、どこで制作されようと、どこの国や地域の出演者が出てようと、真っ先に放送すべきである。その「関西ありき」の姿勢を改めるべき。番組制作に当たって持つべき精神力や度量を広げるべき。感受性を大事にすべき。貴様らのちんけなプライドなんて、こっちは見てても面白くも何ともない。レンタルされたばかりでいつTVメディアで放送されるか分からないけど、Ⅴシーズン期待してますよ。まあどうせ猛省しないだろうから、「Share」で落とすつもりだけど…。
『24』Ⅳシーズンを見た感想としては前半の方は面白かったけど、後半になるにつれ面白さが激減した。テンポが凄く悪くなったのだ。スピーディーとはほど遠かった。
そして、下らない関西ローカルの番組が先に放送され、どれだけ『24』が深夜の方に後回しされたか分からない。面白い番組だったらまだしも、十中八九に渡って下らない番組だから、五臓六腑から湧き出てくる嫌気も相当のものだった。頼むから、関西のTVマンは変に関東を意識せず、面白い番組を先に流すような努力をしましょうよ。関西の番組は「地域」独特のアットホーム感も薄ければ、「都会」独特の洗練さもない。つまり、どっちつかずの中途半端。まず面白い番組とは何なのか、一から考え直した方がいい。関東に対して、特に東京に対して、変な意地やコンプレックスを抱きすぎ。それが変なフィルターを掛けている。関西のTVマンの大きな障害となっている。これで人並み以上の給料を貰ってるんだから、ちゃんちゃらおかしい。猛省しろ。
そのためには、まず『24』を全話0時台で放送すべきだった。面白い番組であれば、どこで制作されようと、どこの国や地域の出演者が出てようと、真っ先に放送すべきである。その「関西ありき」の姿勢を改めるべき。番組制作に当たって持つべき精神力や度量を広げるべき。感受性を大事にすべき。貴様らのちんけなプライドなんて、こっちは見てても面白くも何ともない。レンタルされたばかりでいつTVメディアで放送されるか分からないけど、Ⅴシーズン期待してますよ。まあどうせ猛省しないだろうから、「Share」で落とすつもりだけど…。
『24』Ⅳシーズンを見た感想としては前半の方は面白かったけど、後半になるにつれ面白さが激減した。テンポが凄く悪くなったのだ。スピーディーとはほど遠かった。
+ + + + +
前半はマジでジェットコースターのようにテンポが良かった。毎回、CMへ行く度に鳴る「ティッティッティッティッ」って機械音が、ワクワク感を感じさせてくれた。最初の方で聞こえる時には、「次に何が起こるんだろう」と見えないものが見えてくる段々見えてくる新鮮感がある。
しかし最後の方で聞こえる音は、時限爆弾の針の音のように「死へのカウントダウン」には聞こえてこなかった。段々物語が進むにつれて、駒もある程度で揃ってくる。「このあとに誰かが死ぬのではないだろうか」と、不安に凄く駆り立てられてくる。同じ無機質な音でも、聞く回によって、視聴者に対しては違う感じを与えて欲しかった。生きてるような有機的な生命をその音に宿して欲しかった。それはつまり、最後らへんまで「緊迫感」を維持できなかったことの証左である。
マルワンがオーバーライドでメルトダウンの実行失敗あたりから、「今回はどうだろ?ん?」と思い始めていた。まさかマルワンが最終ボスだとは露にも信じたくなかった。マルワンが物凄く頭が切れていた。しかし、率先的に前線に立って動きすぎていた。基本的に、いつジャックに捕まってもおかしくない状況だった。「まさかこいつが最終ボスな訳ないよな…マルワンの裏にもっと大きい敵がいるはずだ」と常々、頭の隅にこびり付いていた。で、最終回を見終わって、「やっぱマルワンが最終ボスかよ_| ̄|○」とガッカリしたことは言うまでもない。
個人的には、ラストらへんで絡んできた「中国」が実は黒幕ではないのかと期待もしていた。しかし、結局何もなかった。これ以上の裏があるのではないか、もっと裏がみたいという自分の願望は叶えてくれなかった。
マルワンは何年も前からいくつものグループを作り、中東圏からアメリカへ移住させるなどして、徹底的にアメリカ攻撃作戦を練っていた。それにも関わらず、ほとんどの肝心な部分で中心的に動き、自らが危険な行動も取っていた。もしマルワンがCTUに捕縛されていたら、どうなっていたのだろうとつくづく疑問。
最後の場面でも、もしまたジャックに捕まれば、拷問なりを受けていた。最終兵器の核搭載ミサイル以降の攻撃はなかった。だったら、おめおめと逃げる必要はない。「大義」という信念を持って、マルアンはアメリカへ攻撃を実行した。にも関わらず、最後の最後で海外へ逃亡しようと算段がある。
最後の最後、ジャックが乗ったヘリコプターが近寄ってきた。下手な銃撃戦は展開してしまっては、「大義」よりも「個人」を優先させたように見えてしまう。結局は、金で動いていた欧米系のテロリストと同じ。せめて自らの「大義」を証明するためにも、ヘリの中で自殺をして欲しかった。
仮に無事逃げおおせた後、マルアンはどうするつもりだったのだろうか。そもそも、一度ジャックに捕まった後、仲間がミサイルをぶち込んで助けられたが、その仲間はどこに行ったのだろうか。何故、ヘリには2人だけ(女を含めば3人)だったのか。
最後の最後は、都合良くジャックに捕まえさせたという印象しか持てなかった。核搭載ミサイルの迎撃もいとも簡単に成功しすぎ。マルワンが自分の携帯を銃で壊したけど、運良く基盤は大丈夫だったとか、最後の最後でごちゃごちゃ都合良くまとめすぎ。今回ほど消化不良が残ったシーズンはなかった。
その後、ディナ・アラズが息子の奪還というか、将来のために、CTUのジャックとつるみ、マルワンの仲間の大学教授を騙そうとする。しかし、結局マルワンに見抜かれ、一味に捕縛され、殺害されるまでが流れ的には悪くなかった気がする。
そういえば、フジテレビのサイトを見る限り、今回は親子愛や恋愛も盛り込んでていたよう。
実際、恋仲(不倫関係)だったジャックとオードリー・レインズは回を追うにつれ、ジャックの冷徹な本性が露見してしまい、二人の心が離れていく。オードリーとは別居していた、ジャックの命の恩人でもあった夫ポール・レインズを、ジャックは見殺しにしてしまう。負傷を負った中国人容疑者を最優先に救うため、危篤状態のポールを診ていた医者を中国人の方にやる。結果、ポールは死亡。この死によって、二人の仲は完全に決裂してしまう。
一方、トニー・アルメイダとミッシェル・デスラーは回を追うにつれ、徐々に亀裂していた仲が修復されていく。様々に降りかかる困難を乗り越えるにつれ、二人は改めて必要な存在だと認識。そして、最後トニーの死(そう見えただけで、実際には他人が爆死)によって、完全に二人は復縁を果たす。
この4人に降りかかる困難が、一方では『破壊』を他方では『再生』を生む。そして、大事なものが失われる「死」によって、ここまで決定的な差が生まれる。上手にこの二組のカップルを対照的に描けていたことは印象的であった。
ただ結果的に、こういう人間性の部分を表現した分、『24』独特のテンポの良さを鈍らせてしまった。個人的に、前者の要素は一切求めていないので、残念極まりない。ましてや親子愛と言っても、フェラー長官の息子のリチャードがゲイだったことが発覚したことぐらい。今のアメリカはキリスト教保守層が勢力を強めているらしく、それを暗に批判したのかも知れないが、少なくとも日本人の自分はあんな拷問されてまで黙っておくようなことかと、訝しがってしまった。少なくとも、あまりピンとは来なかった。
全てが微かに絡んでて、連動してる。それを一枚一枚の皮を剥がされていき、巨悪が徐々に剥き出しになってくる。こういうRPG的なストーリーを望んでいただけに、早期にラスボスのマルワンが出てきたことは非常につまらなかった。もしこんなRPGゲームがあれば、多分売れないと思う。ラスボスは最後にどっしり構えていて、主人公を迎える。そして、主人公は格好良くぶっ倒す。こんな展開が良かった。
少なくとも、「マルワンVSジャック」という個人と個人の戦いだったと思う。その割には、マルワンは都合良く逃げおおせ、ガチンコの対決は少なかった。『24』が一番好きな理由は、卓越したストーリーや演出やカメラワークだけではなく、リアルなガチにある。主要キャラだと思わせていたキャラを、何の躊躇もなく殺害・死亡させる。これが醍醐味だった。しかし、今回ではそれが非常に少なかった気がする。
最後、ジャックはシークレットサービスに殺されそうになる。何とかトニーなどの助けで、間一髪を免れる。しかし、自分が死んだことにされる。今までの身分や過去を捨てて、全く別人として過ごさなければいけなくなる。そして、『ランボー』のシルベスター・スターローンばりのグラサンを掛けて、夕日に向かって線路を歩き出す。これを見たときはガッカリした。いつの時代の演出だよみたいな。
今回大統領の恩赦を受けた女暗殺者は、何と言ってもシーズンⅡの最後でその大統領をウイルス付きの手で、握手をして暗殺しようとした犯人。この女が今回のシーズンⅣで生かされておきながら、次のシーズンで出てこない訳がない。あの両手を縛られてこそいたが、トニーすら圧倒する体術。
今回改めて『24』を評価したいのが、翻訳と声優が秀逸。そして、何と言っても人間的で、無駄のない『カメラワーク』。
日本のドラマや映画のカメラはまず固定されている。ただ傍観者的に観察しているだけなんだよね。非人間的。無機質な機械的視点。
だが『24』は違う。ちゃんと、視聴者である自分をそのドラマの現場に立たせてくれる。自分が見たい部分だけをカメラが捉えてる。つまり、「人間的な視点」をちゃんと表現できている。例えば、AとBというキャラクターがいたとする。日本のドラマや映画の場合、Aだけを撮影するカメラとBだけを撮影するカメラの2台のカメラを用意する。でも、『24』は違う。1台のカメラで喋っているAを捉えてる。そして、次に喋り出したBをAに向けた視線のまま、Bへ移す。しかも、この動きに微塵の無駄も見られない。大事なところだけをポンポンを見せてくれる。これがドラマの「テンポの速さ」を生む。機械的で作られた無機質な視点ではないから、決して不快感や見せられている感がない。緊迫したドラマを制作したい場合など、すごく効果的な手法だと思う。
そもそも、『24』だけではなく他のアメリカのドラマでも、カメラを固定して撮影してるドラマが少ない気がする。やっぱり日本もそろそろアメリカ的な先進的な手法を学んだ方が良い。とにかく日本のドラマや映画のカメラワークは、こっちが見させられてる。
ついこの間、「東京国際映画祭」が開かれたが、いくらリングを用意しても、肝心の選手を鍛えない限り、いつまで経っても日本のドラマや映画はつまらないまま。成長するためにはまず形から入るんだけど、その形に愉悦感を抱いてしまって、結局成長することを止めて、尻窄(しりつぼ)みのまま終わる。これは日本人の悪い癖。まあ先天的に日本人には才能がないと言ってしまったら、それまでだが…。
前半はマジでジェットコースターのようにテンポが良かった。毎回、CMへ行く度に鳴る「ティッティッティッティッ」って機械音が、ワクワク感を感じさせてくれた。最初の方で聞こえる時には、「次に何が起こるんだろう」と見えないものが見えてくる段々見えてくる新鮮感がある。
しかし最後の方で聞こえる音は、時限爆弾の針の音のように「死へのカウントダウン」には聞こえてこなかった。段々物語が進むにつれて、駒もある程度で揃ってくる。「このあとに誰かが死ぬのではないだろうか」と、不安に凄く駆り立てられてくる。同じ無機質な音でも、聞く回によって、視聴者に対しては違う感じを与えて欲しかった。生きてるような有機的な生命をその音に宿して欲しかった。それはつまり、最後らへんまで「緊迫感」を維持できなかったことの証左である。
マルワンがオーバーライドでメルトダウンの実行失敗あたりから、「今回はどうだろ?ん?」と思い始めていた。まさかマルワンが最終ボスだとは露にも信じたくなかった。マルワンが物凄く頭が切れていた。しかし、率先的に前線に立って動きすぎていた。基本的に、いつジャックに捕まってもおかしくない状況だった。「まさかこいつが最終ボスな訳ないよな…マルワンの裏にもっと大きい敵がいるはずだ」と常々、頭の隅にこびり付いていた。で、最終回を見終わって、「やっぱマルワンが最終ボスかよ_| ̄|○」とガッカリしたことは言うまでもない。
個人的には、ラストらへんで絡んできた「中国」が実は黒幕ではないのかと期待もしていた。しかし、結局何もなかった。これ以上の裏があるのではないか、もっと裏がみたいという自分の願望は叶えてくれなかった。
マルワンは何年も前からいくつものグループを作り、中東圏からアメリカへ移住させるなどして、徹底的にアメリカ攻撃作戦を練っていた。それにも関わらず、ほとんどの肝心な部分で中心的に動き、自らが危険な行動も取っていた。もしマルワンがCTUに捕縛されていたら、どうなっていたのだろうとつくづく疑問。
最後の場面でも、もしまたジャックに捕まれば、拷問なりを受けていた。最終兵器の核搭載ミサイル以降の攻撃はなかった。だったら、おめおめと逃げる必要はない。「大義」という信念を持って、マルアンはアメリカへ攻撃を実行した。にも関わらず、最後の最後で海外へ逃亡しようと算段がある。
最後の最後、ジャックが乗ったヘリコプターが近寄ってきた。下手な銃撃戦は展開してしまっては、「大義」よりも「個人」を優先させたように見えてしまう。結局は、金で動いていた欧米系のテロリストと同じ。せめて自らの「大義」を証明するためにも、ヘリの中で自殺をして欲しかった。
仮に無事逃げおおせた後、マルアンはどうするつもりだったのだろうか。そもそも、一度ジャックに捕まった後、仲間がミサイルをぶち込んで助けられたが、その仲間はどこに行ったのだろうか。何故、ヘリには2人だけ(女を含めば3人)だったのか。
最後の最後は、都合良くジャックに捕まえさせたという印象しか持てなかった。核搭載ミサイルの迎撃もいとも簡単に成功しすぎ。マルワンが自分の携帯を銃で壊したけど、運良く基盤は大丈夫だったとか、最後の最後でごちゃごちゃ都合良くまとめすぎ。今回ほど消化不良が残ったシーズンはなかった。
その後、ディナ・アラズが息子の奪還というか、将来のために、CTUのジャックとつるみ、マルワンの仲間の大学教授を騙そうとする。しかし、結局マルワンに見抜かれ、一味に捕縛され、殺害されるまでが流れ的には悪くなかった気がする。
そういえば、フジテレビのサイトを見る限り、今回は親子愛や恋愛も盛り込んでていたよう。
実際、恋仲(不倫関係)だったジャックとオードリー・レインズは回を追うにつれ、ジャックの冷徹な本性が露見してしまい、二人の心が離れていく。オードリーとは別居していた、ジャックの命の恩人でもあった夫ポール・レインズを、ジャックは見殺しにしてしまう。負傷を負った中国人容疑者を最優先に救うため、危篤状態のポールを診ていた医者を中国人の方にやる。結果、ポールは死亡。この死によって、二人の仲は完全に決裂してしまう。
一方、トニー・アルメイダとミッシェル・デスラーは回を追うにつれ、徐々に亀裂していた仲が修復されていく。様々に降りかかる困難を乗り越えるにつれ、二人は改めて必要な存在だと認識。そして、最後トニーの死(そう見えただけで、実際には他人が爆死)によって、完全に二人は復縁を果たす。
この4人に降りかかる困難が、一方では『破壊』を他方では『再生』を生む。そして、大事なものが失われる「死」によって、ここまで決定的な差が生まれる。上手にこの二組のカップルを対照的に描けていたことは印象的であった。
ただ結果的に、こういう人間性の部分を表現した分、『24』独特のテンポの良さを鈍らせてしまった。個人的に、前者の要素は一切求めていないので、残念極まりない。ましてや親子愛と言っても、フェラー長官の息子のリチャードがゲイだったことが発覚したことぐらい。今のアメリカはキリスト教保守層が勢力を強めているらしく、それを暗に批判したのかも知れないが、少なくとも日本人の自分はあんな拷問されてまで黙っておくようなことかと、訝しがってしまった。少なくとも、あまりピンとは来なかった。
全てが微かに絡んでて、連動してる。それを一枚一枚の皮を剥がされていき、巨悪が徐々に剥き出しになってくる。こういうRPG的なストーリーを望んでいただけに、早期にラスボスのマルワンが出てきたことは非常につまらなかった。もしこんなRPGゲームがあれば、多分売れないと思う。ラスボスは最後にどっしり構えていて、主人公を迎える。そして、主人公は格好良くぶっ倒す。こんな展開が良かった。
少なくとも、「マルワンVSジャック」という個人と個人の戦いだったと思う。その割には、マルワンは都合良く逃げおおせ、ガチンコの対決は少なかった。『24』が一番好きな理由は、卓越したストーリーや演出やカメラワークだけではなく、リアルなガチにある。主要キャラだと思わせていたキャラを、何の躊躇もなく殺害・死亡させる。これが醍醐味だった。しかし、今回ではそれが非常に少なかった気がする。
最後、ジャックはシークレットサービスに殺されそうになる。何とかトニーなどの助けで、間一髪を免れる。しかし、自分が死んだことにされる。今までの身分や過去を捨てて、全く別人として過ごさなければいけなくなる。そして、『ランボー』のシルベスター・スターローンばりのグラサンを掛けて、夕日に向かって線路を歩き出す。これを見たときはガッカリした。いつの時代の演出だよみたいな。
今回大統領の恩赦を受けた女暗殺者は、何と言ってもシーズンⅡの最後でその大統領をウイルス付きの手で、握手をして暗殺しようとした犯人。この女が今回のシーズンⅣで生かされておきながら、次のシーズンで出てこない訳がない。あの両手を縛られてこそいたが、トニーすら圧倒する体術。
今回改めて『24』を評価したいのが、翻訳と声優が秀逸。そして、何と言っても人間的で、無駄のない『カメラワーク』。
日本のドラマや映画のカメラはまず固定されている。ただ傍観者的に観察しているだけなんだよね。非人間的。無機質な機械的視点。
だが『24』は違う。ちゃんと、視聴者である自分をそのドラマの現場に立たせてくれる。自分が見たい部分だけをカメラが捉えてる。つまり、「人間的な視点」をちゃんと表現できている。例えば、AとBというキャラクターがいたとする。日本のドラマや映画の場合、Aだけを撮影するカメラとBだけを撮影するカメラの2台のカメラを用意する。でも、『24』は違う。1台のカメラで喋っているAを捉えてる。そして、次に喋り出したBをAに向けた視線のまま、Bへ移す。しかも、この動きに微塵の無駄も見られない。大事なところだけをポンポンを見せてくれる。これがドラマの「テンポの速さ」を生む。機械的で作られた無機質な視点ではないから、決して不快感や見せられている感がない。緊迫したドラマを制作したい場合など、すごく効果的な手法だと思う。
そもそも、『24』だけではなく他のアメリカのドラマでも、カメラを固定して撮影してるドラマが少ない気がする。やっぱり日本もそろそろアメリカ的な先進的な手法を学んだ方が良い。とにかく日本のドラマや映画のカメラワークは、こっちが見させられてる。
ついこの間、「東京国際映画祭」が開かれたが、いくらリングを用意しても、肝心の選手を鍛えない限り、いつまで経っても日本のドラマや映画はつまらないまま。成長するためにはまず形から入るんだけど、その形に愉悦感を抱いてしまって、結局成長することを止めて、尻窄(しりつぼ)みのまま終わる。これは日本人の悪い癖。まあ先天的に日本人には才能がないと言ってしまったら、それまでだが…。
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